失われた世界を探して

ロストジェネレーションのしみじみ生活

雨の季節の合間に久しぶりに太陽を浴びて散歩しながら、子供時代の記憶をたどって「宝物はなんですか?」って自分に問いかけてみたこと

2024/04/21

 あっという間に春が来て、もう雨季だ。僕が住むこの異国の地方都市は、海から遥か遠くに離れた内陸にあるっていうのも関係していると思うけど、春と秋がもの凄く短い。

むっちゃ寒くて、それが3月まで続いて、あれれ、急に20度以上も暖かくなったぞ、花が咲いたぞ、って1週間もしないうちに、4月からは蒸し暑い雨季が始まる。さわやかな春の日なんてほんの数日しかないのである。そしてその長い雨季が明ける6月くらいになると、あの強烈な日差しが降り注ぐ40度越えの夏がやって来る。で、それが10月の前半まで続いて、そこからまた、あれれ、急に20度以上も寒くなったぞって、言っているうちに寒い寒い冬がやって来る。

 なので、日本には四季があり、なんたって、最高に過ごしやすく世界が美しく見える季節、そう、春と秋がしっかり数週間もあるというのが、本当にいい国だなぁと思うのだ。

そこに住む人々は狭い生活世界の中で牽制(けんせい)の仕合いをやり続けていて、あんまり幸せそうな人が多くはいなさそうだけど、国の外へ出てつくづく思うのは、日本という国の格別な自然の美しさと、それを映えさせる四季折々の気候である。あの国って一年中、どの季節だって風景は世界で一番美しいんだけどなぁ、なんて思い浮かべている。

 という訳で、僕はこの遠い異国の地にあって、ジメジメした雨続きの日々の合間に、ちょっと一瞬太陽が見えると、なんだか貴重に感じて嬉しくなって、休日にそんな日が重なったりしたら、意味なく街を歩いてみるのだ。別に何があるわけでもない。近所に美しい風景がある訳でもない。何を買うわけでも、何かを食べに行くわけでもない。ただ久しぶりに太陽の下を歩きたいだけである。

 で、プラプラ歩いていてたまたま見つけたのが「古玩」と書かれた看板の店だった。正確にはそういう看板を掲げた店が集まった界隈だった。「古玩」って日本語で言うところの骨董品のことであり、そこは骨董品店が軒を連ねた場所だったのである。

 特に興味ないけど行ってみる。明代の茶器とか、清代の絵画とか、本当かウソか(たぶんウソ)唐代の彫刻品とか、所狭しといろいろ雑多に並べた店がずっと向こうまで並んでいて、店先にちょっと立ち止まろうものなら、奥から店主が出てきて、これはすごいぞ、お値打ちだぞ、滅多に手に入らないぞ、もっと安くしていいぞ、なんて賑やかにセールストークを始める。

 で、こっちが外国人だと分かると、ちょっと黙ってズルそうな顔で一瞬考え、何も言わずに店の奥へ引っ込むか(あ、ダメだ、冷やかしの外国人だ)、もしくはさらにエスカレートして店の奥にはもっととっておきのお宝が置いてあるから見て行け(外国人なら金持ってるかも)と誘い始めるのだ。

 僕はニコニコして手を振り店を後にする。この国の骨董に特に興味はない。興味があるのは、この場所が結構賑わっていて、地元の人がみんな熱心に「お宝」を探しているっていう点だ。どういうのが人気なんだろう?素人なりに真贋(しんがん)をどうやって見極めているの?なんて誰かと会話してみたくもなった。

が、今日は一人で散歩し、一人で考え事し、ゆっくり家に帰るつもりだ。久しぶりに目にする太陽が眩しい。

「宝物はなんですか?」

って何だか歌の歌詞にありそうだけど、その軽快なリズムよろしく、僕は「たからもの」という言葉の響きが好きで、子供のころからその言葉の響きに紐(ひも)づいたいっぱいの思い出がある。家人も大好きな「ちびまる子ちゃん」の世界にだって、そういう「たからもの」を、人生を楽しく幸せに生きる為の大切なツールとして扱っているところがあって、だから僕もあのアニメは大好きだ。

 幼稚園時代や小学校の低学年の頃、僕の宝物は手作りの石器だったり粘土で作ったニセの化石だった。

 まず石についてだけど、3つ年上の兄貴の影響で、石を金槌(かなづち)で割って石器を作り、それを土産物のチョコレートが入っていた缶(よくある話だけど、それが僕の宝物箱だった)に入れていたのだ。兄貴は子供のころからおませというよりちょっと変人で、本で読んだこと、例えば、昔の原始人は石を割って矢じりを作ってそれを木の枝に括り付け矢にしていた、なんて知ったら、それを自分で作って検証してみる人であり、それを何も考えずにマネしてみるのが弟の僕だった。

