失われた世界を探して

ロストジェネレーションのしみじみ生活

クラシックカメラにフィルムを装填し、空っぽの世界に静かな戦いを挑むこと

 ロスジェネの一人として腐らずに諦めずに、日々の生活はしみじみと楽しむことにしているが、その中でスローライフというのは重要なキーワード。立ち止まってゆっくりとプロセスを味わう、が静かな僕たちの戦いだ。

 そんなスローライフの一つとして、クラシックカメラでじっくり手間暇(てまひま)をかけて、美しいと思った風景や、感動した場面を絵画のように切り取る、というのを時々やっている。ありきたりだけど、フィルムを装填する、シャッター速度と絞りを決める、構図を決める、そしてパシャリとボタンを押す、という一連の過程が、普段の仕事の時間なんかと全然違うリズムで流れていて、本当に楽しい。

 もともとは父親の形見のマニュアルカメラをいじっているうちに色々調べ、興味を持ってあれこれ調べているうちに、欲しいクラシックカメラが出て来て中古市へ探しに行き、手に取って撮影するうちに、そのフィルム独特の優しいボケ味とか色彩、それから古い機械式ゆえに想像していなかった偶然性(過剰だが美しい光の当たり具合とか、油絵みたいなボケ味とか)に魅了されて行った。

 カメラは色々買っていろいろ使ったけど、今は外で撮影するときはニコンF2を使用し、部屋の中で撮影するときはミノルタ35Ⅱbというレンジファインダーカメラを使用している。

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このミノルタ35Ⅱbは1958年製の美しいカメラで、シルバーのボディに革紐をつけて、家の中の日常の風景とかを撮ることが多い。全部、僕の選んだ場面を優しい光に包んで切り取ってくれる。

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 そして車の助手席にポンと乗せて外に撮影に出かける時の相棒、ニコンF2は1973年製で、フル金属のボディだからめっぽう重いけど、日本のものづくりが一番輝いていた時代、ネジの1本まで日本人が作った100%のMADE IN JAPANで、そのずっしりとした感覚が本当に感動的。望遠レンズ・広角レンズ・マクロレンズと一緒に連れて行く。

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花が好きで花をよく撮る。花が好きなのは母親の影響だ。オールドニコンのレンズは、どこまでも気品が高いボケ味を花の向こう側に映し出してくれる。現実の画像を、その対象を撮りたいと感じた僕の気持ちを凝縮して一枚の絵画に変え、フィルムに焼き付けてくれる。

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チューリップは映画のワンシーンみたいに映る

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薔薇は一編の詩のように映る

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今年の紅葉はキレイだったな

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石垣の上には鮮やかな天幕

 海の近くに住んでいて、これは自分の故郷が海の近くだったから。東京に住んでいたころは、簡単に美しい海を見に行けず、フラストレーションが溜まっていた。というのを17年前にUターンして思い知った。
今では青空の広がる休みの日に海辺(子供のころ遊んだ場所)を家人と散歩するのが、一番の幸せである。平日のストレスがあっという間に海の彼方へ消えて飛んで行く。

そして海が近いということは、いつでも行けて、その多様な表情を見れるということ。海は季節や天候や時間によって本当にいろいろな表情があるのだ。僕は昼間の青空にそのままつながる真っ青な海が大好きだが、ときどきは闇夜がすうっと開けて世界が光に包まれる早朝の日の出の瞬間も好きだ。

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フィルムを装填する、シャッター速度と絞りを決める、構図を決める、そしてパシャリ。

しみじみ生きるということ、味わってゆっくり楽しむということ。これは厳しい時代を生きて来た、そして死ぬ最後の瞬間まで厳しい時代を生きる我々の世代にとって、大切な生活スタイルである。

体が痛いとか疲れがヒドイとかブチブチ言いながら、死ぬ最後の瞬間まで働き、税金を納め続けるんだろなぁなんて思いながら、それでも空っぽの世界をささやかな意味で満たそうとする、僕たちの静かな戦いでもある。

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