仕事でもプライベートでもなかなか上手く行かない、前に進んでいかない、苦しい、みじめだ、空しいなんて、腐るほど経験するのがフツーだけど、それが「フツーだよね」って寝そべりながらゲップでもするように言えるのは、その人が年をとっているからである。人間の年齢は我々に、肉体の衰えという悲しい試練を与えるが、同時に、「面の皮が厚くなる」という素敵な贈り物もくれるのだ。
が、若い人はそうは行かない。若い人たちは可能性という希望がある一方、傷つきやすさの呪縛の中で生きている。なかなか上手く行かない、前に進んでいかない、苦しい、みじめだ、空しい、のまま落ち込んで行き、そのまま気持ちが底の底まで墜落して行って、ある日、「仕事を辞めようと思います」と打ち明けて来る。
何?仕事辞めてどうするの?ユーチューバーになってバンライフとか始めるの?仕事なんてどこだって一緒だよ。どうせ天然資源がこれっぽっちもない貧しい国なのに、しかもこんな年寄りだらけの国なのに、GDPが未だに世界第3位だなんて、みんなヒドイ目に遭いながらヒーヒー言って働いて税金納めて何とか成り立っているのがこの国のカラクリだよ、どこの会社行ったって国を飛び出さない限り一緒なんだよ。この国で働くってそういうもんだよ。
なんて言ってはいけない。これはド昭和の言説である。そんな事を落ち込んでいる若い人に言っても、「昔はね、防空壕というのがあってね」と僕たちが子供の頃、お爺ちゃんやお婆ちゃんから聞いてポカンとしていたように、彼らの心に何も響いて行かないのだ。
で、若い人が離職するのは、会社組織がそもそも古いとか、日本という国がそもそもオワっているとか、そういう事は置いておいて、マネージャーたちが活き活きした職場づくりを出来ていないからだ!と人身御供(ひとみごくう)のように中年たちが責められ、責められたそんなマネージャーたちがため息をついてうなだれているのを見て、あぁ、あれが自分たちの数十年後か・・・なんて若い人たちはますます仕事を辞めて行く。これが世相というやつだ。
落ち込んだ時にどのようにそこから抜け出せばいいのか?これを傷つきやすさの呪縛の中にいる若者たちに、どうやって効果的にアドバイスするのか?
若い部下の人たちと面談をする度にその問いを考えてみるが、これだけ年齢が離れると、世代が違い過ぎて、つまりは価値観が違い過ぎて、そのくせ一緒に生きているこの国や社会は老人たちが牛耳り続け、昔のまま閉塞感でいっぱいで、希望のある上手な答えが見つからないのである。
「苦しい時には、自分のそれまでの人生を振り返ってみて、一番みじめで悲惨だった頃の自分を思い出すんだよ」
僕が若者だったころ、上司だった40代の課長が僕にそうアドバイスしてくれた事があった。もちろん、これは昭和のアドバイスである。今じゃ全く使えない。
「これまで頑張って来て今の君があるわけでしょ。昔、頑張って乗り越えて来たその過去の自分がさ、大丈夫だよ、あんな大変な時期も乗り切って来たんだから君は大丈夫だよ、なんてな具合に、今の自分を励ましてくれるんだよ。最後の最後に自分を支えるのは、親でも友達でもなく、過去の頑張った自分であって、その自分が今の苦しんでいる自分の横に立って励まし続けてくれるんだよ。」
これは昭和のアドバイスをちょっと丁寧に言い換えただけである。平成くらいまでは通用したけど、令和の若者にはやっぱり「防空壕」でしかない。はぁ~・・・
という話を家人にしたら、
「イヤなことがあった時は、美味しい食べ物のことを考えればいいのよ」
と明快なお言葉を頂いた。男前な見解である。
美味しい食べ物かぁ、なるほどね。確かに、人は美味しい食べ物を食べている間は、死にたいなんて絶対思わない。