兄貴は実際に矢じりの形を上手に作って木の枝にタコ糸で括り付けていたけど、そして、枝に括り付けるには根元を細くする必要があるので上手に石を割らないといけなかったけど、幼稚園児の僕にそんな事が出来る訳もなく、ただ丸い石を拾ってきて金槌で叩き、半分割れて鋭くなった側面を手で触れて、何か特別なものが出来たみたいで感動して大喜びしていた。

「それは矢じりじゃなくて、石包丁ってやつだ」

「イシボウチョウってなに?」

「母さんが料理するときに使っているやつだよ。石だけど、あれと一緒」

兄貴が教えてくれた。

それはそれで立派な石器なのだという。本当はもう一回、反対側を金槌で叩いて割って石の先を尖らせないと矢じりにはならないのだけど、僕はそんな兄貴の言葉に勇気づけられ、もっとカッコいい、形のいい石包丁を作ることにした。もう一度、近くの河原へ走って行って、もっと黒光りする、割った時に見栄えのいい丸い石を探したかったのだ。

 当時はテレビアニメの「はじめ人間ギャートルズ」をよく見ていて、原始人の主人公ゴンやそのパパたちが、石槍や石斧のような武器を使って、マンモスと戦っていた。幼稚園児の僕は、ゴンたちになり切ったつもりで、お気に入りのものが出来るまで石を割り続けていた。

 小学校に入った時には、帰り道に道草しながら家に帰り、宅地造成の工事現場で見つけた粘土質の灰色の土の塊をよく持って帰って来た。それに庭にあった楠(くす)の葉を強く押し付けて葉脈の型をとり、押し付けた葉の周囲を金属の棒で削って形を浮き上がらせ、そのあと太陽に当てて数日乾かせば石みたいに硬くなり、「道で拾った葉っぱの化石」なんて大ウソの自慢の宝物が完成し、友達に見せることだって出来る。

 ちなみに、この粘土質の灰色の土は柔らかくて加工しやすくて、母親の誕生日にこれを使ってペンダントを作ってプレゼントしたら、ムチャクチャ喜んでくれた。

土ったって柔らかいブロックみたいに塊になっているから、それを公園の駐車場のコンクリートで擦って削り、小さな薄っぺらい八角形にまで削ってから、やっぱり太陽に当てて乾かす。そのあと、木工用ボンドに絵の具を混ぜたものを使って、ベースを黄色に、その上に赤や青や緑の模様を置いて(爪楊枝で色を置いて行くかんじ)、出来上がったらまた数日太陽で乾かす。あとは親父の大工道具箱から錐(きり)を取り出して上部側面に穴を空け、そこに釣り糸を通せばペンダントが完成だ。

 母親の弾けるような笑顔を覚えている。息子の手作りのプレゼントを見て、本当に嬉しそうだった。

自らの思いを投影した創作は、それがいつか形を失っても思い出として残り続ける。

 そして「たからもの」は小学校の中学年になると、キン肉マンの消しゴムやガンプラに移り、素朴な手作りのものではなくなって行った。

 でも、ガンプラだって人それぞれ、うまい下手もあるけど、他のモビルスーツのパーツを使って改造とかしたり、テレビとは全然違う色使いでカラーで塗ったりしながら、自分だけの「たからもの」に仕上げて行ったのだ。

 放課後、友達の家にみんなで上がり込んで、それぞれ持ち寄った自分の製作中のガンプラを取り出し、その色ちょっと俺に使わせろよ、なんてカラーの取り合いをしながら、出されたお菓子を食べながら、そしてスター・ウォーズレーザーディスクを見ながら、製作に熱中し、たくさん遊んだ。

 さらに年齢を重ね、小学生の高学年になったら、僕の宝物は自分の小遣いで買った文庫本になった。或いは買ってもらったハードカバーの書籍だった。

 毎年夏になると各出版社から出される「100冊」の案内冊子(書店でタダで貰える)は、紹介する100冊の表(おもて)表紙の写真の下にあらすじが書いてあって、僕はそれを何度も読み返し、それもやっぱり宝物として引き出しにしまった。

明日は書店へ行ってあの文庫本を買いに行こうって決めた時の高揚感は、今も覚えている。

 そして誕生日に買って貰った分厚いハードカバーの小説の、最初の1ページ目を開いた時に香る、あの真新しい紙の匂いと、これから新しい世界へ自分が引き込まれて行くであろう胸の高鳴りも、まだはっきり覚えている。

 本って、それ自体は紙きれの集まりだし、誰が読んだって同じ文字なのだから受け身に思えるのだけど、実は同じ言葉が、読み手の思いによって全然違ったものになる不思議があり、同じ読み手であっても、その時々の思いによって全然違った意味になる魔法がある。なので読書だって一種の創作だ。

