失われた世界を探して

ロストジェネレーションのしみじみ生活

サッカーのPKを見ながらソファーに腰かけ、ダラダラノホホンの道は遥か遠いなぁと思いつつ、25年前に新橋で吹いていた初春の風を思い出したこと

2024/03/01

 僕のいる異国の田舎町は冬が明けるのが遅い。というか暦(こよみ)の上では完全に春なんだけど、気温は0度を行ったり来たりし、マンションに帰れば冷え切った浴室の中でブルブル震えながらシャワーを浴び始める(湯舟がないので、熱いシャワーを長時間浴びて体を温めるしかない)生活だ。

 会社ではやれ来年度の利益計画だ、やれ設備投資の見直しだ、なんて数字まみれで毎日働き、というのを自分の机に座ってディスプレイを睨めっこしながらやりつつ、次々と相談にやって来るナショナルスタッフたちの話を聞いて指示を出し、時々は工場へ走って行って現場でありゃりゃ~こんな状況になってるんかい・・・なんてやっぱりナショナルスタッフたちと一緒に頭を抱えたりしながら、時間はあっという間にたってしまって週末を迎え、泥のように眠って目を覚ました休日の朝には、自分でも笑ってしまうくらいゆっくりした所作で、歯を磨き、お湯を沸かし、コーヒーを淹れ、ソファーに腰かけ、テレビのリモコンに手を伸ばす。

 何もしない、何も考えない、本当に何もしないダラダラ日を意識して作ること、それは大切な健康法の一つだ。

 という事で、今日も僕は30分近くかけて歯を磨き、30分以上かけてコーヒーを淹れ、そのコーヒーを少しずつすすりながら、テレビの画面をぼんやり見ている。日本にいた時から、たいていの休日の午前中は、何かの勉強をするのを習慣にしているけど、はい、今日は何もしない、何も考えない、大切なダラダラ休日と決めたのです。

 テレビの画面には全く知らないサッカーチームの、全く知らない選手が、PKのゴールを決めて大喜びしている。僕は全く興味なくそれを、ぼんやり見ている。

 別にテレビを見て楽しむ必要もないのだ。もし楽しもうなんて「目的」を持てば、次の瞬間、面白い番組がないか僕は探し始めるだろう。それでは意味がない。目的は一切持ってはいけない。何もしない、何も考えない、をやるには、「しなくちゃ」を一切拒否する必要があるのだ。「楽しまなくちゃ」だって禁止である。

 そういやこの間、日本へ一時帰国したときには、なんだか久しぶりに日本のテレビ番組を見て、みんなもはやテレビの時代が終わったって言っているけど、いやいや、渾身(こんしん)の企画が満載の番組や、丁寧に取材されたドキュメンタリーとかもあって、まだまだ日本にはぜんぜん魅力的な番組は残っているじゃん、なんて思った。楽しもうと思えば楽しめる。ラジオが未だに消えてなくならず、実はたくさん可能性のあるコンテンツであると同様、テレビだって人々の素朴で地味な楽しみの一つとして生き残って行けるのでは?なんて考えている。

 僕は昔から、素人の家について行って生活ぶりを取材する有名な番組が好きで、この間の一時帰国中にも久しぶりに見た。

どこまでが本当かは知らないけど、真実も偽(いつわ)りも混在するのがテレビショーってことで割り切って観ているから気にしない。何しろ、しょっちゅう現れるのは、妻に先立たれ、いつまでも引きずる夫たちである。これは悲しいくらい頻繁にその番組に登場する。みんな最初は酔っぱらってベラベラ威勢よく喋りながら賑やかに自分の家に帰って来るのだけど、仏壇の写真を前にふっと真顔になり、急に寂しそうな表情に変わり、先立たれた妻の話を始めたりする。

 逆に夫に先立たれた高齢の女性たちは、生き生きしたシングル生活を謳歌している場合が多い。「優しい人だったネ」なんて亡き夫のことを語る時もちゃんと微笑んでいる。あんまり悲壮感はない。

