街にはクリスマスソングが流れ、行きかう人々の表情もなんだかウキウキしていて、というのは昔の話で、地味な感じの年末だなぁ、なんて思いながら歩いている。だいたい、みんなマスクしていて、街を行きかう人々が笑っているのか、泣いているのかよく分からない。人々はなるべく集まったりしてはいけないし、なるべく直接触れ合ってはいけないのである。会話もディスプレイ越しが望ましい。という具合の昔はSFの設定以外になかったような時代に、幼少期や思春期や青春を過ごした人たちが、我々の数十年後の老後を支えることになっている。いや、支えないだろう。感情なくゴミのように捨てるかも。自分たちだって貧しいし、別に年寄りだからって尊敬できるわけでもないし、そもそもアイツら生産性が低いし、みたいな感じで。
来年あたりから、「大学時代にサークルとか入る機会なかったですよ。講義も大半がリモートだったし、飲み会なんて高校時代の友人数人とオンラインで時々やったくらいですね」みたいな人たちが、新入社員としてやってくる。昭和から本質的には脱却できていないこの組織や社会にだ。もはや世代間の価値観の違い、とかいう次元の話ではなく、宇宙人との交信くらいを想定しておいた方がよろしい。
クリスマスというと、恋人と過ごす、というのが定番なのは、バブル真っ盛りの商業戦略が当たった日本くらいのものである。海外ではたいていクリスマスは家族と過ごすのが定番だ。恋人と過ごすなんて強迫観念は全くない。
「いやいや違うでしょ。サンタの服が赤いのはなぜか知ってる?あれはキリストの血の色だぜ。要するに愛と寛大さとそれを支える絆(きずな)を意味しているんだ。なので俺は今から、愛と寛大さをもって(相手は誰でもいいから)、キズナを求めに行く(ナンパしに行く)」
なんてイヴの夜の街へ飛び出して行った不届き者の同僚がいたが、今はちゃんと家庭を持って、良きパパとして子供のもとへ帰って行く。今ごろサンタの恰好でもしてプレゼントでも渡しているのだろうか?築いた家族との絆(きずな)を大切に、それを守り抜くために、毎日頑張っているんだもんね。
ジングルベル、ジングルベル、鈴が鳴る♪
僕はバブルが崩壊してすっかり暗い時代に入ってから東京で青春時代を過ごしたが、それでも且つての栄光とウキウキ感がまだ世の中に残っていて、失業率が高かろうが、大卒のかなりの人々が就職できずにフリーターや派遣社員で働いていようが、「クリスマス」となると、町中にジングルベルが流れ、なんだかみんなソワソワし出して、なんだかみんな人恋しくなる雰囲気だった。
恋人がいない場合?
つくればいい。つくる機会にしては?気になっているあの人をイヴに食事に誘っては?みたいな雰囲気があって、まぁ要するに、社会の人口のまだ大きな比率が若かったのである。前述の同僚も、そして僕もまだ若かった。
そして、人恋しさを解決する手段はまだまだアナログで、相手の顔を見て「直接」伝えるのが常套(じょうとう)だったのである。何かのツールを使ったりそれを通して間接的に伝えるのではなく、相手の目を見つめ、相手の吐く白い息を見つめ、そこから一緒に飛び出してくるコトバをしっかり受け止め、自分は自分の口で相手に「直接」伝えるのである。
勿論、仕事でもオンラインで何かをするのは特別な時だけだった。普通は直接人に会い、人と触れ、人と衝突し、人と語り合い、人に思いを伝え、人と一緒に歩いて仕事をしていた。
だから、プライベートで過ごす時間は、携帯電話で誰かと長時間話すこともあったが、お金かかるし、散々携帯電話ごしに喋ったけど、結局、部屋を飛び出し、電車に乗って逢いに行き、直接顔を見て、直接話をして、直接触れた。そんな時代である。直接逢いに行く途中で乗った電車の、窓に映る自分の顔、その向こうに見えている電飾(イルミネーション)で飾られた街の風景、高揚感と焦燥感が入り混じった表情の、そんな若い頃の自分の姿が、記憶の片隅に残っている。
