失われた世界を探して

ロストジェネレーションのしみじみ生活

電気自動車に乗りながら窓の外の風景を眺め、やっぱり数十年前にホリエモンが叩き潰された時点で、僕たちの国の運命は決まっていたんだなぁと思ったこと

2023/07/11

 ほぼ10年ぶりの駐在先は山奥の田舎の町で、上海などと比べると都市とは言えないくらいどっぷりローカルな場所だ。それはいい意味でかなりのローカルということ。スタッフに招かれて行った地元の料理店で、僕はその迫力のある料理の数々と対面して、改めてこの異国の地方に久しぶりに戻って来た事を実感した。

が、一方でこの国のこの10年の変化は日本の30年分に等しく、生活の利便性向上は、システム化、デジタル化、EV化を軸に進み、既に日本のずっと先を行っている。

 当たり前の話で、若い年齢層の消費性向とか需要に対応する形で、この国は技術を発展させ社会の仕組みを作って来たからだ。要するに「携帯電話で全てが解決する」そんな便利な世の中である。

2000年代に当時はまだ世の中では「若手」だったホリエモンがそんな時代が来ると公言してたなぁ、そのあと結局、日本では技術やアイデアはあったのに年寄り達のお気に召さなかったせいでなかなか実現せず、今も社会のデジタル化なんて、マイナカードがどうたらこうたら言っているうちに、海外勢に市場がどんどん食われ続けているなぁ、なんて思いながら、こちらで新しい生活に慣れようとしている。

 そう、この数十年、日本で若手が思いつきそうな新しい技術やアイデアは、常に自治会の「回覧板の人たち」に潰されて来たし、その結果がこの笑ってしまうような逆転現象だ。デジタル化に向けた政府のてんやわんやなんて、世界中のどこへ行っても、恥ずかしくて言えない。そんな前近代的な問題が本当に日本にあるの?くらいの顔をされるのがオチだ。それくらい我々の国は取り残され、堕ちてしまっているのである。

例えばタクシー。

中国ではもはや流しのタクシーなんてほとんどいない。そんな運転手にとっても客にとっても効率の悪い商売の方法は存在しない。客側が自分の携帯に行き先を入力すれば、GPSで自分の立っている場所に一番早く来れるタクシーが自動的に選ばれやって来る。携帯の画面には、やって来るタクシーの車種、ナンバープレート、運転手の名前と顔写真とその運転手のみんなの評価が表示され、地図上で今どの場所にいてあと何分でやって来るか、リアルタイムで示され続ける。そしてだいたい2~3分くらいでタクシーはやって来る。逆に言えば、僕がどの場所にいて、どこからどこに移動して、というのも含め、何もかも、がっつりデジタルで管理統制されているということだけど、だからどうしたの?って具合で僕は全然気にならない。

そういや、日本を出国する時に荷物が多いから家から駅までタクシーを呼んだっけ。。電話で呼んでもなかなかやって来ず、1時間くらい待たされ、そのくせ到着した駅前のロータリーには、客を待つタクシーの列と、暇そうにコーヒーを飲んで待っている制服姿の運転手たちの姿があった。

日本で個人情報がどうたらこうたら言っているうちに、デジタル化され社会の仕組みごと効率化された中国が、はるか我々の先を行っているのである。生産性が低い、なんて仕事のやり方だけにとどまらず、こんな生活の一つでも露呈するのだ。日本のあの駅前の制服を着たタクシーの運転手たちの暇そうな様子を、なんとなく暗い気持ちで思い出しながら、僕はタクシーの窓から異国の街の風景を眺めている。

例えばお金。

中国ではもはや現金をほぼ使用しない。全て携帯電話で決済するのだ。もちろん現金も使用出来るけど、ほぼ全員が携帯で決済するので、現金を使うとお釣りがないとか、お釣りのやり取りをするのが面倒とかで、ものすごく嫌な顔をされる。だから、こちらで携帯電話を入手し銀行口座を開設するまでの3週間は、本当に肩身の狭い思いをした。町のちっちゃな雑貨屋でティッシュ一つ買うのも携帯で決済するのが普通である。ドアもエアコンもないどローカルな定食屋でご飯を食べた後も、お勘定をする時は携帯電話でレジの横のQRコードをスキャンして、支払いを済ませるのだ。お年寄りから子供まで、誰も現金を持ち歩かず、徹底している。財布を取り出して現金で払おうとする行為が、ものすごく恥ずかしいのだ。

携帯でタクシーを呼び、携帯で全ての買い物、食事の支払いを行い、携帯で部屋の家電のスイッチを入れたり操作の予約を行い、携帯で買った通販の家具を組み立てる時は、箱に印刷されたQRコードを携帯でスキャンすると、自動でビデオ映像が始まって組み立て方の説明をしてくれるので、それを見ながら組み立てる。特に、家具の組み立てについては、紙に書いた説明書のイラストなんかよりずっと分かり易いし(僕は日本ではこれが苦手だった)、まさにペーパーレスだ。