そういや僕の母親も、父親が死んでからそのあと爆発するように、脈絡なくあれこれやりたいことをやり始め、生き生きとシングル生活を楽しみ始めた。強いよなぁ、人生のその瞬間瞬間に気持ちを切り替えて引きずらない人っていいよなぁ、って母親を見ていたものである。

生物として圧倒的に強いのは、パラノイア的に何か一つの為に必死で生きるやり方ではなく、スキゾ的にあっちこっちに楽しみを見つける生き方なのだろう。

 でも今日はテレビを見て楽しむ目的は、敢えて持たない。目的をもって何かを考えない。ただぼんやり見ている。そして画面の中ではまだ勝負のつかないサッカーをやっている。そう、PKが続いている。僕はコーヒーカップを手に、やっぱり、ぼんやりそれを見ている。

 そういえば昔はPKでサドンデスという言葉が使われていたが今は使用しないらしい。突然、勝敗が決まる、という意味だが、サドンデスでは「突然死」と直訳され、死というのはあんまり良くない言葉だから、代わりに「Vゴール方式」という前向きで明るい言葉を使っているらしい。

というのを、スポーツにあんまり関心のない僕は最近知った。

でもやっぱりPKってイメージはVゴールじゃなくサドンデスだよね。突然勝敗が決まって、敗れた側は、「あぁ、やっちまったぁ。オレのこの最後のプレーでみんなのこれまでの汗と涙に対する結果が決まってしまったぁ。マジかぁ、責任感じるよなぁ。死んでしまいたいくらい気まずいよなぁ」なんて、運動音痴の素人の空想では、まさに突然死というコトバの方が、イメージし易いのである。 

 ちなみに、僕たちロスジェネの老後はまさに「サドンデス」となるらしく、無事に会社を勤め上げ(それさえ難しいが)少々の貯金があったところで、国が将来「ゴメン、もう空っぽだから、年金とか保険とか無理なんだ。自分たちで頑張って」という政策に切り替えて行く以上、ちょっと大病して入院でもすればあっという間にその蓄えはなくなり、退院後の病み上がりでも生活のためにはバイトしながら食いつなぎ、とは言ったって老人の身体だから無理してまた病がすぐに再発して、なんてやっているうちに、もはや病院で治療を受けるお金がないんですが・・・ということで、「老後は大病して働けなくなったらその時点で詰む。サドンデス。それが自分たちの老後」という事になっている。

あぁ嫌だねぇ~、サドンデス。

でも僕たちの老後はサドンデス。

スパっと早めに死ねたもん勝ちなんだね、サドンデス。

なんだか「サドンデス」って名前のペットを飼っているみたいだけど、僕たちの老後はコイツ(きっと不安という名の猛獣)と上手に仲良く付き合っていかないといけないのだ。

 ところで、PKの成功率を調査した人がいて、まず、これで決まれば勝つという場面のシュートはゴールの確率が高く、逆にこれで外したら負けるんだっていうときのゴールの確率は低いらしい。そりゃそうだろう。同じ実力なら、前向きな場面の時にやるプレイの方が、やっぱり気持ちが乗って来るから、結果が出やすいはずだ。

そして、シュートを蹴るまでに時間をかける場合はゴールの確率が高く、逆に短くさっさと蹴る場合は確率が低いらしい。う~ん、これは、自信のある実力者はやっぱり落ち着いているってだけでは?と思ったけど、いやいや全員、プロとして食べている実力者なんだし、データは膨大な数に基づいていて、調査はしっかりしている。個人の実力差の問題ではない。

となると、やるのは決まってるけど、さっさとやらずに敢えて時間をかけて実行する方が、結果的にうまく行く確率が高いってこと?なんて考え始めた。

 何も考えない、なんてやっぱり無理だね。でも休日のこんな時間に、目的なくこんな他愛もない事を考えるのは楽しく、リフレッシュにはなる。

 さっさとやらずに敢えて時間をかけるというのは、仕事でそんなことをすると、一般的には生活残業するお荷物社員、みたいなイメージを想起してしまう。どうせやらなければいけない仕事をどうしてさっさと終わらせて行かないの?仕事が溜まって行っちゃうよ。なんて若手が先輩社員にこっぴどく怒られているのを昔はよく見たが(最近は日本ではみんなが戦々恐々として、お互い疑心暗鬼になっているから、誰も誰に対しても厳しくは叱らない)、PKのゴール確率の調査によれば、「さっさとやらずに敢えて時間をかけて実行する」方が結果がいいらしい。本当だろうか?

