失われた世界を探して

ロストジェネレーションのしみじみ生活

映画「花束みたいな恋をした」を見てマグネシウムの燃焼と焚火を想像したこと

 以前「明け方の若者たち」という映画を見て、作品の中に若者時代に暮らしていた明大前の風景が頻繁に登場し、ひどく懐かしい思いをしたが、人づてで「花束みたいな恋をした」という、これまた青春ど真ん中の恋愛映画も明大前が登場すると聞いて、Amazonプライムで観た。

「明け方の若者たち」の時は、懐かしい街の風景が次々と現れて目をつい奪われ、ストーリーそのものが全然頭に入って来なかったけど、今回の作品で明大前は主人公たちが出会う場面(終電を逃す場面)で使われていただけで、その他のシーンも甲州街道沿いを歩くシーンが少しあったくらいで、「懐かしい!」というのが最小限に収まり、僕は物語をすっかり満喫した。

こんなオッサンが、こんな眩(まばゆ)い青春真っただ中の作品を映画館に見に行くのはちょっと恥ずかしいけど、その点、サブスク万歳である。僕は家のリビングでソファに横になりながら、時々うたた寝しつつ、また巻き戻して(この「巻き戻して」という表現が既に昭和!ビデオテープ世代!)、のんびり鑑賞した。

こんな感じが一人で過ごす休日の最近の定番である。外は残暑だ。エアコンの効いた家の中で、じっくり時間と手間をかけてアイスコーヒーを作ってみたり、そうやって寝そべって映画を観たりするのが、何より幸せに感じる。

 「花束みたいな」という表現は本当に素直でセンスがいいなぁ、なんて見ながら思っていた。やたらヨーロッパ映画を観ることに凝っていた若者時代は遥か大昔に過ぎ去り、今は自然に、邦画でも若者向けでも子供向けでも老人向けでも、そして日本人向けでも外国人向けでも何でも一切気にせず、なんとなく見始め、そのまま見ている。そういう鑑賞の仕方が出来るようになったのが、とても嬉しい。こだわりが無くなるって、本当に幸せへの近道である。というのに初老に差し掛かってやっと学び始めた。

さて主人公たちは明大前で終電を逃す場面で偶然出会い、そこから恋が始まる。趣味が合う、好きな小説も音楽も一緒。世の中で不思議に思っていたことも一緒。要するにセンスとか価値観がパチンとハマって、交わすコトバ、会話がすべて楽しくて仕方なくて、そうか、こんな人が世の中にいたんだ!ってその偶然性に興奮して、恋は一気に燃え上がる。

とここまで書いてみて「燃え上がる」なんて表現も昭和だなぁなんて思った。が、表現は既にカビ臭いかもしれないけど、毎度毎度、若者たちが主人公の映画を観るたびに思うのは、やっぱ日本人って変わらないなぁ、ナイーブだなぁ、真面目だなぁ、という事だった。燃え方が静かで行儀いいのだ。

この映画の中で、ごく普通のカップルが、一緒に生活を始め、等身大のまま一生懸命生き、一生懸命恋し、結末を迎えている。至極まともな生き方を、必死でナイーブに生きている。現実の若者たちも同じような感じなんだろな。そう思った。最近じゃ車窓の外を歩く若いカップルを見ていても、なんだか眩(まぶ)しいものを見ているような気分だ。

「燃え上がる」という昭和な表現を使ってしまったので、ついでに書くと、20代前半、要するに人格形成の最終段階が終わった直後の、人としてアクなくフレッシュな状態でやる恋愛は、マグネシウムの燃焼だ。一瞬で燃え尽き、その燃えている間に放たれた閃光(せんこう)は、一瞬だけど我々の心に焼き付き、その美しさは一生、残像として脳裏に焼き付く。が、あっという間に、そして確実に燃え尽きてしまうのだ。だって最初に大好きになって、あとは減点方式だもの。

一方、これまた昭和風でありきたりな表現だけど、人格形成が終わってだいぶ時間がたち、人格にアクが付き始めた30歳前後ころからの恋愛は焚火(たきび)の恋愛もオプションとして選択可能だ。焚火(たきび)を選んだ場合、上手く行けば長々と炎は消えず、忍耐力が備われば、その燃え具合の微妙な変化や、木の燃える芳(こお)ばしい香り、パチパチと小気味よい音、その全てをゆっくり味わって一緒に生活して行ける。運よく薪(まき)が豊富に確保できて質が良ければ、或いは、たいてい晴れの日が続くなどして炎を焚き続ける環境が整っていれば、二人の寿命が尽きて一生を終えるちょうどいい頃に、二人は灰になれる。要するに「なんだ、こんな風にも燃えるんだね」なんてチマチマと加点方式をやるのである。