僕はそっと頬を撫で、出来る限り長生きし、そしてこの人より数日だけ長生きし、見送る時には院号に「満腹院(まんぷくいん)〇〇〇〇」と付けてやろうと密かに考えている。
結婚前に家人が作ってくれた迫力いっぱいのアップルパイ
画質が悪いのは大昔のガラケーで撮影しているから。でも初めてこれを作ってくれた時、そのリンゴの大きさに、そして全体のつくりの迫力に圧倒され、その向こう側でこちらをニコニコ見ている家人の笑顔にすっかり参ってしまって、僕は携帯電話をおずおずと取り出し、撮影した。もう大昔の話だ。でも人生で本当に「美味しかった!」食べ物の一つである。
中国の奥地で食べた舌の根元まで痺れる本場の本物の麻婆豆腐
駐在時代に中国の山奥のローカル料理屋で本場の麻婆豆腐を食べた。本物の麻婆豆腐は「辛い」のではなく「痺れる」のである。その痺れ方が癖になるほど美味しく、僕は何杯もお替りした。
神戸へ遊びに行くたびに必ず食べるずらっと並んだ明石焼き
さあ、片っ端から食べるぞ!という感じで、お椀にだし汁をいっぱい満たし、箸でつまんでパクパク食べ始める瞬間のあの幸せ。
郡上八幡で郡上踊りを見に行ったついでに食べた鯉のあらい
鬼平犯科帳を読んでいて、頻繁に登場するのが、軍鶏鍋とこの「鯉のあらい」。昔から食べたくって、いつか食べようと思って、郡上踊りを見に行った時に立ち寄った老舗の料理屋で、念願かなってついに食べることが出来た。酢味噌をつけてキュッと食べたら喉越しがサイコ―!日本酒が欲しくなる訳です。
道後温泉に浸かったあと道後ビールを飲みながら食べた鯛めし
鯛めしというのを、そんなに期待していなかったのに、食べ始めたら止まらなくなって、お櫃(ひつ)を空けてしまった。鯛のだしは、コメを別次元の美味しさに進化させる、というのを思い知った。腐っても鯛、だなんて、昔の人はよく言ったもので、鯛って魚の中ではやっぱり別格なんだね。
温泉旅館の自動販売機で売っている焼おにぎり
温泉と言えば、旅館で湯に浸かっては出てビール飲んで、湯に浸かっては出てビール飲んでいるうちに、夜半、ちょっと小腹がすき始めると、ふらふらビールの自販機の隣の食べ物関係の自販機に行って、ついつい買ってしまうのがこの「焼おにぎり」だ。
中身はこんな感じ。自販機で温められてから出て来るので、開ければ芳ばしい香りがプンと飛び出して来る。ハイ、またビールが進みます。
ふと立ち寄った料理屋で出て来たブリかまの塩焼き
ブリかまの塩焼きなんて、近所のスーパーで買って来て家であら塩をまぶして焼いて作れるから、ちょっとこんなお金を出して食べるかな?と迷ったけど、注文して大正解だった。プロの手にかかると、塩の種類、焼き具合でこんな風味豊かな「料理」になるのかと、ひどく感嘆したのを覚えている。あれ以上美味しいブリかまの塩焼きを、僕は食べたことがない。
海老と甘露の東海寺焼
胡蝶蘭という出て来る料理全部が絶品の旅館で食べた焼物料理。「ワカメ、シメジ、玉ネギ、ベーコン、チーズ、パスタ、パセリ」が入っていて、要するに美味しいものをギュッと器に詰め込んだ美味しい一品だった。
「おふくろの味」の一つである桜餅
田舎育ちの人だから、母の料理はなんでも味が濃くて、餡子(あんこ)はめっぽう甘く、周りを包む桜の葉はめっぽう塩辛い。その田舎臭い味付けも含め、愛情のこもった「おふくろの味」。
あ、元気が出たかも。
ひどい一週間を終えて、あぁもうウンザリだよ、キツいよぉ、なんて落ち込んだ気分のまま、死んだように眠る週末だけど、これまで食べて来た美味しい食べ物の数々を思い出しているうちに、なんだか気分がすっかり良くなって来たぞ。
「イヤなことがあった時は、美味しい食べ物のことを考えればいいのよ」
僕はこの単純明快な魔法のコトバを思い出し、お風呂に浸かっている。今日は金曜日の夜だ。
さて週末。ゆっくり休もう。