 利益を追求する、という目的に照らせば、臆病であることが非常に重要だ。

最悪を想定し、リカバリー対策は常に2つ以上を考え、今の状況がよくても(利益が出ていても)次の時代に乗り遅れるリスクを避けるべく、新しい変革に向けて急いでリストラクションを断行する(費用対効果の低い中高年をゴミ箱に捨てる)、それが経営の鉄則だ。

なんて要するに、役員クラスは全員、本質はせっかちで臆病な悪人だし、それだからこそ経営者として合格なんだろう。どしりと構えて肝が据わっていたら格好いいけど、あっさり会社が倒産して堂々と涼しい顔をされても困る訳で、ふだんからビクビクとコソコソと会社が続いて行く方法を考え続けているような人間が経営陣にいた方が、組織で働いている社員たちには有難いのである。

だから効率を求めるような業界での仕事で「さっさとやらずに敢えて時間をかけて実行する」は普通は駄目だろう。状況が悪くなる前に、新しい機会を失う前に、次々とジャッジして行かなければいけない。もちろん、クリエイティブな業界であれば事情は別かもしれないが。

 そして一方、仕事を離れ、一人の個人として人生を味わって行く上では、確かに「さっさとやらずに敢えて時間をかけて実行する」ほうが、ちゃんとゴールをするのかもしれない。スローライフって言葉が代表しているように、じっくり時間をかけて生活を味わう事で幸福度が高まるのをみんな知っている。どうせいつか死ぬのは決まっているんだけど、だからこそ敢えてさっさとやらずに、ゆっくり時間をかけて生きて行く方が、幸せな死に方が出来るのかもしれない。

 とはいえ、仕事はしっかり、プライベートはのんびり、なんておしゃれでメリハリのある生活スタイルは、なかなか一部の人間にしかできないのでは?と思うのだ。やっぱり性格に根ざす部分が大きいから、仕事でバリバリやる人間は、プライベートでもウザいくらい(家族に白い目で見られるくらい)目的意識をもって細かく休日の段取りを始めてしまうし、逆にプライベートで計画を全く立てず、行き当たりばったりで行動し、ハプニングをのんびりと心の底から楽しめる人は、仕事でもやっぱり、のんびり屋さんが多い。

 大昔(四半世紀前)に勤めていた会社にキムラさんという人がいて、当時既に40歳を過ぎていたけど、この人(もちろん万年ヒラ社員)もやっぱり、ゆっくりというか、だらだらと仕事をやるのが好きで、上司に毎日のように怒鳴られ(みんなの前で罵倒され)、それでも、のほほんとしている人がいた。プライベートは多趣味で、キャンプ道具に凝っていて、休日は電車に乗って、一人でキャンプしに山へ入って行くような人だった。

20代だった僕はこの人の鋼(はがね)のハートは学ぶに値するって見ていたけど、それ以外は仕事で学ぶことはないな、なんて相手はずっと年上だったのに友達みたいにナメた態度で付き合っていた。まぁ僕も人生経験が浅く、痛みを知らない若造だったんだろう。

「キムラさん、今日も課長にムチャクチャ怒鳴られてましたね」

「まあね。仕方ないよね。僕がタラタラやってるから怒っちゃったみたいだね」

「だいぶ怒っちゃってましたね」

「うん」

「で、その仕事、終わったんですか?」

「ううん、まだだよ」

「え?今から僕と一緒に飲みに行くんでしょ?」

「まぁ明日の午前中には終わらせるよ」

「でも明日の朝礼でまた課長に怒鳴られるんじゃないですか?」

「うん、だからその朝礼で午前中には終わらせますって言うつもり」

「・・・さすがです・・キムラさん」

てな具合で、東京の夜の街へ、二人で肩を並べて歩いて行ったものだ。

いつもニコニコしていて、鼻歌をよく歌う人だった。

生きていればもう年金暮らしだね。元気にしているんだろうか?

