古いアルバムの積み重なった隙間から芝居のチラシが出て来た。休日に部屋で衣替えをしているうち、アレ、これ懐かしい本だぞ、なんて読み出して、衣替えは遅々として進まず、ついでにCDラックはもう邪魔だから捨ててしまおうか、なんてあれこれ引っ張り出しているうちに部屋がどんどん乱雑になり、遂に怒られ、ハイハイやりますよって片づけていたら、懐かしいそのチラシを見つけた。
別に自身が芝居をやっていた訳ではない。学生時代に、芝居見物が好きだった友人から劇団を旗揚げするから手伝ってくれと言われ、裏方として手伝ったことがあった。人集めとか練習場所の確保とかそういった類(たぐい)だ。学生時代の僕は、映画でも音楽でも絵画でも、要するに創作されたものがなんでも好きだったから、芝居見物もよくした。その延長で、趣味の高じたその友人の手伝いをしたのである。
旗揚げされた劇団は学生も社会人も混ざっており、土日を使って練習していた。夏には清里のコテージで合宿までやり、朝から晩まで役者の人たちがそこで練習をしていた。そして夜はお楽しみの飲み会だ。芝居をやる連中はそもそも表現したくて仕方がない人たちだから、たいていディープなキャラをしている。毎晩、激しく、ちょっと乱れつつ、楽しい飲み会をした。いわば古臭い言い方をすると青春の一幕として、そこで出会った懐かしい面々が僕の記憶に残っている。参考の為に彼ら(彼女ら)と一緒に見に行った他の劇団の公演や、そこで知り合って一緒に飲んだ別の劇団関係のやっぱりディープな人たちのギラギラした雰囲気が、そのチラシを見てふと蘇って来た。そうそう、これはまさに、あの連中と一緒に東京中あっちこっちの芝居を見に行っていた頃、パンフレットに挟まれていたチラシの一つだ。
みんな元気にしているんだろうか?
もう普通の中年として、あるいは良き父親、母親として、フツーに生活しているんだろうか?
地元に帰った?
それともまだ、東京のどこかの場末の酒場で演劇論を熱く語りながら、夢を追いかけ続けているのだろうか?
高校生の頃、小林秀雄とか加藤周一とかの評論を読み漁っていて、他にも山崎正和の芸術論がとても読みやすく、僕は大好きだった。その中にアランの芸術論を紹介した文章があって、一言で言うと、「自分はこれがイイと思うんだ!これがまさに自分なんだ!」にたどり着く道(創作活動)の上で、素材の抵抗というものが重要、という話があった。例えば彫金師は、銀の皿に自分の表現したいイメージを彫り続けるが、その際、銀という金属の固さが鏨(たがね)を持つ手に伝わり、その固さと闘いながら、いわば素材の抵抗を受けながら、少しずつ自分の主題を形にして行く。だから、素材の抵抗とは、作り手にとって、自分の主題を見える化して行く重要な契機であり、逆にすんなり抵抗なく作ってしまっては、しっかりと自分の主題を見つめ直す時間が足りないので、結局、そのような作品は簡単に作れるけど、やっぱり迫力がない。僕たちが「手作り」で丁寧に作ったモノに感動するのは、そんなところに理由があるのである。
これは工業製品にも当てはまる。コンピュータで製図をする前までは、車のデザインだってカメラのデザインだって、炊飯器のデザインだって、みんな人の手で描いた。車のデザインも、CADなんてなかった時代は、デザイナーが手書きでラインを引き、それに基づいてクレイモデルを作った上で、板金をプレスする金型を作成した。
「だから昔の車の曲線は暖かいんだ。ボクは製図を手でやっていたころの工業製品の曲線の暖かさが好きで、いつか旧車に乗りたいと思っている。曲線はね、人の手が生み出すと、暖かいもんなんだよ」