さて、とは言っても、仕事が大変で、マジで忙しくて、プライベートとか恋人とか言っている場合ではなくて、アレ?、今年のクリスマス・イヴ?、きっと普通の金曜日で、きっと普段通りサービス残業して深夜に家に帰って、やっと寝れる!みたいな感じなんだけど、みたいな場合も多かった。
「今から遊びに行くけど、一緒に行かない?」
夜の9時。
週末だから工場は夜勤もなく稼働が止まったけど、管理事務所はガンガン明かりが灯っていて、僕はそこでPCに向かってひたすら数字を打ち込んでいた。若者は、あくまで擦り潰して使う消耗品だった時代の話だ。
帰り間際に声を掛けて来たのは3つ年上のカオリさんという女の人だった。工場で現場で作業者として働いていて、確か青森出身で何年か前に上京して来た人だった。酒が滅法強く、目が丸くて色が白く、いわゆる東北美人だ。が、ガラが悪かった。十代の頃は車やバイクで町中を蛇行する同好会?の類に入っていたらしい。結婚、出産、離婚という定番のコースを経て、上京後、今の会社に入った。
この前の会社の懇親会でたまたま席が近かったので、「直接」たくさん話す機会があり、二次会も一緒に行って、酔いが回るにつれ色々と話をしてくれたのである。
結婚はしたが旦那が博打好きで、あっちこっちで借金を作って来たこと、子供に暴力をふるうサイテーな奴だったこと、でも旧家の出身で、義母が何かとやたら出て来て上品ぶって自分に説教して来るのがムカついたこと、結局、我慢できず離婚して子供を抱え、逃げるように上京して来たこと、上京したけど仕事がなかったこと、昼間のバイトだけでは子供を託児所に預けるお金とアパートの家賃を払うお金が稼げず、風俗店で働き始めたこと、風俗嬢をしながら子育てしている事がバレて、青森から義母と自分の両親がやって来たこと、そのあとの喉の奥に釘を一本ずつ刺して行くような家族会議。
子供は結局、青森に義母が連れて帰り、今は旧家の将来の大事な跡取りとして、元旦那と一緒に暮しているのだと話していた。カオリさん自身はそのまま東京に残り、風俗の仕事は辞め、バイトだけど工場で普通の仕事をして、運送業をやっている彼氏と阿佐ヶ谷で一緒に暮していた。
「あれ?彼氏がアパートで待っているんじゃないですか?」
「いやそれがさ、向こうが今日は夜勤で朝まで帰って来ないのよ。今から飲みに行くから一緒に来ない?」
僕はデスクを見回し、山積みの書類と、結局まだまだ終わりそうにない入力と、月曜日に必要な資料の作成はどうやったって土日にココへ来てやるしかないぞ(もちろん無給)というのを思いめぐらし、今日はもう遊んじゃえって思って、「行きます」と笑顔で答えた。
何十年も前の、寒い寒いクリスマス・イヴの夜の話である。
カオリさんの飲み方は豪快だった。最初の一軒こそ、上野のもんじゃ焼き屋でジョッキ片手に大人しく食べてビールを飲んでいたが、その後はどんどんテンションが上がり始め、居酒屋を2件、3件とハシゴし、日本酒、焼酎、ワイン、何でもござれでドンドン飲み続けた。
ハシゴの合間に冬の夜の冷たい風が一瞬、身体を包み込むと、酔いがいい感じに醒めて行き、また次のアルコールを求めて、二人でヨタヨタ肩をぶつけながら通りを歩いて行く。
