再びアジアの山奥へ行けと言われて、家に帰ってからその旨を家人に伝え、あらびっくり、と言っているうちに、一週間もしたらまた呼び出され、ちょっと事情が変わって、アジアの山奥じゃなくて南方の海の上にある国に行けと言われたので、家に帰ってからその旨を改めて伝え、あらそれまたびっくり、と言っているうちに、さらに一週間したらまた呼び出され、やっぱりアジアの山奥へ行けと言われた。
話が二転三転するからもう家人はびっくりしない。要するにまた貴方はノートPCのディスプレイの向こうに行くのね、とこちらを見ないで言っている。
ウン、ごめん、Skypeで話すにも何かとノートでは持ち運びに不便だろうから、タブレットを買ってくるよ、もし自治会とかでタチの悪い連中に君が絡(から)まれても大丈夫、そのタブレットを取り出しな。僕が「タブレットおじさん」として画面の向こうからちゃんと言ってやるよ。
「情報収集にはやっぱり紙に文字が書いてある回覧板が大切だとか、無償労働でゴミ当番しろとか、どうせ十数年でアンタたちが施設に入る頃には、全部それらはなくなって廃止か外部委託されているのだから、我々の世代にあんまり面倒をかけさせないで欲しい。すでにこんなに税金を納めているのに、フレックスを使ってゴミ当番してから働きに行けとかマジで許して。どうせ僕たちがアンタたちの年齢になる頃には、下の世代にそんな類(たぐい)の自分たちの要望を出したって、はぁ?って言われるだけなのだから」
ウン、この国(自治会)の主権者(権力者)たちに毅然と僕がそう言ってやるから安心して、なんて話を逸らしてみたが、無理な話だった。そんなに甘くはない。
やっぱり家人は向こうを向いている。
という具合に時間がたち、会社では業務の引継ぎも終わらせ、ビザ取得のための健康診断、書類の提出、手続きの為の出張とかやっているうちにゴールデンウィークとなり、それが明けたらフライトすることになってしまった。あっという間だ。この数カ月、土日のたびに買い物とか荷物の取りまとめとか準備していたから、二人で旅行に行ってゆっくり話す時間もなく、もう来週には行かなければいけない。
ご機嫌をなんとか直して頂きたいのですが・・・
「どこか旅行に行こうか?」
僕は去年のゴールデンウィークを思い出していた。確か夜中に気まぐれにドライブを始め、そのまま行き当たりばったりで諏訪湖まで行って、諏訪湖の湖面の美しい朝の光景を見ながら車で居眠りをしたっけ?家人は助手席でお菓子を食べながら、コンビニで買ったマンガを上機嫌で読んでいた。ずっと笑っていた。そしてそのまま白馬へ行ってやはり美しい風景を二人で眺め、嬬恋へ向かった。
楽しかったなぁ。
「今年はどこも人だらけだからいい。遠くには行きたくない」
ということで、僕たちはゴールデンウィークの真っただ中に近所でランチを食べ、すぐ近くの海へ散歩に行くことにした。本当に普通の休日の普通の過ごし方だ。が、それがもう貴重な時間になってしまった。
青い海と青い空が重なる光景が好きだ。
僕はこの海を見て子供時代を過ごし、ここで育ち、思春期になってこの海があるこの町の中途半端な地方都市ぶりに怒りを覚え、大学から東京へ飛び出して行き、東京で働き、果てしない上の世界と、果てしない下の世界があることを体感して、若者なりに世界の広さ(=自分の小ささ)を知り、そのあと父親が死んで、またここへ帰って来た。
そして今から行くのは海からは千数百km以上離れた内陸の、海のない異国の街だ。
僕は家人と手をつなぎ、5月の気持ちのいい風を受けてゆっくり浜辺を歩いている。海は荒ぶるときこそ真っ黒になって牙を剥くけど、晴れた天気の良い日には、穏やかな表情で迎え入れ、僕たちを包み込んでくれる。