でも、あくまで20代にやる恋愛はマグネシウムの燃焼なのだ。繰り返されることで麻痺して行く感情とか、変わって行く二人の関係性とか、それに耐えるだけの忍耐力はなく、燃え尽きるのみである。

そうして30歳前後になって改めて始まる恋愛を、マグネシウムの燃焼にするのか、焚火(たきび)にするのか、人は道を選ぶ。30歳前後から再びマグネシウムを手に取るのもアリだけど、今度はほぼ確信犯的に光を放つ。いずれ灰になるのを知りながら、刹那(せつな)的に感情の高まりを、肉欲の発露を楽しむのだ。今度は燃え尽きても、20代に燃え尽きたようなヒドイ傷つき方はしないだろう。やがてすぐに立ち直り、次のマグネシウムを探す。そういう道だ。

一方、焚火(たきび)は忍耐力勝負だ。いくら年を取り始めたからと言って、30歳前後じゃ、まだそんなに「じっくり味わう」なんて出来ない。だから、ちょうど面白くなり始めた仕事に没頭したり、時々恐ろしく背徳的なアバンチュールを楽しんだり、子育てという便利な煩雑さで己(おのれ)を殺してしまったりする。そうやって選んだ道をなんとか歩き続けようとする。もちろん歩くのを止め、全部を捨てて別の町でマグネシウムを手にするのもアリだ。人生は悲喜こもごもである。

では40代から始まる恋愛はどうだろうか?

50代の恋愛は?

もちろん、マグネシウムを選ぼうが、薪(まき)を選ぼうが自由である。人はどうせ何をやろうとやり遂げようと、平等に年をとり、肉体が滅び、数十年で無になる。

 26歳の頃、勤めていた会社に50歳過ぎの事務員の女性がいた。僕は昼ご飯は有名な玉子屋の弁当を食べていたが、その人も同じように玉子屋のを食べていて、いつもインスタントの味噌汁を僕の分も作ってお椀に入れて持って来てくれた。昼休みの雑談の中でよく身の上話を聞かされた。北海道出身の彼女は早稲田中退で、70年代初頭の学園紛争の激しかった最後の時期に大恋愛をして、結婚し、子供を産み、その後、相手と別れたこと。今の夫とは40代から付き合い始め、バツイチ同士の再婚であったこと。お互い子供もいたが、付き合い始めた頃はバイクに乗って2人であっちこっち旅行に行ったこと。楽しそうに話していた。夫に結婚5周年の記念に買って貰った赤いバッグを肩に掛け、毎日、上機嫌で出勤して来た。笑顔が絶えず幸せそうだった。

 その彼女が、ある日から急に笑わなくなった。深酒をしているのか、顔色も悪くなり、相変わらず味噌汁を作って持って来てくれたけど、ものすごく疲れている感じだった。

その頃ちょうど会社も傾いていて、都内にある工場は閉鎖する予定だった。事務所も営業部門のみを残し、あとの部門に所属する全員が、北関東の工場へ転勤するか会社を辞めるかを迫られていた。彼女は東京に残ることを決意し、辞める予定だった。

「彼とは上手く行かなくなったの。頑張ったけど相手の子供とも上手く行かなくて・・なんかね、タイミングが全部悪くってね。別れるんだけど、新しいアパートも探さなきゃいけないし、こんな年で雇ってくれそうな所もなさそうだし、後々のことを考えて、いよいよ青いビニールシートでも買おうかしら」

青いビニールシートとは、もちろんホームレスのテントを指す。ある日、昼食の雑談で、味噌汁をすすりながら、彼女がそう言った。冗談とも本気ともつかない顔だった。そして僕はまだ26歳で、相手にかける言葉は思いつかなかった。ただただ、成熟した大人だって、きっと僕たちなんかよりずっと忍耐力のある、いわば酸いも甘いも知った大人だって、こんな風に恋愛ってやっぱり上手く行かなくなる時は一瞬なんだな、と思っていた。寒い東京の冬の日だった。