カオリさんはずっと大声で上機嫌に喋り続けていた。現場の作業の話、意地悪なバカ主任の話、今の彼氏がさすが運送業で肉体労働しているだけあって脱ぐと筋肉が隆々(りゅうりゅう)である話、同じ作業者の山岡ちゃんは実はそんなバカ主任と不倫しているという話、故郷の青森の冬は雪に閉ざされ、その空気の凍るような冷たさは非情なもので、こんな東京の冬の寒さなんて寒さのうちに全く入らないという話、そして大好きだったバイクの話。
時々、隣のテーブルに座っているサラリーマンの集団や、学生たちのサークルの飲み会にもいきなり大声で話し掛け、あれっトイレからなかなか戻って来ないぞと思って振り返ったら、ずっと向こうで全然知らないお爺ちゃん達と一緒に馬鹿笑いして飲んでいた。僕を見つけると、手招きして「アンタもこっちへ来てこの人たちと一緒に飲もうよ」と叫んでいる。
そんな感じでクリスマス・イヴの夜は更けて行き、終電間際の時間になった。
「ねぇ、今から自由が丘へ行かない?」
「えっ?今からですか?」
「うん、面白い店知ってるんだ。遊びに行こ」
自由が丘なんて山手線の反対側を越えたところだし、昼間は上品でおしゃれなイメージしかなく、こういっちゃ失礼だけど、この人とあんまりイメージが結びつかないんだけどなぁ、なんて二人で電車に乗った。そして駅前に着いた時には既に終電なんてない時間だった。
「行くよ」
カオリさんは相変わらず上機嫌だ。どんどん前を歩いて行く。
その時まで知らなかったけど、自由が丘という街は色んな顔があって、夜は夜で、もちろんおしゃれなバーも軒を連ねているけど、ちょっと行けば昭和感が満載のスナックやパブがたくさんあって、僕たちはその中の一軒(雑居ビルの中)に入って行った。
そこは、いわゆる「おなべバー」だった。その辺りの男連中なんかよりよっぽどイケメンの元女性たちがずらりと並び、一緒にお酒を飲み、客と一緒に歌っていた。
カオリさんはお気に入りのスタッフを指名し、一緒に酒を飲み始めた。僕はというと、そんな店は初めてだったし、もしシラフだったら少しくらいはドギマギしていたのかもしれないけど、既にだいぶ酔いが回っていたから、普通に「乾杯!」って一緒にグラスを合わせ飲み始めた。カオリさんがマイクを手に当時流行っていた「亜麻色の髪の乙女」を歌い始める。雪国の人はむちゃくちゃ歌が上手いや、なんて、僕は飲みながらムニャムニャ言っていた。カオリさんのお気に入りのハンサム君は、気を遣って僕に笑顔で何かを話し掛けてくれている。
隣のテーブルでは別の女性客がスタッフに肩を抱かれながら酒を飲んでいた。夢見心地という表情でワインを飲んでいる。「仕事が終わって店からすぐにここへ逢いに来た」とか言っているから、服装とか持っているブランド物のバッグを見る限り、水商売でもしているのだろう。仕事でモノとして扱われる代償を、刹那的であってもここにある優しさで贖いに来ているのかもしれない。
「テメェ、ふざけんなよ!」
いきなり掴み合いが始まった。
僕はちょっとお腹がすいて来たので、頼んで出て来たグラタンをスプーンで一生懸命食べている最中だった。なんだなんだって顔を上げると、すぐそばでカオリさんと、さっきまで夢見心地の顔でワインを飲んでいた隣のテーブルの女性客が取っ組み合いをしている。
どうやら歌っているカオリさんを見て、隣のその客がクスクス笑ったのが原因らしい。馬鹿にされたと思い込んだカオリさんが、掴み掛かって行った。スタッフたちが二人を引き離し、優しい言葉でなだめ、上手に距離を離し、また喧嘩が始まらないように別のテーブルへそれぞれを案内する。その辺りは日常茶飯事の業務だろうから慣れたものだ。僕も立ち上がって、グラタン皿とスプーンを手に、食べながら新しく用意されたテーブルの方へ歩いて行った。新しい席につくと、カオリさんは僕にイザコザを起した事をちょっと謝って、それから、アイツがトイレに行ったら自分も後から入って行ってボコる、なんて息巻き、やっぱりスタッフになだめられていた。僕はケラケラ笑って、今度は自分がマイクを手に歌い始めた。