4歳の自分。従兄弟たちと一緒に泳いでいる。季節がお盆近くになっているから既に波は高い。一瞬、溺れかかった僕の腕を、父親の大きな手がしっかり握りしめ、水中からまた夏空の広がる地上へと引っ張り上げてくれる。あの時、ものすごい力の波に引きずり込まれながら、死ぬってこういうこと?って感じた生まれて初めての瞬間だった。僕の腕を持ち上げた父親は、大きく笑いながらそのまま僕を背中に乗せて、浜辺へゆっくり歩いて行く。海辺には貝を焼く醤油の焦げた匂いが広がっている。
11歳の自分。明け方に兄貴といっしょに冷たい冷たいと言いながら、腰まで海に浸かって足踏みしている。カレイの稚魚を採りに来たのだ。こうやって水中で足踏みしているうちに、やがてどちらかの足がヌルっとしたものを踏む。僕は兄貴に目配せし、兄貴は水中に潜って僕の足の裏にいるカレイの稚魚を手づかみし、取り上げ、持ってきたバケツに入れる。稚魚は母親の手でそのまま唐揚げにされるか、朝食の味噌汁に入れられることもあった。兄弟はそのまま日が昇るまで採り続け、バケツの底が見えないくらいになったら両親の待つ家に帰って行く。
14歳の自分。学ランを着たまま、幼馴染と待ち合わしている。自分も幼馴染もどんどん変わって行く自分の体と心に戸惑い、興奮し、コントロールできず、会えば延々と終わらない話を冷たい海風に吹かれながら堤防の上で喋っている。自分たちが何をしているか分かっておらず、世界がどんな風な仕組みで動いているかも分かっておらず、ただ込み上げる欲動に振り回され続け、だからこそごく普通に思春期をやっている。
17歳の自分。一人で海を見ている。誰とも話したくなく、怒りに包まれ生きている。世界がどんな風な仕組みで動いているか、自分の恐ろしく狭い視野の中で考え抜き、考え抜いて見えて来た世界は恐ろしく狭い現実の一部でしかないのだけど、それが世界の全てだと思い込んで怒りを感じ、その中で生きて行くことに怒りを感じ、海を見ている。目の前に映る海の光景が美しかろうと、天気が悪くて荒れ狂っていようと、あまり関係はない。怒りの檻(おり)の中にいるから、外の風景は同じにしか見えていない。地方都市にいがちでありきたりな進学校の学生の一人だ。
25歳の自分。そこは育った町の海ではなく、都心から車で数時間、車を走らせてやってきたリゾート地だ。若者にとっては厳しい時代を生きているけど、休日は思い切り楽しめばいい。ちょっとだけお金も持ち始め、心も体もクライマックスの時期だ。柄にもなく流行りのスタイルをちょっとだけ取り入れたラフな格好をして、格好をつけてビーチに置かれた白い椅子に深々と腰かけ煙草を吸っている。要するに無敵の時期だ。疲れを知らず、疲れたらいくらでも眠れる。夜の浜辺で酒を友達と飲んで大騒ぎし、コントロールし切った自分の心と体を使って、心と体の快楽を思い切り楽しんでいる。
31歳の自分。また一人で海を見ている。またこの海だ。育った町の海だ。朝から母親が祖母のいる施設へ見舞いに行くのに車で送ってあげ、実家へ帰して、そのあと一人で自分のアパートに帰る途中、なんとなくやって来た海だ。缶コーヒーを飲みながら、ゆっくり秋の浜辺を歩いている。高い空とまだら模様の雲が頭上いっぱいに広がり、若くもなく、年寄りでもない僕は、何も考えず、未来も想像せず、想像したいとも思わず、心を閉じて歩いている。
35歳の自分。家人と手をつないで白い砂浜を歩いている。家人はずっとこっちを見て笑っている。よく笑う人だ。そして僕はこの人の声が大好きだ。もう一度開いた自分の心で僕はこの人と向き合い、手をつなぎ、青い海を眺め、もう一度未来を想像し始めている。買い換えたばかりのガラケーで撮影した家人の笑顔の向こうに、春の生ぬるい風が漂う白い海が映っている。