なので、20年前にホリエモンが言っていたけど潰されて実現しなかった社会、要するに携帯電話で全ての生活が成り立っている社会がここにあり、そしてそういう新しい社会に対応した新しい需要に対するサービスがまた生まれ、洗練され、いつか後れを取って後を追いかけて来た外国に販売されるのだろう。その速度は圧倒的だ。僕たちはまた、ドローンなんかと同様、かつて商業用で高度な基礎技術を持っていたのに、好奇心をもってその使い方を考えても、誰かの既得権益で国内ではすぐに実現せず、そうこうするうちにもっと魅力的で利便的で安価なその技術の活用方法を思いついた中国人から、お金を払ってその財やサービスを買うことになるのだろう。我々は、この類(たぐい)の間の抜けた事をやり続けてもう20年近くがたっている・・・・

 第二次世界大戦が終わった直後、日本の平均年齢は23歳だった。一回焼け野原になって、そこからは全てがゼロスタートだから、余計なプライドとかこだわりは無くてよかった。いいものはどんどんマネをすればいいのである。便利なものはどんどん取り入れればいいのである。

外国人(自分たちのほうが日本より文化が進んでいると思い込んでいた白人たち)から「猿真似」と言われようと、「美的センスがない」と言われようと、好奇心をもって外国の新しいものをどんどんマネし、取り入れて不都合があれば自分たちなりに改善し、どんどん発展させて行ったのだ。加藤周一はそれを雑種文化と言ったけど、それは合理的な考え方(いいものはどんどん自分たちなりに取り入れればいいじゃん)に基づくものであり、日本に決して独特のものではなく、要するに若手の柔軟な発想が幅をきかせる社会であれば、いつでも実現するのである。

が、自動車の猿真似(1960年代くらいまでの日本の昔の車は見た目がことごとくアメリカ車ヨーロッパ車のコピーだった)をし続けた日本人は、いつの間にか世界を追い越し、先頭を走り、いつの間にか全員が老いて、平均年齢は50歳となり、「自分たちの文化が進んでいる」と思い込んだまま、今は世界から取り残されている。

平均年齢が50歳ということは、仕切っているのは70歳以上の連中ということだ。駄目だこりゃ。

 ところで、電気自動車がガンガン売れているこちらの国にあって、携帯電話で呼んだタクシーのかなりの割合が電気自動車だ。電気だからものすごく静かだし、乗り心地も全く問題なく、あぁやっぱりこれが将来、僕たちの国に乗り込んで来て席巻し、かつて80年代にアメリカで日本車がやったように、日本の市場から日本車を駆逐し、多くの日本人の仕事を奪うのかなぁ、なんて半信半疑で考えている。

かつてアメリカ人が「やっぱり車はアメリカ車だ。日本車なんて安っぽいしパワーが全然ない」なんて言っていたように、これからは年寄りになった僕たちが「やっぱり車は日本車だ。中国車なんて安っぽくて運転しにくい」なんて瘦せ我慢を言いつつ、既に家電の一種になった自動車の購入の選択の一つとして、若者たちが安くて品質のいい中国車を気兼ねなくガンガン買うのを苦々しく横目で見る時代が来るのかもしれない。(僕たちが年寄りになった時のありがちなステレオタイプかもしれない)

で、タクシーには、何かと話題のBYD(中国の電気自動車メーカーの最大手)の車も走っており、初めて乗ったときはちょっと感動して思わず写真を撮ってしまった。

運転席を見ると、インパネがないに等しいくらい小さくて、その代わり、センターに無骨にディスプレイがドカンと取り付けられている。

あれ?テスラのマネでは?

なんて言ってはいけない。猿真似とか美的センスがないと言い出したなら、かつての誰かさんたちと同じになるということ。いいものはどんどんマネをして取り入れて何が悪いの?問題があれば都度、自分たちなりに改善して行けばいいじゃん。

そういう明るい発想は、年齢を重ねた人間たちからは生まれにくいのである。

 そして、僕のいるこの異国も、いつかは年齢を重ねた人々が中心となり、若手のアイデアが幅を利かせなくなり、隣の年老いてしまった島国と同じプロセスを辿るのだろう。そのプロセスは高齢化という一種の現象であり、誰に罪があるわけでもない自然災害であり、何をどう頑張ってもみんなの生活が厳しくなって行く長い苦難の道である。若手が頑張ってみんなの生活が豊かになったけど、豊かになればやっぱり子供に高いレベルの教育を受けさせたいよね、じゃあ、お金かけたいからあんまりたくさん子供は欲しくないよね、だって今の豊かな生活レベルも落としたくないしね、なんて言っているうちに始まる東アジアの定番プロセスだ。

 僕が住むマンションの向かい側に地元で最も優秀な子供たちが通う中学校があり、夕方になると校門の前の大通りには、電気自動車で迎えに来たたくさんの親御さん達が、路上で列をなして待っている。携帯電話で株の相場を見たり、これから買うマンションの情報を見たり、子供の学習塾を探したり色々だけど、教育熱心でギラギラしたそんな親たちの様子が、ちょうど僕たちが子供時代に見た様子に重なり、なるほどねぇ、なんて思うのだ。まさに僕たちが子供時代に、国の経済が最盛期を迎え(内実はともかく)、受験競争は熾烈を極めた。

時代が本当に大きく変わってしまったことを、そして同じことが東アジアで繰り返されつつあることを、日本から数千キロ離れた田舎町で、知識というより生活の肌感覚で、僕は体感し続けている。

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