 ある時、僕が大きな失敗をした。不良品として隔離してあった製品が、僕の間違った指示で工場から客先へ出荷されてしまったのだ。もちろん先方は大激怒である。

僕のこの間違った指示にはキムラさんが一部関わっていたけど、圧倒的に僕自身のミスが原因だった。そのことを僕自身が一番よく理解していた。よりによって最も取引量が多い、会社にとっては一番大切なお客様を怒らせたのだ。

 営業課長に呼び出され、僕たちは罵倒に長時間耐えるしかなかった。今みたいに「やってしまったことは仕方ない。再発防止に向けて真因を把握してから本当に効果のある対策を、納期を決めて報告して下さい」なんて上司が部下に「ですます調」で話す時代ではない。お客からムチャクチャ怒られたじゃねぇかコノヤロウ、今から飛んで行って頭下げて、嫌み言われながら酒を飲ませないといけないじゃねぇかコノヤロウ、俺の週末が丸つぶれじゃねぇかコノヤロウ、誰がこんなバカをやったんだコノヤロウ、の延長線で罵倒されるのである。

「それボクが悪いんです」

「はぁ?」

キムラさんが進み出て、真っ赤な顔をしている課長に言った。

「要するにそれボクが悪かったんです」

僕は、えぇっ!と思ったけど、いやいや、どう考えたって僕のミスであって、僕が悪いんでしょう、ってその場で言えなかった。キムラさんの方を唖然と見ながら突っ立っていた。

僕は自分がズルいのではなく、きっと長時間残業でもう疲れ切っているのだと、心の中で自分で言い訳し、そうしてそんな言い訳を考えている自分が意気地がないと思った。

「要するにじゃねぇよ馬鹿。なんだよ、その言い方。謝って済ませて終わりじゃねえんだよ。なに?一緒に土下座しに行く?それくらいお前に出来んの?」

「いいですよ、山形の工場ですよね。ボク行きますよ」

「バーカ、お前みたいなの連れてったって、お客の機嫌は直んねぇよ」

キムラさんの銀ブチ眼鏡の奥の目が光ったような気がした。課長はそのあとも少しだけ罵倒の言葉を吐いてから、それから事務所を出て行った。アイツに僕の同期は毎日怒鳴られて潰され、アパートの自分の部屋から出て来れなくなったんだ。そんな奴だ。そして潰されて仕事を失っても誰も気になんかしない。

 そのあと僕たちはそれぞれの業務に戻ったが、僕は席に戻りながら後ろから追いかけ、キムラさんに小さな声で謝った。それくらいしかできない自分の卑怯さが惨めで、あの時「いやいや違います。僕が・・」と瞬時に言えなかった自分を責めていた。

キムラさんはいつも通りのほほんとしていて、その日に一緒に帰るバスの中で、「山形って別に行ってもよかったんだけどなぁ。あそこって知ってるかい。僕は若いころ行ったことあるけど、食いもんが本当に美味しくてさぁ」なんてニコニコ喋っていた。優しい人なんだなって思ったのを覚えている。

 そんなキムラさんは結婚せず、購入したマンションの部屋で一人で暮らし、料理を楽しみ、趣味のイベントに出かけ、時々は一人で山へこもってキャンプし、月曜日にまた会社に出て来て罵倒されていた。僕は若すぎて、相変わらずナメた口をききながら、キムラさんを見て、人生に何か目的を持っている訳ではなく、チマチマとその日を楽しんでダラダラ生きている中年のオジサンの一人なんだな、程度にしか考えていなかった。浅い付き合いだったけど、何より自分自身が浅いものの見方しか出来ていなかった。

