失われた世界を探して

ロストジェネレーションのしみじみ生活

機内食を食べながら「無限の青」を眺め、でも結局この地面にへばり付いてうたかたの命を生きて行くんだなぁと異国の地でしみじみ思ったこと

2023/05/16

 いよいよ出国することになった。いろんな意味で長い旅になりそうだ。まだまだパンデミックの影響で現地への直行便が極端に少なく、会社の指示で僕は関西国際空港でもセントレアでもなく羽田から飛ぶことになった。しかもフライトの24時間前にPCR検査を受けて陰性証明だった旨を渡航先の税関の入国システムに登録して、携帯にQRコードをダウンロードして、なんて面倒くさいったらありゃしない。去年、アセアンへ飛んだ時もさんざん面倒くさい手続きをして出張したけど、既に世界はアフターコロナとか言っているのに、まだこんな面倒なことを、と思いながら僕は粛々と手続きを進めて行った。

 羽田なんて何年ぶりだろうと懐かしい思いで駅に降り立ち、隣接してつながっているホテルにチェックインしてベッドにゴロンと横になる。

見送りに付いて来た家人は、僕のそばに座って、羽田の3つのターミナルそれぞれに入っているたくさんの料理店を検索し、さて、この人が飛び立つ前に何を食べさせてもらうか、なんて真剣そのものの眼差しで携帯をのぞき込んでいる。こんな面白い食いしん坊さんの様子も、これからはリアルでは見れなくなるんだなと思うと、ちょっと寂しくなって来た。

いいよ、いいよ、いくらでも好きなものを食べなされ。

 ところで、「日本の風景」なんて感じの写真を撮っておいて、向こうでの新しい生活が始まってから時々恋しくなったら眺めようと思ったから、実はこの数日、携帯で何枚か自分なりの写真を撮った。もちろん観光地のようなコテコテの日本の風景なんかじゃない。僕にとっての日本の風景だ。

地元の海を撮り、よく家人と行くドライブコースの山の風景を撮り、夕暮れ時の城跡の公園の小径(こみち)を撮った。そして最後にちょっと遠出して、お気に入りの寺で一枚パシャリと撮影した。

古都の古寺(聖林寺)の本堂から三輪山を望む眺望だ。静寂に包まれた空間の向こうに、はっきりと僕は日本の美しい風景を目にし、必ず無事にこの国に戻りたいと願った。僕は家人と縁側に出て、長い間、透き通るような空気に満ちたその風景を見ていた。

惜別(せきべつ)の時間はたつのが早い。見つけた空港内の料理店で食いしん坊さんのお腹を満たし、そのあとターミナルのあっちこっちにあった空弁(空港弁当)の自動販売機を見て二人で大はしゃぎしているうちに、夜になってしまって、二人で眠りに落ちたらすぐ朝だ。

朝ご飯を食べ、チェックアウトして直ぐ出たところのカウンターに向かい手続きを済ませた。

「じゃあ、行くよ」

「・・うん」

向こうに到着するのは夜中だ。きっと家人は起きているだろうから、ホテルに着いたらスカイプで少しだけでも話そう。もうちょっとあの子の顔を見ていたかったな、あぁやっぱこの瞬間は慣れないんだよなぁ・・・なんて浮かない気持ちで搭乗口へ歩いて行く。

パンデミックの影響もあり、飛行機に乗るのも1年ぶりだった。地上から機体が浮き上がった瞬間、胸の内で、さよならって言った。いつもの祈りだ。また必ずここへ戻って来る。

 なんだかんだ言って朝ご飯から結構時間がたっていて、僕は出てきた機内食を堪能することにした。当面はまっとうな日本食が食べられないから、しっかり味わっておかないとね。

ふと窓の外を見ると、雲の上に青空が広がっていた。飛行機に乗るたびに目にするいわば見慣れた風景だけど、やっぱり僕は心を打たれる。つい見とれてしまう。それは地上から人が見上げる青空の青ではなく、本来は人間の身体能力に限界があって(人は自分の身体では空を飛べない)立つことが出来ない場所から眺める、雲を突き抜けたその向こうに無限に広がっている青空の青だ。僕はそれが「無限の青」だと思っている。雲の上に行かないと見れない、宇宙へ飛び出して行く飛行士が一瞬目にする、ずうっと限りなく続いて行く青色が、窓の向こうに広がっていた。

 宇宙に飛び出して行った時に、昔の多くの飛行士たちは人生観が変わったと語った。なぜか?

今じゃ自分が一生体験出来ないような事も、YouTubeなんかの映像を見ていくらでもシミュレーション出来る時代であり(実際に体験したような気になれる)、僕たちはもはやどんな映像を目にしたってなかなか「人生観が変わった」なんて体験はしにくいが、それでもこの「無限の青」を見ると、あぁこの更に上に向かって宇宙飛行士たちは飛び出して行き、そこにもっともっと突き抜けた空間があって、無数の星々があって、どこまでも続いて行くその世界を目の当たりにした彼らは、「無限」とか「永遠」というコトバの意味を、きっと脳みそではなく身体で体感するのかもしれないなぁ、なんて思った。そりゃ人生観も変わるだろう。「無限」や「永遠」は、その反対側にいて地面にへばりつきながら生きて死んで行く我々人間にとって、いわば自分たちの生を逆照射する概念である。

僕たちはどうせ、一時(いっとき)は飛行機に乗ってこんな美しい無限の空の青さを眺めることが出来ても、また地面に降りて、そこでへばりついて有限の生を生きて行かなければならない。

 久しぶりに降り立った上海は予想通り蒸し暑かった。ここから更に飛行機に乗って内陸に向かう。浦東から虹橋空港へ向かうタクシーの中から、僕は外の様子を眺め、高速を並走する現地の電気自動車の群れを眺め、これからの新しい生活と仕事のことを考えていた。それからふと我に返り、家人はもう新幹線に乗って家に帰ったかな?それともまた「空弁は冷凍食品だからお家で保存できるの。だから自分のお土産に明日いくつか買って帰る」なんて言っていたから、あの後で空港ターミナルをもう一度ウロウロして楽しんで、それから帰る途中だろうか?

いかんいかん、さっそくホームシックになりそうな自分の横っ面を心の中で叩き、僕は前を向いた。

長い旅になりそうだ。でも「無限」でも「永遠」でもない、命という一瞬のうたかたの時間だけである。この異国の地で僕は、かつ消えかつ結びて、結局のところ、久しく同じ場所に留まることにもならず、またいつかあの老いた小さな国に戻るはずだ。それまでは頑張らないとね。

さっき見た無限の青を思い出しながら、僕はそんなことをぼんやり考えていた。

まだスタート地点にも立っていない不安定な気持ちの一日が、こうして静かに過ぎて行く。

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