 そして中学生の時に持っていた宝物で覚えているのが、古い腕時計だった。これは母親が一時期、家政婦として働いていたお金持ちの老夫婦の家から譲り受けたものだった。

その老夫婦は、もうだいぶ高齢になったということで、二人だけで生活するのは危ないって言われ、東京にいる息子の家に引っ越すことになり、その際、母に選別をくれたのである。

 僕たち兄弟も普段からその老夫婦に大事にしてもらっていたから、最後の日に家の中へ招待され、ご飯(特上の鰻)をご馳走になり、家に残っているもので欲しいものがあれば持って行くように言われた。

兄貴は大量の古書を譲り受けていたみたいだけど、僕はベルトの壊れたその小さな古い腕時計を貰った。昭和初期に作られたって聞いたから、相当に古い代物(しろもの)だった。箪笥の上にぽつんと置いてあったやつだ。ベルトは壊れていたけど、ちゃんとリューズを手で巻けば動き出し、耳を当てるとチッチッチッと小さな音が聞こえる銀色の腕時計だった。

 持ち帰った僕はそれが本当に気に入ってしまって、勉強の途中で何度も机の引き出しから取り出して見ていた。戦時中は青年将校だった老人の持ち物だったから、ひょっとすると持ち主と一緒に、それは海を渡って南方の異国の地へ渡った経験があるのかもしれない。ひどい惨状や、恐怖や、憎しみや、平時では想像できない残虐さや、だからこそ人間の真実を、持ち主と一緒に見たのかもしれない。そんな想像をしながら、僕は眼鏡用のクロスでその腕時計をピカピカに磨いていた。

 高校生以降の「たからもの」はなんだっただろう?

あれ?思い出せないぞ。

ちょっと考える。

あぁ、ものではなくなったんだね。

人格形成がほぼほぼ完成し始める思春期の最期の方からは、「たからもの」は目に見えない、手で触れられないものになったのだ。

 大好きだった初恋のあの子。雨の日の寂しそうな後ろ姿。図書館で勉強する横顔。笑った時に浮かぶ口元の右側のえくぼ。その残像は、ありきたりだけど、今も鮮明に覚えている僕の宝物だ。

 大学生以降の宝物。もうそれは青春のど真ん中の話だから、楽しかった思いも、苦しかった思いも、稚拙(ちせつ)な迷いも、全てが宝物だ。20代に経験したその全ての記憶が糧(かて)となり、今につながっている。

 そして半世紀を生きてしまった後の今の僕の宝物。それは何だろうか?

「これは宋代の牛の飾り物だ」

怪しげな店の前で、あご髭を生やした色黒の店主が突然、僕の目の前に立ちふさがり、手のひらに乗せた小さな飾り物を、差し出して見せた。

小さな牛の飾り物だった。濁った茶色をしていて、素材が銅製っぽく見えた。

店主は鋭い目つきで僕を見つめ、生活の為にお金を稼ぐべく、戦おうとしている。

「何の飾り物だったの?」

「いろいろ」

「いろいろって?」

「昔は腰にぶら下げるひょうたんの蓋につけたりしていた」

「ひょうたん?」

「そう、昔は水をひょうたんに入れて水筒にしていた」

「その蓋のストラップってこと?」

「その通りだ」

「いくらなの?」

「1,000元(2万円)」

「無理無理、いらない」

「900元」

「ムリムリ、いらない」

「800元」

あご髭の店主は最終的に半額の500元まで下げたけど、それでもいらないって僕が言ったから、諦めて道を空けてくれた。

 あんなちっぽけなものが500元(1万円)以下には出来ないってことは、ひょっとすると本物だったのかな?なんて考えたけど、どうせ真贋(しんがん)なんてぜったい見抜けないよなぁ、買っても一生、それが本物かどうか分かんないまま、机の引き出しに眠るんだろうなあ、なんて思った。

鑑定団に出す?まぁそれも思い出かもしれないけど、今日の僕の目的は太陽の光を浴びて散歩することだ。たまたまだけど、僕が部屋のカギ用に付けているストラップ(まさに牛のストラップ)にあれはよく似ていた。カギを無くさないよう適当にスーパーで買って来たやつで、古めかしいデザインだけど、だからちょうどあれによく似ていた。