40歳の自分。この海で家人と浜辺に座り、花火を見ている。周りも人でぎっしりだけど、僕たちは夕方にはここへ来て一番よく見える場所を取ってあったから、最高のポイントから花火見物を楽しめる。家人はさっき出店で買ってきてあげたブルーハワイのかき氷を食べつつ、時々びっくりするくらい大きく開く花火に歓声を上げ、こっちを見て笑う。最初の海外赴任から帰って来てまた一緒に生活を始め、漸く新婚時代を取り戻すかのように始まった日々の最初の頃の話だ。すっかり中年になった僕は、家人の背中と、夜空に広がる花火の光の渦を眺めながら、これから始まる私生活の楽しみと、平日の仕事の難しさを思い出し、やっぱり未来を想像している。
もうすっかり年を取って中年どころか老境の入り口に入ろうとしかかっている自分が、人生100年だなんて悪夢のような話だけど、そしてたいていはピンピンコロリと逝けないみたいだけど、最後の最後まで時代の波に飲まれ、もがき、生き残り、大切な人たちを支え、そう、支え続けて行かなければ行けない。
年をとって体力がなくなったとか、もう目が見えにくいとか、腰が痛いなんて言っていられないし、そんなことは許されない時代に入って行くのである。そんなのが許されたのはこの国の歴史上、奇跡のように世の中が繫栄し、一瞬、貴族階級の世代(回覧板の人たち)が発生した一瞬でしかない。歴史はまた元に戻って行くのだ。
80年前に少年だからと言って許してもらえず戦場に駆り出され人が死んで行ったように、今度は年寄りだからと言って許してもらえず最後まで戦場に駆り出され僕たちは死んで行く。だから頑張って働かないとね。
なんてテキトーな話をして海辺で散歩しながらなだめてみたけど、家人のご機嫌は直らなかった。海の向こうを見ている。
ところで、我々人間が海に惹かれるのには科学的根拠があるらしい。そもそも我々を含め生命は海で生まれたし、我々人間の体を構成する成分と海の成分はよく似ていて、胎児の頃に我々が浸かっていた羊水の成分は海水の成分とほぼ同じ、それから、海の青さを見た時には、我々の脳みそはセロトニンを分泌するので、自然にリラックスできるとのこと。
なるほどね。どおりでついついここへ来てしまう訳だ。
これまでの人生を振り返り、その折々(おりおり)の気持ちの中で、幸せだろうと不幸だろうとそのどちらでもなかろうと、僕は海を見に来ていたんだなと思った。そしてその青さを見ているうちに、僕はまだ無事に生き延びており、普通に生きて来られ、普通の人生をいろいろ味わせてもらえたなぁ、なんて急に感謝の気持ちでいっぱいになって来た。僕の人生に関わってくれたみんなに対して、感謝の気持ちでいっぱいだ。
ありがとう。
どうも国を離れる時は、感傷的になっていけない。
「あのね、画面越しだけでは嫌だから、やっぱりしょっちゅう会いに行くことにした」
「あぁ、遊びに来るんだね」
「うん、タブレットおじさんだけではダメ」
「分かった」
夫婦の他愛もない会話である。家人がようやくこっちを見て笑ってくれた。そして今も未来を想像している自分の境遇と、そうさせてくれたこの人に感謝だ。
ありがとう。そしてこれからも宜しくね。また必ずこの海に来て二人で真っ青な海と空を眺め、一緒に手をつなぎ散歩しよう。
素敵な休日だった。僕たちは手をつないで砂浜を歩き続けた。
生まれて半世紀近くになり始めたロストジェネレーションの一人が、もうすぐ国を離れる。
ここはまだ、頭上いっぱいに青空が広がった海の見える、僕の故郷(ふるさと)だ。