失われた世界を探して

ロストジェネレーションのしみじみ生活

「絶望ライン工ch」を観ながら、アジアの奥地で食べたダイナミックな野菜炒めを思い出し「貧しさ」について考えたこと

 もうすぐ師走である。この国はどんどん貧しくなって行くけど、そして、国ごとオワコンだなんて言われているけど、大丈夫、ショッピングモールに行けば、結構みんな大きな袋を抱えて楽しそうに買い物をしている。クリスマスケーキの予約も、お節料理の予約も、人気のあるやつはあっという間に完売だ。そしてモールのレストラン街に行けば、そう、みんな少々値段が張っても美味しいものを食べる為にはお金を出し、さらに行儀よく並んで待っている。

要するに内需の国なのだ。1億人も人口がいるっていうのは、実は非常に大きなマーケットがあるということ。自信を持って日本人が日本人に対してガンガン商売をしかけ、ガンガン稼いでガンガン消費すれば、かなりいい感じの経済になるのである。

だから、一人当たりのGDPがついに隣の国に抜かされたぁ、なんて周りと比較して落ち込まなくても、このたくさん消費者がいる日本の国で、日本人を相手に商売すればいい。

が、問題は、せっかく数はいるのに、その三分の一が年金暮らしで「ガンガン稼いでガンガン消費」していないということだ。これではいくら人口がそれなりにいても意味がない。なので、年金なんて死ぬ直前まで与えないでおいて、「ガンガン稼いでガンガン消費」させれば問題解決じゃん、という発想が出て来るのは当然だろう。

ということで、僕たちの老後は「もはや老人という概念はない、むしろ差別用語だ。健康寿命の70歳過ぎまで働くのは国民の義務だ。それまでは年金なんて貰おうとしてはいけない。甘えては駄目だ。みんなでこの国を支えるのだ。がんばろう日本!」という時代になるのを知っている。知っていて、それでも尚、僕たちは愚直に働き、税金を納め、生活をしている。「みんなでこの国を支えるのだ」なんてスローガンのもと、70歳を過ぎた自分たちが、ハローワークでアルバイトの奪い合いをしている姿を想像し、20代の就職難の頃と全然変わってないじゃん、もっと上の世代から早くこれをやっておいてくれよぉ、なんて愚痴り合っているのかな、なんてクスクス笑って想像しながら、この厳しい中年期を過ごしているのである。戦後で一番忍耐力がある世代であると言ってよい。

 なので、例えば家族を連れてちょっと贅沢に外食なんてしていたら、「こんな風にちょっと贅沢、なんて自分たちが年寄りになったら出来ないんだろね。今のうちに食べておこう」という類(たぐい)の会話が始まり、どんどん体が衰え死に向かいながらも、少なくともそこへ上乗せして「どんどん貧しくなって行く」なんて想像する必要がなかった上の世代を羨ましいなぁ、なんて考えるのだ。自殺の理由の多くは健康問題であり、次いで生活・経済問題である。僕たちが年寄りになるころ、またこの国は自殺者が3万人を越えて行くのだろう。その頃には安楽死とかが合法化されていて病死にカウントされ、そういった暗い不名誉な数字が解決されるのかな?高級官僚が考えそうな解決策だ。

 じゃあ、「貧しくなって行く」その先で、年寄りになった僕たちは、体のあっちこっちが痛いよぉ、昼間やったバイトがキツかったよぉ、なんてブチブチ言いながら、夕ご飯を食べているのだろうか?その時食べているものは一体何?

昭和風に言うなら、毎日毎日、白米とめざし?

いやいや、めざしって今や結構な値段で、貧乏暮らしで食べるものではありません。それは偏見というものです。

じゃあ数十年後、70歳になった僕たちが、年金も貰えずに食べている質素なご飯って何だろうか?納豆と卵かけご飯?

いやいや、納豆も卵かけご飯も馬鹿にしてはいけません。いずれも栄養価が高く、熱々の白米に納豆を乗せた時のあの幸せ、卵かけご飯の白身と醤油が混ざって舌の上をツルンと流れて行くときの食感と味わい、それらを是非思い出して下さい。食生活が貧しくなるなんて、間違った考え方です!

というのを、「絶望ライン工ch」という有名なYouTuberの方の作品を観ていて、改めて思った。そうだよなぁ、食事って奥が深く、料理をする際、それがスーパーで安くで買って来た食材であっても、創意工夫と、何より「美味しいものを作ってみせるぞ」というワクワク感のプロセスを楽しめれば、もうその時点で半分成功しているのである。もはや「貧しい」食事などではない。「絶望ライン工ch」では、こじんまりした炊事場で、モヤシとかシャケとかコンニャクとか味のある食材が並べられ、それが魔法のように美味しそうな料理に生まれ変わって行く。そこにあるのは、ステレオタイプに収まろうとしない食生活の楽しみ方であり、厳しい時代を生き抜いて行く為に何だって楽しんで味わってやるぞ、という逞(たくま)しい覚悟である。出来上がった料理は、YouTubeの中で「カンパーイ」と共にビールでお腹に流し込まれ、定番の素敵な音楽が流れ始める。

