失われた世界を探して

ロストジェネレーションのしみじみ生活

小浜の青空から恩讐の彼方に向かい、峠越えを運転しながら仇討について考えてたこと

 せっかく梅雨が早く明けたのに、土日になると雨とか曇り空で、あぁ休日くらい突き抜けるような青空が見たいなぁ、なんて車で走り出した。途中のSAで天気予報を調べてみると、日本中が雨か曇りなのに、日本海側の若狭湾あたりだけがぽっかり晴れマークがついている。

僕はそちらに向かって走り出した。

突き抜けるような青空の下で、家族と手をつないで散歩する。しかもこんな安全で衛生的で便利な国で。その価値に勝るものは恐らくこの世にない。僕はそう思っている。我々は次の時代に投資せずジジババ優先で彼らの面倒を見ているうち、すっかりみんなが貧しくなっちゃったかもしれないけど、でもこの国に残っている安全とか、この国の人々が持ち続けている衛生観念、緻密さ、生真面目さは、大きな財産として確かに残っているのだ。

ちなみに日本の10万人あたりの殺人件数が0.25人に対して、メキシコは30人だ。両国はほぼ人口が同じなのに、向こうでは毎日100人くらいが殺されている。我々は本当に安全な国で暮らしているのだ。

だから、「最近、物騒になって来た」なんてコトバは印象に基づく話でしかなく、高齢化に伴い、この国の殺人件数はむしろどんどん減っている。それが事実だ。

そりゃそうでしょ。かつてドンパチやっていたその道のプロたちは、今やすっかりお爺ちゃんになって介護施設でオムツを交換されている。僕たちが子供の頃はたくさんあった事務所も、大半は取り壊され、または空きビルになっている。

無敵の人による殺人?それも印象でしかない。じゃあ件数は?もし無敵の人による殺人が増え、暴対法施行以前のかつての殺人件数に戻るなら、議論する価値はあるのだろう。数字は嘘をつかない。殺人の件数は確実に減り続けている。これは国ごと年をとったことによる一種の効用だ。世評する者も、その言動に影響を受ける我々も、まずは事実としての数字を押さえなければ、冷静な判断はできない。印象のみで議論するのは、議論のための議論であり、それはエンターテイメントでしかない。

が、こんな安全な国にあっても、時には運悪く、殺人に出くわすことがあるのだろう。重過失や悪意のある他人の娯楽によって家族を奪われることもある。酔っ払い運転に轢かれるとか、子供がイジメつくされて死に追いやられるとかも、家族にとっては一種の殺人だ。

万が一そんな目に遭った時、平凡な僕たちの人生は一変し、奈落の底に落ち、光が消え、目に映るこの世から青空は消え去るのだろう。

僕の運転する車は雨の中を走り続けている。

だいぶ走って、ちょっと疲れてしまって、若狭の手前で一晩の宿にたどり着き、その夜はそこでゆっくり休んだ。

夏の雨は嫌いだ。どこを運転していても同じ風景にしか見えない。面白くない一日だったな、なんてシャワーを浴び、ビールを飲んだら酔いが回ってそのまま寝てしまった。要するに、ふて寝である。

翌朝、目を覚まし、また走り出す。家人は助手席でニコニコしている。

そして走り出した1時間後、トンネルを抜けたその時、突如、そこには真っ青な青空が広がった。予報通りだ。昨日まで雨の中を走っていたので、青空のその青色を見た瞬間、心の中まで一気に晴れ渡ったような気がした。サイコーだ!ついアクセルを踏み込んでしまいそうになる自分に気づく。最近の天気予報の精度の高さに脱帽である。

 しばらくそのまま気持ちよくドライブして、9時過ぎに僕たちは小浜に到着した。そのあと「お魚センター」に入って、たらふく刺身を食べた。日本海側の新鮮な刺身は格別だ。このお魚センターにはイートインスペースにテーブルがあって、買ったその場で刺身を食べることが出来るので、小浜に来たときは必ず僕たちはここに立ち寄り、買ったばかりの刺身を、ついでに買ったあら汁を飲みながら一緒に食べることにしている。アジの刺身も、ハマチの刺身も、肉厚の大きな生牡蠣も本当に美味しかった。海鮮バンザイだ。

刺身でも寿司のネタでも一番大好きなアジを堪能!

ハマチもたっぷり脂がのっていて絶品!

肉厚な牡蠣の食感はもはや海のステーキ!