 僕は歩きながら、とにかくあの店主は、ひどく痩せていて肌が不健康に黒ずんでいたなぁ、って思い返していた。苦しい生活をしているのかもしれない。

 ところで、骨董とヴィンテージの違いってなんだっけ?とふと思ったから、あとで部屋に帰ってからネットで調べてみたら、骨董は100年以上の昔の美術品、アンティークは100年以上の昔の実用品、ヴィンテージは100年はたっていないけど20年以上前の実用品、と書いてあった。そうなんだ、そうすると僕がコツコツ買いためて書斎に大事にしまってあるクラシックカメラとか、生まれ年と同じ年齢のオメガとか、1943年製のコーンのサックスとか、要するに全部ヴィンテージなんだ。逆に100年以上も前のものなんか持っていないから、骨董やアンティークには縁のない人生だったんだね。そう思った。

 古いものを愛する、というのはそれぞれの理由があるのだろう。そのデザインの美しさに魅了されるのかもしれないし、実用品であれば、これまで使用していたであろう人々の生活や人生に思いを馳せて想像を楽しむからかもしれない。投資目的の人もいるだろうが、それはもはやビジネスであり、個人の趣味ではない。

個人的に古いものを集めている人々は、僕も含め、時々、自分の部屋の「宝物箱」からそれらを取り出して、眺め、ニヤニヤしたいのである。もちろん、実用品であれば、その上で実際に使用して、現代の製品では味わえない感覚を楽しんでみたりもする。

 メーカー勤務というのは、給料が安いけど土日はちゃんと休める、土日の為に平日を頑張るという場合が多く、僕も若いころからその類(たぐい)の人間だった。

だから金曜日の夜はいつも楽しく、特別だった。夕方以降、居酒屋で過ごし、友人たちと馬鹿話をしながら酒を飲んで、ほろ酔い加減で自分の部屋に戻り、シャワーを浴びて、エアコンの冷たい風にあたりながら、クローゼットに収納してあるカメラBOXを持って来て、ついでに冷蔵庫から冷えた缶ビールを持って来て、BOXの蓋を開け、数十年前に製造された美しい工業製品(機械式フィルムカメラ)をニヤニヤ眺める。

ビールをちびちびやりながら、ニヤニヤ眺めるのである。

人によってはそれが腕時計だったり、ミニカーだったり、フィギュアだったり、古着だったり、貴金属だったり、いろいろなんだろう。

でも週末にリラックスした自分だけの時間の中で、宝箱の蓋を開け(開けるのはクローゼットだったりコレクションケースかもしれないけど)心が解放される瞬間は、サイコーに幸せで、それはまさに宝物の効用なのである。あぁ、この瞬間のために、ウンザリする仕事に耐え、アッタマ来るバカ上司に毎日、オレは耐えているんだよなぁ、単にご飯を食べて電気代とか家賃を払うためだけじゃないんだよなぁ、なんて考えるのである。

 人は自分の生活に意味を与えるものに価値を見出し、自分を励まし、死へ向かって時間をなんとか潰して行ける。 

 さて、半世紀を生きてしまった後の今の僕の宝物。それは何だろうか?

 この問いは、自分が今を生きている意味を問うに完全に等しい。たった今この時点で、生きるに値すると思える理由が、この世にどういう形で残っているのか?それと同じ質問である。

僕の今の宝物。

 異国の地での生活は、仕事だけの生活だから、もちろん部屋に宝物なんて置いていない。全部、日本の家に置いてある。だから一時帰国した時に、一人で書斎で過ごす時間に、やっぱり「あぁ、久しぶりにアレを眺めてみたいなぁ」なんてゴソゴソとクローゼットの奥から「宝物」を取り出して来るのである。そんな時間を持つのが帰国時の何よりの楽しみだ。

 そして普段一緒に過ごせない分、ささいな事でいい、家人と朝、一緒に寝坊して、一緒に歯を磨き、一緒にすき家へ行って、ぎりぎり間に合った朝定食を食べる、一緒に味噌汁をすする、そんなので物凄く幸せな時間が過ごせるのである。

 そして自分が育った町の懐かしいあの風景。それをぼんやり眺めながらのんびり散歩する時間。それは短い帰国中にゆっくり流れる時間であり、日本が美しい国だったと改めて感じる時間だ。

「宝物はなんですか?」

 きっといっぱいあるのである。そしてさっき、子供時代の宝箱や、石器や、手作りのペンダントや、母親の笑顔や、ガンプラや、今はもうだいぶ古ぼけた文庫本の背表紙や、初恋のあの子の横顔や、20代の迷いや、それら全てを鮮明に思い出したように、いつか何十年後かに老人になった僕は、今の僕の人生の宝物が実際には何であったのかを、はっきりと思い出すのだろう。そんな気がするのだ。

 散歩から帰る途中で太陽が雲に隠れ、部屋に戻ってきた直後に外は完全に曇り空に戻っていた。

今は窓の外は雨の風景だ。雨の季節はまだまだ続いて行く。

僕はこの雨を降り注ぎ続ける異国の灰色の空を、じっと一人で部屋の窓から見上げている。

宝物はなんですか?

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