 アジアの山奥に駐在していた頃、そこはまだ経済発展の恩恵を受けていない地域で、人々の大半は貧しい暮らしをしていた。小さな家に、お爺さんとお婆さん、両親、叔父さんとその奥さんと生まれたばかりのいとこ、それから自分の兄と兄の奥さんと甥っ子、さらに自分の妹と・・という具合で一族が大勢で一緒に暮らし、雑魚寝(ざこね)し、ご飯を食べ、トイレで排泄し、密集してみんなで水道水のシャワーを浴び、ワイワイガヤガヤ賑やかに暮らしていた。会社のスタッフの家に食事に招かれて行くと、大抵、暮らしぶりはそんな感じだった。

僕は当時、ホテルで暮らしていたけど、周囲に日本食が食べられる場所なんてなく、地元の料理を食べるしかなかった。且つ、最初の頃はコトバもほとんどしゃべれなかったし、メニューも読めないし、そもそもどこに美味しい店があるのか分からなかった。

なので、休日の昼食はホテルの食堂へ行って、身振り手振りと筆談で料理をオーダーし、ステンレス製のボールにその料理を入れて貰って食べていた。

貧しい地域のどローカルなホテルの汚い食堂である。コックの男は不愛想で、エプロンの首元が垢で汚れていて、もちろんエプロン自体も洗っていないから汚れていた。全身からなんだか変な臭いがしていた。でも仕方ない。

「何を食べたいのだ?」

「野菜を食べたい」

「何の野菜を食べたいのだ?」

「トマトと、それから緑の野菜」

「緑の野菜ってなんだ?」

「う~ん、何というか、ほら、要するにキャベツとかレタスとかキュウリとか」

「今は季節が違うからそんなものはない」

「う~ん、じゃあ適当に緑の・・・」

「緑だったらいいのか?」

「いい」

「分かった。作ってやる」

出て来たのはトマトとニガウリを油たっぷりで炒めた料理だった。このあたりでは何でもニンニクをぶち込んで油でダイナミックに炒めるのだ。食材については、毎朝、地元の農家の婆さんたちが、大きな麻袋に採れたての野菜を入れて、食堂の裏口に持ち込み、この不愛想なコックと値段交渉して売っていた。

お金を払う。日本円で60円だった。えらく安い。ずっしりと中身の入ったボールを抱え、部屋に戻ると机の上に置いて、スプーンですくって一口食べる。

美味しい!

塩コショウで炒めているだけなのに、こんなに美味しいんだ、ってやみつきになり、それ以降、僕の休日の昼ご飯の定番になった。この料理は、たぶん自分の一生で一番、美味しさに対する費用対効果が高かった料理だ。ニガウリも強火で油で炒めることによって、ほどよくエグ味が消え、そこにニンニクの芳ばしい風味が加わって本当に美味しかった。僕はホテルの窓の外ののどかな風景を眺めながら、あっという間にその料理を平らげた。食事を楽しむというのは、決してお金をかければいいってもんじゃないのだ。貧しいからって食生活が貧しくなるなんて、間違った考え方なのである。

 が、いったん豊かになった国が貧しくなる場合、かつて貧しかった頃のような豊かな食生活は戻りにくいのかもしれない。そこにワイワイガヤガヤと一緒に食べる大家族はおらず、新鮮な採れたての野菜も口にするのは難しく、そもそもそういうものは健康志向の食材だから無茶苦茶値段が高い。だから、一人で、アパートで、スーパーで買ってきた普通の食材(必ずしも採れたてではない)を使って、どうやって美味しい料理を作り楽しむのかが、これから貧しくなって行くこの国で、それでも楽しんで生き延びて行く為の処世術になるのである。

生きてるって悲しいね~

「絶望ライン工ch」の軽快な音楽が素敵な歌詞とともに流れる。

そうだね、悲しいね。昔、誰かが「ニヒリズムぎりぎりのオプティミズム」という言葉を使ったけど、そう、人生は方丈記で言う「うたかた(水面に浮かぶ泡)」のように、そして「ゴミ」のように続いて最後には全員が平等に骨になるのだけど、それでも生きて行く、楽しみを見つけしみじみ味わって行くんだ、という楽観が、僕たちを支え続ける。

 ところで、遂に80億人に達した世界の人口のうち、10億人が深刻な飢餓状況に陥っているらしい。これは、せっかくオギャーと人間に生まれても、8人に1人は食べることさえ難しいということだ。だからあんまり贅沢を言ってはいけない。羨んではいけない。世界は広く、まだまだ途方もない悲しみが広がっているのである。この小さな島国で、かつて繁栄を極めた古い国で、僕たちは、最後まで逃げ切る為に目の前の富にしがみ続ける年寄りたちをおんぶしながら、ヨロヨロしながら、それでも、それぞれのやり方で黙ってサバイバルをして行くのだ。

目の前の小さな幸せを見落とさないように、ゆっくり生きて行こう。

アジアの僻地で食べていた、あのダイナミックな野菜炒めを思い出しながら、僕はニヤニヤとYouTubeを観ている。

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