そして生き物をたらふく食べてからって言うのはちょっと不敬かもしれないけど、せっかく小浜に来たので、僕たちは相談して、やっぱり仏像巡りをすることにした。

 若狭にある小浜は大陸から都(奈良・京都)への文化の玄関口として、有名な仏閣が立ち並ぶ、歴史好きには垂涎ものの観光地である。だって、魅力的な国宝級の仏像や建築をすぐ手の届くところで眺めることが出来、しかも観光客がまばらなので、いわば古(いにしえ)の時代にタイムスリップして心行くまで大昔の時代を満喫できる、コアで穴場のスポットだからだ。京都や奈良とは違った魅力に満ちた場所である。

僕たちは妙楽寺、羽賀寺、明通寺と有名な寺を順番に廻った。日曜日なのに他には1組か2組の観光客しかいない。広い境内にときには自分たちしかいない場面もあり、苔むした道を、青空を頭上に、手をつないでゆっくりと歩いて行く。

いずれの寺も、そこでしみじみ眺めた仏像たちも、数年ぶりに鑑賞した。妙楽寺の千手観音の個性的なデザインは何度見ても飽きず、千数百年前の仏像なのに、その立体的で個性的な表現がまるで現代アートの一つみたいだ。20代の芸術家がまっさらな頭でこれを見たら、新しいインスピレーションが湧くのでは?そう思った。

羽賀寺の十一面観音のなまめかしさ、石段を登ってたどり着く、山間に佇んだ明通寺の本堂の威容、僕たちは1000年前にタイムスリップして、何時間もかけて、そこで手をつないで歩いた。至福の時間である。時に手を合わせ、時に欄干に腰かけて深呼吸し、塵(ちり)の積もった気持ちの洗濯をし続けた。

そしてあっという間に昼過ぎである。帰らなければいけない。

ところで、小浜で獲れた鯖(さば)を京の都へ運んだ「鯖街道」というのがあって、当時は腐敗を防止するため保存に塩を使っていたが、その鯖街道を1日かけて運んだため、鯖が都に着く頃にはちょうど塩のあんばいがよく、京の人々に大変喜ばれたらしい。

なので、ミュージアムのようなところで「鯖街道を通って京都へ行きたいのですが、車で行けますか?」と聞いたところ、山越えのウォーキングコースであり、車で通るような道ではないとのこと。ありゃ、ダメじゃん。

でも、今日はまだ休日。どうせ夜中に家に帰ってもいいのだから、慌てる必要もない。せめて下道でタラタラ走って京都に出て(なんとなく鯖街道を想像しながら)、そこから高速に乗って家に帰ろうと思った。

で、これがちょっと失敗だった。カーナビの指し示す通り走っていたら、どんどん道が細くなり、対向車が来たらアウトってくらい細くなり、しかも本格的な峠越えの道なので、急角度で登り、急角度で降りる、というのを繰り返した。

何度も激しくハンドルを切り、ハードな運転が続く。どうやら最終的には鞍馬山を抜けて京都市街へ出るらしい。車内はひどく揺れ続けたが、家人はさっきたくさん歩いて疲れたのか、助手席でスヤスヤ眠っている。どこでもスヤスヤ気持ちよさそうに寝る人である。そうして目を覚ましたら、こっちを見て寝ぼけまなこでニコッと笑うのだろう。

そんな人だ。

険しい峠道が続いて行く。渓谷はとても深く、人家はなく、がけ崩れを最低限のお金をかけて防止しただけの、荒涼とした山肌が道の両側に連なる。「落石注意」って看板が頻繁に現れるけど、もし本当に大きな岩が山の上から転がり落ちてきたら、ひとたまりもなく、そして避けることが出来ないのだろう。

そう、僕たちは時には運悪く、殺人に出くわすこともあるし、重過失や悪意のある他人の娯楽によって家族を奪われることもあるのだ。

そして僕たちはそれを乗り切って行くことが出来るのだろうか?

 学生の頃、それこそ何でも読み漁っていて、当時はドストエフスキーにどっぷり浸かっていたけど、癖の強いそんなロシア文学の合間に、菊池寛のシンプルで硬質な文体を読むと、たくさん焼肉を食べた後にウーロン茶を飲んだ時みたいに、気分がすっきりして、なので寝る前によく読んでいた。神保町で買ってきた「菊池寛 全集」という本である。

その菊池寛の代表的な作品「恩讐の彼方に」には、父の仇討(あだうち)で諸国を旅する中川実之助が登場する。

彼は流浪の末に遂に見つけた父の仇(かたき)である市九郎が、長い時を経て既に改心し、罪滅ぼしの為に生涯をかけて人助けをしているのを知る。たくさんの人々が命を落とす絶壁の難所に、市九郎は洞門(トンネルを含む覆道)を手で掘削する作業を、自らに課した修行のように何十年もやり続けていたのだ。実之助は見つけたその場で父の仇(かたき)を斬ろうとするが、市九郎とともに洞門を掘削していた石工たちに説得され、「洞門が開通したら本懐を遂げる」ことにする。

そうして仇討(あだうち)を猶予した実之助だったが、次第に、ノミと槌だけで洞門を通すということの気の遠くなるような困難さと、人助けの為にそれに半生をかけて何十年も取り組み続け贖罪し続けてきた市九郎の姿に、激しく心を揺さぶられ始める。そして遂には実之助も一緒になって岩を掘り始め、一年半後、いよいよ洞門が開通した時、二人は共に感激にむせび泣き、実之助は仇討(あだうち)を取りやめる。もはや慈しみも恨みも彼方に消えて、実之助には相手を赦すという決断しかなかった、というお話だ。