「人生に何かの目的をもっていない」なんて仮に相手がそうだったとしても、そのことを軽蔑の対象にしてしまえる時点で、僕は本当の迷いも苦しみも知らない、要するに平凡な若造だったのである。

「で、君はこのまんまウチの会社で働き続けるの?」キムラさんが赤ら顔で僕に聞いた。

ここは新橋の小さな居酒屋の中だ。夕方から二人でやって来てハシゴして、もう3軒目だった。僕はここの店の里芋の煮物が大好きで、さっきからそればっかり食べてる。

「いや、ずっとではないです。だって卒業するときに就職活動したけど、他の連中と同様に片っ端から落とされて、でもそんな中、なんとか見つけた働く場所でしょ。今は働き続けてちゃんと食べて行かないと」

「悲しい若者だねぇ」

キムラさんがニヤニヤしている。

「そうですか?」

「若者ならほら、もっと大志を抱かないと」

「キムラさんも若いころ大志があったんですか?」

キョンキョンと結婚したいと思っていた」

「あぁ、そうですか。やっぱそんなもんですか」

「うん」

「・・・・・」

キムラさんは都内にある私大の法学部を卒業していた。司法試験の合格率が高いことで有名なところだったけど、本人は勉強なんかせず世界中を放浪して(当時、既にバックパッカーなんて言葉があったのか知らない)遊んでいたらしい。その後、出版社とか印刷会社とかいくつかの会社で働き、流れ流れて今の会社にいる。

「だってさぁ、こんな平和な国でさぁ、生まれただけで儲けものじゃん。そう思わない?」

キムラさんは僕の顔を見てずっとニヤニヤしている。

「いやぁ、でもここって貧しい国でしょう」

「でも美味しいもの食おうと思えば食えるでしょ?」

「まぁ、そうだけど・・・」僕は里芋の料理が入っていた椀の底を箸で突っついていた。もう何杯目か忘れたジョッキも空になっている。

「人並みに人生味わいたいって思うけど、なんだか自分たちってそれさえ出来る感じがしなくて、とにかくアレしなきゃ、アレが出来るようになっとかなきゃ、もっと頑張らなきゃってずっと焦り続けている感じなんですよね」

「可哀そうな若者たちだね。なるようになるんだよ、人生なんて。たった数十年だぜ。焦ってどうすんの?楽しんどきな。」

「そうですか」

僕は笑ったけど、心の中ではバブル世代の更にその上の世代(キムラさんたち)まで行くと、ノーテンキ過ぎて話になんないな、なんて思っていた。真剣に会話するほど阿呆臭くなって来る。

「次に行きます?」

「うん、そうだね。いいよ、ココは俺出すよ」

「ありがとうございます」

夜が更けて行く。店の外へ出ると、都会のアスファルトの上に立った僕の身体(からだ)を、さあっと冷たい風が包み込む。冷たさの中にもちょっと湿ったぬるいものが混ざっていて、あぁ、もうすぐ春なんだねって思った。

 こんな平和な国かぁって、夜のビル群を眺めながら、さっきのキムラさんの言葉を思い出す。確かに平和だ。何とかなるのかもしれない。が、僕はまだ若く、命がたった数十年であっても死ぬのはだいぶ先だと感じるし、それまでにどんどん食べて行くのが難しくなって、いよいよ「美味しいもの」が本気で食えなくなる時代がいつか来そうな気がしていた。

 営業課長に心を潰された同期の奴はもうアパートの家賃さえ払えなくなって、さらに風呂無しのところへ引っ越そうとしている。それだって自分で手続きが出来るわけでもなく、まだ付き合っている彼女が面倒を見てやろうとしているのだ。彼女はすっかり変わってしまったそいつと本当は別れたがっているが、真面目で誠実な人だから、無理に面倒をみようとしている。

彼女だって大学卒業後に派遣社員とアルバイトで食いつないでいるから、決して余裕がある訳ではないのだ。公務員試験を受けるために資格スクールへ通っていて、そのお金も必要だし。

