失われた世界を探して

ロストジェネレーションのしみじみ生活

南国の人々の逞しさと生きる喜びは、きっと強い太陽の眼差しのおかげだと思ったこと

 いきなり行けと言われてたった10日間で準備し、アセアンの工場へ飛び立った。そこからは毎日が仕事だ。朝から夜中まで、その生まれたての工場で、僕は現地のニューカマーたち相手に死に物狂いで働き、運用を立て直し、日本の部隊と会議を重ねて必要な技術支援を要請し、また現場へ走って、それは土曜日の深夜まで及んだ。日曜日はホテルの部屋から一歩も出ず、朝から晩までかけて報告書を作成し、また月曜日の朝がやって来る。そんな1か月だ。

 南国の人々は控えめで大人しく、一生懸命だった。この日本からやって来た丸い目の日本人の、いかにも日本人がやりそうな緻密な管理、細かいゴール(納期)の設定、整理し順序立てられたプロセスの指導に対し、最初は遠巻きに、少しずつほだされて自分たちなりにチャレンジを始め、褒められて、前のめりに頑張り始めた。

ウン、アジアの人々は、それぞれの国で組織の動かし方とか、大事にしていること、傷つけてはいけないこと、それぞれが違ったとしても、相手を想い一生懸命接すると、必ずそれぞれのスタイルでその一生懸命さが返って来る。

有難いな、なんて思いながら、朝晩の気温が5度くらいで「春はまだかい」の日本から、いきなり35度の常夏の国にやって来て、「おいおい、太陽が完全に夏の太陽じゃんか、冬からいきなり夏だなんて、こんなの付いて行けねぇよぉ、勘弁してくれよぉ」と初老になり始めた自分の身体が悲鳴を上げているのを感じていた。倒れてはならない。それは日本に帰ってからだ、なんて気持ちを張って、働き続ける。

 何百年もの間、白人たちの植民地だったその場所は、混血が進み、地元の血と白人の血と中華系の血と、要するに色々な顔や瞳の色、髪の毛の色、バラエティー豊かに混ざって、どの顔も日に焼け、いつも笑顔だった。他人を押しのけて上に立つ、という喧嘩も始まらず、仲良く頑張る。オリジナルに拘ったり誇りを持ったり、それらを守るためなら争いも厭わない、というのではなく、便利なら高いものを買わされようと買い、クールならそれが異国の文化でも従容として受け入れ、しかも楽しむ。だから使う側というより使われる側に立ちやすいけど、だからと言って卑屈になる訳でもなく、あるがままを受け入れ、神に感謝し、家族で支え合い、笑顔を絶やさない、そんな人々だ。

やれ民族の起源がなんだとか、誇りがなんだとか、国を豊かにするためにどうやって海外と戦うとか、そいういうのはあんまり向いていないので、気にしない。結果的に国の中は、すぐにそういうのに熱中して他を出し抜こうとする東アジアの連中(もちろん我々もその一種)の資本だらけだけど、別に気にしない。仕事がたくさんあれば、外資だろうと国内産業だろうと、助かるよね、それでお金が貰えれば、家族みんなでご飯が食べられる。そんな感覚だ。それは彼らの明るさでもあり、逞しさでもある。それ以上の幸せがどこにあるの?って具合だ。

 この逞しさ、決して無理に努力して獲得したものではない、あるがままの自然な彼らの逞しさは、いったいどこから来るんだろうか?熱帯気候が育む豊かな自然から?

そんなことをぼんやり考えながら、早朝にホテルに迎えに来た車に乗り、工場へ向かう途中の窓の外の風景を見ていた。

30年前に大噴火を起した火山が朝焼けの隣に姿を見せる。朝霧に包まれ、ふわっと宙に浮いているみたいで、雲の帽子をこれもまた頭の上に宙に浮かせ、茫洋と立ち現れている。

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そう、今からまた夏の太陽を、熱気にあふれたあの光線の祝祭を、この草原に覆われた地面に、注ぎ始めるのだ。朝のそんな風景と、昼間にやって来るであろう強烈な太陽の光が、なんとなく想像の中で重なって、うん、きっと彼らのの優しさとか逞しさは、今から注がれるあの太陽の光のおかげなんだな、と思った。

日本からやって来た、疲れたサラリーマンのぼんやりした想像である。

バタイユは太陽の過剰なエネルギーが人を破壊行動に走らせると言ったし、カミユは小説の主人公に「太陽のせい」と言わせて罪を犯させた。が、そんなヨーロッパ人が考えそうな思想は、アジアにはない。そんなのは支配しに来た側の異質な感覚だ。

太陽は地元の人々の肌を焦がし、果物を甘く熟させ、豊かな穀物の実も実らせて、ついでに草原にいる獣たちを太らせ、今度はそれらを収穫した地元の人々が、皮を剥ぎ、肉を引き裂き、火であぶって、お腹一杯になるまで食べ、そのあと音楽に合わせてみんなで踊り、夜明けまで祝祭を続ける。そうしてまた朝が来て、霧の彼方から太陽が姿を再び現す。何百年も何千年も、仮に侵略者によって血も文化も変更させられる事があったとしても、太陽が光を注ぐ限り、彼らは暗く落ち込んで閉じ籠ったりなんかしない。恨み続けることもしない。毎日を楽しみ、味わい、逞しく楽しんで、生き伸びて行く。

 さて1か月ぶりに帰って来た日本は、やっぱり寒かった。袖の付け根が少し破れたダウンジャケットがスーツケースに入らず邪魔だったので、向こうでつい捨てたのが失敗だった。少々破けていようと、ちゃんと持って帰ればよかった・・・すんごく寒く感じる。また身体が「おいおい」と愚痴り始める。

あっという間の1か月だった。夢中で仕事し、彼らの笑顔に囲まれ、彼らの穏やかな情熱に火が付くよう、僕は全力で工夫した。

I hope things get back to normal soon・・・・

うん、大丈夫だよ。世界は決して元に戻らないけど、ひょっとしたら、もっともっと取り返しのつかない過ちを犯すかもしれないけど、でもきっと大丈夫。

太陽はこれからも貴方たちの小麦色の肌を焼き、貴方たちにおいしい果物を、そして丸々と豊かに太った豚や牛や鳥たちの肉を与え続け、貴方たちはそのまま自然にそれらを享受し、そのまま逞しく、笑顔で家族と太陽の贈り物を分かち合いながら、楽しく暮らして行けると思う。それは何百年も何千年も貴方たちが繰り返して来たことだ。たかだか100年ちょっとくらい前に世界の舞台に踊り出したサムライの緻密な技術を受け入れようと、或いは受け入れまいと、あまり関係はない。あなたたちは最初から人生の幸せを知っている勝者だから。

 シティホテルの狭い一室のガラス窓からは、足早に歩くスプリングコートの群れが見下ろせる。皆、静かで、表情なく、何も語らない。笑うこともないその群れが、都会のアスファルトの上を、駅に向かって黙々と歩いて行く。

ここはまだ、早春の日本だ。

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