なにしろ菊池寛の作品は文体のリズムが美しいので、一個の旋律を聴いているみたいで、もうストーリーとかテーマなんてどうでもいいのだが、ふと「こんな安全な国で家族と手をつないで散歩する幸せ」から考え始めた「万が一、家族が殺されたら」に思いが至り、この「恩讐の彼方に」という小説のことを思い出した。

こんな安全な国にあっても、万が一、家族を奪われるようなことがあったら、僕は相手への復讐を考えるだろうか?それとも恩讐は彼方へ散って消え去って行くのだろうか?そういう空想だ。

鞍馬山へ向かう峠道を苦戦して運転しながら、僕はそんな空想でずっと頭を満たしていた。もしそんなヒドイことが起こったら、自分は何をするのだろうか?

野生の鹿の影が、うっそうとした木々の向こうにチラッと見えた。どえらい山道だ。ところどころにガードレールがない箇所もあって、ちょっと汗ばむ。鯖街道どころの騒ぎではなくなっている。僕の空想はどんどん駆け巡った。

 そうそう、数日前にテレビで見た素人の男性が、娘を交通事故で失い、相手への怒りと恨みのやり場なく、お遍路をした話をしていた。話をしながら涙を流し、改めて怒りと恨みを語っていた。お遍路には色んな意味があるのだろうが、焼き付くような過酷な太陽の日差しが、または凍えるような冷たい海風が、それを受け止めながら歩む自分を見つめることで、大切な人を救えなかった、可哀そうに、辛かっただろう、痛かっただろう、でも助けられなかった、自分は生き残ってしまったという罪の意識を、その間だけは緩めてくれるのかもしれない。困難を受け入れることで、守れなかった申し訳なさを償っているのである。

が、お遍路をやり遂げ、家に戻って日常がまた始まれば、怒りや恨みはなお消えず、そして自分を責め始める。結局、恩讐は彼方へ去らず、僕たちは自分を許せないのだろう。

だから、実は仇討(あだうち)という且つてこの国にあった制度は、もちろん家(イエ)制度の延長線にあったのだろうが、理にかなっていたと言えばいえるのかもしれない。自らの手で仇(かたき)を殺めて、殺人者となり業(ごう)を背負うことで、守れなかった大切な人への申し訳なさを償うのか、或いは、実之助のように仇(かたき)を許して、ということは一生、故郷には帰れなくなることによって、父への申し訳なさを償うのか、いずれにせよ己(おのれ)を罰することで、死んで行った者たちへの償いが出来るのである。現代の死刑制度のように、自分の手から遥か遠く離れた執行室で、仇(かたき)が国家という漠然としたものに殺されてしまっては、生き残った者は一生、自分を赦すことが出来ない。仇(かたき)のことではなく、罰を受けない自分のことを許せないまま生きて行かねばならない、という事である。これは極端な死刑反対の立場だろうか?人道的な理由ではなく、生き残った者が救われないから、生き残った者の意思を尊重するために死刑反対、遺族に仇討(あだうち)をさせるべし、なんていっぱしの社会人が口にすべき話ではないのかもしれない。が、もし家族を奪われるようなことがあったら、僕はお遍路をせず、即座に自らの手を汚す決断をし、業を背負って、守れなかった申し訳なさを償おうとするかもしれない。

いつの間に人家が現れ、すぐ真横を叡山電鉄が走っていた。峠を越えたのだ。鞍馬山を抜けていた。雨は降っていない。まばらな観光客の横を、車で通り過ぎて行く。

京都市街に出たころには、ホッとして、なんだか長い悪夢を見ていたような気がしていた。信号待ちして車窓の外を眺めながら、街の風景を目に、仇討(あだうち)ってなんだよって思い返した。峠越えの運転で始まった空想は、恩讐の彼方の実之助につながり、テレビで見たあの男性の涙につながり、やったこともないお遍路につながり、僕の家族を奪った(と仮定した)男の死刑執行の場面へつながって行った。現実には何にも起こっちゃいないのに、そして昼間あんなに美しい青空と、美しい古寺の情景の中で家人と手をつないで僕は散歩していたのに、鯖街道から始まったヒドイ悪夢だと思った。

「ねぇ、何を難しい顔してるの?」

助手席で目を覚ました家人がニコニコこちらを見ている。寝が足りて満足って顔だ。

「うん。なんかね」

「何?」

「どうやら鞍馬山には天狗がいるみたいだよ。ヒドイ悪夢を見させられた」

「あなた運転してたのに?」

「うん」

僕たちは時には運悪く、殺人に出くわすこともあるし、重過失や悪意のある他人の娯楽によって家族を奪われることもある。

でも恩讐の彼方へ向かうには、僕は人間が出来ていないし、とても生きているうちにそんなところに行けそうにない。恩讐(慈しみと恨み)のど真ん中で、最後まで生々しくもがきながら、生きて行くような気がするのである。

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