 僕たちは何とかしなきゃの中でいつも焦り続け、問題を解決するための方法を考え、目標を設定し、目的の為に努力し、努力しても必ずしも目の前の門が開かれるとは限らず、そのまま歳を取って来た。

そうして、何十年もたって、真実はむしろこうだった。人生はいったん目的を持ってしまえば、それを実現する為に効率的にやろうと努力が始まり、目的に対する執着が強くなれば、最終的には目的はどんどん一つに集約されて、パラノイアックに「何かの為に」生き、その何かを失えば人は結局、抜け殻になる。

人生に目的を持つ、なんて実は悪夢の始まりなのだ。

厄介だなぁ。

面倒だなぁ。

でも、そもそも何かの為に生きるというのを一切しない、なんて出来るだろうか?

僕は考え始めた。

人の為でもモノの為でも、もし何かを生きる支えにしていれば、それは要するに目的とか意味をもって生きているということである。が、世界や人生や人間の命には目的も意味もないのが真実なのだから、さてその上で、「何かの為に生きる」ことを止めて、真実の世界を生きることが出来るのだろうか?

誰かを大切に思うことでさえ、それは執着(しゅうちゃく)であり、不幸の源(みなもと)の一つであるとブッダは言った。「何かの為に生きる」のが苦しみの始まりということだ。執着から苦しみは始まる。

 じゃあ逆に「何かの為に生きる」ことを本当に止め、目的も意味もない世界で生きてみせれば、僕たちは苦しみや不安から解放されるのだろうか?

本当に解放される?

これは2つの道がある。

 一つはジョーカーとして生きる道。意識して狂えばいいのである。意味もなく味わい、目的もなく奪い、意味や目的なく極端に走ることが力を持つことだと信じ、不条理の具現者として殺人者になればいいのである。

想像力の乏しい連中はこの道を選ぶことに心を奪われ、時々、街に飛び出して行ってひどい事件を起こし、あっさり捕まり、警察に連行される途中でカメラに向かってニヤリと笑ってみせる。が、すぐに自分が、大勢いる何ら個性のない凡人の一人だと気づくだろう。意味や目的がないという世界の真実に対して、神様の物語を作って抗(あらが)うことも、街へ飛び出して刃物を振り回し自らが不条理の具現者になることも、同じ道である。負け戦(いくさ)が確定した抗(あらが)いでしかない。意味や目的を全否定することも全肯定することも、不安や苦しみから解放されたいという強い願いを由来とする。

 そしてもう一つはダラダラノホホンと生きる道。何のために生きたところで意味なく、そもそも人生に目的はなく、それに気づきながら、かと言って極端に走らずに、ニコニコ笑いながらダラダラ生きる道である。

これはやはり肝(きも)が据(す)わっていなければ出来ない。忍耐力がなければ出来ない。少しくらい生活が貧しくなったからって不安になってはいけない。ブチブチと文句を言いながら笑って暮らして行けばいいのである。

でもそういう平凡な人が、平凡に生きて、「ま、誰だっていつかは死ぬんだしね」なんて平凡にガン病棟の病室でパジャマ姿で死んで行く様(さま)に、凄みを感じ、だから僕たちはそれでも生きて行けると信じられるのだ。

そして今の僕には残念ながらそんな凄みはなく、肝が据わっておらず、きっと自分の命が短いと知れば怖気づき、自分の大切な人の命が短いと知れば生きて行けないと毎日、泣き叫び続けるだろう。そんな気がしている。

 さて、このダラダラノホホンと生きる道、にはやっぱりちょっと秘訣があって、「完全には」何かの為に生きることを止めない、というのが大切なのかもしれない。

生きている人間が、そんな達観した超人みたいな人になる必要はなく、達人たちはちょこちょこお酒とか煙草とかムダ遣いとか、しょうもないことも含めた日常の些細な楽しみを、それほど熱心ではないけど、ちょこちょこ楽しみにしながら生きているのだ。