そうやってバカ騒ぎの夜が更けて行った。何時間も遊び、明け方の太陽の薄明かりが、ようやく自由が丘の通りを照らし始めたころ、僕たちはその店を出た。一晩中騒いだのだ。二人ともさすがに遊び疲れ、喉もかれ、二日酔いの予兆が頭の奥で始まろうとしていた。
「吉野家で味噌汁が飲みたい」
カオリさんがそう言ったので、僕はうなずいた。駅から来る途中に確かに吉野家があったのだ。当時20代だった僕は、数時間前にグラタンを食べたけど、そう言われると、なんだかまたお腹が空いてきて、うん、牛丼をさらさらっと味噌汁でかき込んでから家に帰ろうか、なんて思ったのだ。まだ若かったんだね。
カオリさんは「アンタ、どこまでも付き合いがいいねぇ」なんて、僕の腕を組んで大股で歩き始めた。一瞬だけ、服の上から伝わって来る二の腕のその肉感にドキッとしたけど、僕も笑顔で大股で歩き出した。冷え切った街のアスファルトの上を、二人は上機嫌で元気に歩き出した。
が、吉野家で二人で牛丼を食べ、味噌汁をすすっている間は、ずっと無口だった。さすがに遊び疲れていたのと、味噌汁が身体に沁みていたのだ。二人で並んでカウンターに座り、静かに食べ続けていた。
食べ終えてお茶を飲むころ、カオリさんが爪楊枝を口に入れてボソッと言った。
「去年のクリスマスは青森にこっそり帰ったのよ。親にも誰にも会わなかったけど」
「・・・・・・・」
「なんかさぁ、急に子供に会いたくなってさぁ。衝動的に夜行電車に飛び乗って行ったのよ。結局会わなかったけどね」
「そうなんですか?」
「ウン、元旦那の実家の門のところから、中庭で遊んでいるあの子をちょっと見ただけ」
「どうして?せっかく行ったんだから話せばよかったじゃないですか?」
「いや、ババアが一緒にいたのよ。あの女、私の事を母親として失格だって言ってゴミを見るような目で見て来るからさ」
「そうですか」
「だから今年はあんまり一人で過ごすのも嫌だなぁって思ってさ」
「・・・・」
「もうあそこには帰れないってあの時、分かったし」
窓の外は粉雪が舞っていた。ビュンビュンと強い風がガラス戸を叩きつけている。
あ、そうだったんだ、と僕はお茶をすすりながら、カオリさんの横顔をそっと見た。そこには、さっきまでお酒を飲んで大暴れしていた元ヤンの姿はなく、一人の母親の顔があった。
ジングルベル、ジングルベル、鈴が鳴る♪
あれから数十年たっても、この季節になると、白いマスクの群れの頭の上に、相変わらずジングルベルの曲が流れ続けている。そんな街の風景を見ながら、だいぶ年を取った僕がコートの襟を立てて歩いて行く。今年のイヴは雪が降るらしい。そう、このマスクの一つ一つに物語があって、それは喜びだったり苦しみだったりするけど、それでも人間は生きて、年を取って、病を得て、死んで行く。それを知りながら、それぞれの事情を抱えながら、それでも生きて行く。
だから、人種の違いも、貧富の差も、年齢の差も、境遇の違いも関係なく公平に結びつき、もし人間がキズナを築けるとしたら、それはどんな人生にも公平に訪れる「哀しみ」の中でだろう。それでも生きて行く、という哀しみの中で、僕たちはやっとその違いを越えて結びつける。
ジングルベル、ジングルベル、鈴が鳴る♪
はい、明日はクリスマスです。愛と寛大さとそれを支える絆(きずな)を大事にする日でした。大切な人の為にプレゼントを買いに行かなきゃね。
若かった頃に過ごしたイヴの一夜を思い出しながら、平和な国で、静かに、静かに時間が流れ、こうやって僕は年を重ねて行く。