前に勤めていた会社の工場に、派遣社員として現場で作業者をしていたカマタさんという人がいた。僕より2つほど年上で、九州の名門国立大学を出て、大阪のバイオリンを作る専門学校に就職し、上司のひどいパワハラを長期間受けて心を病み、退職して東京へ出て来た。東京で正社員の中途採用の試験を何社も受けたが門戸は全て閉じられていたので、カマタさんは仕方なくアパートの家賃を払うために、派遣社員で作業者として働くことにした。当時ではごく普通の話だ。誰も守っちゃぁくれないのである。つぶれる奴はつぶれるし、誰も気にしない。そもそもパワハラなんて言葉も概念もなかった。野垂れ死にする奴はするだけで、誰も気にしないのである。それが僕たちの20代だ。そうして、僕たちの70代や80代の頃には、若者ではなく今度は年寄りとして、再びそういう扱いを受ける時代がやって来るんだろう。野垂れ死にする奴はするだけで、どうせ誰も気にしないのである。
カマタさんは工場で毎日汗まみれになって作業しながら、少しずつお金を貯めていた。いつかどこかの田舎に移住して、自分の工房を持ってバイオリンを作るのが夢だった。僕とは妙に気が合い、よく会社の帰りに飲みに行った。非常に温厚な性格で、謙虚で、物知りで、焼酎が大好きだった。
「人の手が生み出すと、曲線は暖かいもんなんだよ」
酔って紅潮した顔をこちらに向け、カマタさんは微笑みながら静かに語っていた。渋谷の安酒場で飲んでいて、熱い夏の夜だった。これも懐かしい思い出だ。
今はどこにいるんだろうか?
無事に生き延びている?
自分の工房でバイオリンを作るという夢は叶った?
その工房のガレージには、いつかカマタさんが乗りたいと言っていた、あの暖かみのある曲線を持つ昭和の旧車が停められている?
一方、芝居という芸術の創作活動にあって、素材は人間そのものであり、素材の抵抗とは、その人間の肉体と個性である。肉体は演技の練習によってある程度、制御できるかもしれない。一生懸命に技術を磨けば、それなりに演技できるようになる。でも個性は制御が簡単ではない。演技の向こう側に、制御できない自分の個性が滲(にじ)んだ時、役者はその役になり切れず、しかも見え隠れしているその個性が平凡でしょうもないものだったら、確実に大根役者と呼ばれる。
だから、芝居という芸術では、画家がキャンバスに向かって格闘するように、役者が自身に向かって格闘しているのである。迫力がない訳がない。芝居に関わる全てが迫力だらけである。そこにディープな魅力を感じ、そこに魅せられ、抜け出せない人が多いのは当たり前の話なのである。「自分はこれがイイと思うんだ!これがまさに自分なんだ!」に向かって、自分の肉体を、個性を、人格を、人生を、全力で投げ出すのである。
出て来た古いチラシを手に、そんな懐かしい人たちの事を思い出していた。いかん、いかん、全然、衣替えが進まないぞ。部屋の状況は更に悪化している。また怒られるかも・・・
僕は一瞬そのチラシをゴミ箱に捨てかけ、やっぱりアルバムの隙間に挟んでおいた。今度目にするのは何年後だろうか?
晩秋の休日の昼間の木漏れ日が、部屋に柔らかく射していた。もうすぐ冬がやって来る。
僕は衣替えしながら、こうやってどんどん年を取っていくんだなぁ、なんてぼんやり考えていた。確実に言えるのは、「自分はこれがイイと思うんだ!これがまさに自分なんだ!」の挙句に、全員どのみち骨になるということである。芸術に打ち込もうが、仕事に打ち込もうが、家庭に打ち込もうが、独りでいることに打ち込もうが、いずれ僕たちはみんな、たった数十年で平等に骨になる。
いかん、いかん、って僕は冬物の服を衣装棚から取り出し、順番にクローゼットへ掛けて行った。今年は寒いのかな?なんて呟く。あと数時間したら、家人を車に乗せて、前から行きたいと言っていた中華料理店へ連れて行かなきゃ。
もうすぐ冬がやって来る。
僕の生きる時間は、そうやって静かに過ぎて行く。