まさに意味も目的もなく死ななければいけないと分かっているのに、ダラダラと時間をかけて生きる、そんなダラダラのコツみたいなもんだ。そういう風にも見える。

 それは充実した人生を送りたいとか、意味のある人生を送りたいとか、人よりいい生活をしたいとか考えて、常に何かに向かって一生懸命に取り組む姿勢とは、全く正反対の生き方だ。だから、そのまんま子供達には教えたり、勧めたりする訳にはいかない。だってそれは、子供たちがまだ見てはいけない、世界の真実の一部だからだ。

 今になって思い返せば、あのキムラさんはきっとそういう人だった。

勿論、生まれた時代がよかったのかもしれないけど、彼はまちがいなく幸せそうだった。お酒も好きで、煙草も好きで、競馬も好きで、麻雀も好きで、女の子も好きで、料理も好きで、キャンプも好きで、釣りも好きで、でもそれらをちょこちょこ好きなだけで、何か一つにのめり込むことは決してせず、善良に生活し、いつものほほんとしていた。きっとダラダラノホホンの達人だったのだ。ひょっとすると学生時代に世界で放浪中に、彼は何か大切なものを見つけたのだろうか?

 でもとにかく「人生に何か目的を持っている訳ではなく、チマチマとその日を楽しんでダラダラ生きている」なんて、実は軽蔑の対象ではなく、尊敬すべき対象だったのである。それが分かるのに僕は25年もかかったという事だ。それこそ阿呆臭い話である。

 平凡な市井の人々の生きざまと死にざまこそが、真実なのかもしれない。この歳になって、僕はしみじみそう思うのである。

 突然、PKは結果が決まった。まさにサドンデスだ。シュートを外した選手が頭を抱えている。一方、その直前にシュートを決めた相手チームの選手は飛び上がって大喜びだ。

子供のころから才能を発揮し、サッカーの英才教育を受け、朝から晩までサッカーを中心に生活をし、しかも幸運なことに結果が付いてきたから今の彼らがあるのかもしれない。

サッカー以外にも既に生きがいがあるといいんだけどね。現役を降りた瞬間に、スポーツ選手が急に多趣味になる場合は多い。それは、勿論、本人たちが口を揃えて言うように、それまでやりたくてもやる時間がなかったからかもしれないけど、同時に、色々と目的を持たないと、一種の大きな喪失感から逃れられないからかもしれない。

 という僕だって、何もしない、何も考えないって決めたはずなのに、ソファーで考え事をし始め、結局、洗濯とか掃除とか、一日の段取りを考えているのだ。上海に受けに行く語学試験の準備とか、来週の仕事の段取りも考えている。

常に目的を決め、効率的に処理する為に考えをめぐらすなんて習慣は、何十年もやって来て簡単に抜けることがない。それは組織で実務者として働く上では都合のいい素質だろうが、そのことが必ずしも幸福に結びつく訳ではない。敢えて「スローライフ」って口にしなければ行けないところに、そうすることの難しさと人生の無理が見え隠れしているのである。

 だからやっぱり、僕はこのままパラノイアックに「何かの為に」生き、いつかその何かを失って抜け殻になるのかもしれない。

そう、いつか大切な人の遺影の前で遠い目をしてテレビのインタビューを受けるのだろうか?

上手に生きないとね。キムラさん。

上手に相手するよ、サドンデス。

 異国で一人で過ごす休日が、またこうして過ぎて行く。

あ、サックスの練習したいな、まだ吹けないフレーズがあって、そこを吹けるように今日は練習しなくちゃ、って「しなくちゃ」に思い当たり、いかんいかん、僕はもう一度ソファーに深く腰掛けた。ダラダラノホホンって難しいんだね、やっぱり。でも色んなことに興味を持つってのはいいことか、なんて独(ひと)り言(ご)ちてみた。

 25年前の新橋に吹いていた春風を、僕は今、思い出している。あれから25年もたってしまった。

そして僕がいるここはまだ、なかなか冬の明けない遠い遠い異国の田舎町である。

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