その後、工場閉鎖と北関東の工場への生産移管の段取りで忙殺されている僕の座席の前に、営業マンとして新規で採用された人が座った。営業部門は残るのだから、人員補充という訳だ。でも新人といってもその男性は既に50歳を過ぎていた。以前は教材の営業をやっていたらしく、畑も違うし、全然使えないって、30代の営業課長が怒り狂っていた。50過ぎの新人はその課長の罵倒に毎日耐えながら、リストを片手に順番に電話を掛け、アポが取れると外へ飛び出し、深夜になると帰って来た。温厚な人で、見るからに忍耐力のありそうな人だった。

その時期は辞めて行く人と、これから営業として生き残ろうとする人が交わる、不思議な期間だった。僕は北関東へ行く準備をしながら、辞めて行く大人の怨嗟(えんさ)と、必死で生き残り食いつないで行こうとする大人の後ろめたさの交差する事務所の風景を見ていた。

「新橋に馴染みの美味しい料理屋があるんですけど、今度一緒に飲みに行きませんか?」

50過ぎの新人はあくまで丁寧だった。親子くらい年が離れていたのに、こちらが恐縮するくらい丁寧な言葉で僕を誘ってくれた。夜中近くまで働いて、事務所に二人きりになることも多く、話す機会もあった。僕は人生の後輩として堂々とついて行き、本当にそこの料理は美味しく、盃を交わしながら相手の話を聞いた。人の話を聞くのは若いころから大好きだった。その人は時々白髪をかき上げながら、娘が前年に成人式を迎えたこと、離婚した相手とはずっと上手く行っていなかったけど、娘の為に別れるのを我慢し、晴れて成人したので、こちらから切り出したこと。せいせいしたと思っていたら、今度は30年近く務めた会社をリストラされたこと。別れを切り出された側って大抵、自分はそんな事言われるなんて予想していないから驚くんだけど(前の奥さんも離婚を切り出したらひどく驚いていた)、切り出す側はもう相当前からそんな事を考えていたんだよね、って事は前の会社はきっと、ボクの事をだいぶ前から切りたがっていたのかも、なんてケラケラ笑い出した。

昼間、事務所の中では「すいません」と小さな声で繰り返し謝っている姿が印象に強かったから、なじみだというその狭い料理屋で明るく笑う彼の笑顔を見て、僕も暖かい気持ちになったのを覚えている。時代も組織も人に非常に厳しかったけど、そしてそれは今もこの国の現実だけど、一人ひとりの個人は一生懸命生き、そして時にはふざけた異常者が暴れ回って無差別に人を殺すことがあっても、ほぼ大半の人々は生真面目に、謙虚に、小さな幸せを忍耐強く噛みしめて生きている。今も昔もそれは変わらずだ。

「そうそう、いつも味噌汁を作って持ってきてくれる方がいるじゃないですか。本当にボク嬉しくて、でも、もう辞めてしまわれるんですよね?」

あ、と思った。興味があるんだ、と思った。

キューピット?いやいや、無理でしょ、こっちはただの若造だし、年齢違い過ぎて何をアピールしてあげればいいか分かんないし、とか思っているうちに、次の話に話題が移って行った。

が、この話には後日談があり、僕が何もしなくてもその1か月後、工場閉鎖の最終日、レストランで行われた会社主催のお別れパーティの後で、二人で仲良くスナックへ入って行くのを僕は目にしている。二人の身の上話を聞いた僕としては、今となってからの想像だけど、いよいよ老いが迫ったその瞬間に、心と体を温めるための火をくべようと、二人で薪(たきぎ)を取りに行ったのかもしれない。そのあと一つずつ組み上げ、火をつけて、炎をかざし、炎が消えてしまわないように、薪(まき)をくべ続けたかもしれない。それまでの人生で培(つちか)った忍耐力は、今度こそ命が尽きるまで炎を灰にせず、静かに燃やし続けるかもしれない。

これは幸せな想像だ。

 さて、キャンプブーム真っただ中にあって、焚火(たきび)に振りかけると炎の色が七色に変化する粉が売っているらしい。You Tubeで見たら本当に七変化していた。そして炎がなんだかマグネシウムを燃やしたみたいな明るい閃光に見える瞬間があった。フォトジェニックなキャンプファイヤーになるというので若者に人気らしい。で、その七変化は30分くらいで終わるらしい。

分かっちゃいないなぁ、なんてほくそ笑んでみる。フォトジェニック?

焚火(たきび)のような恋をしたい。忍耐力をもって薪(まき)をくべ続けよう。なんて大人向けの地味でストレートな恋愛ものでもないかな?

休日の午後の時間がのんびりと過ぎて行く。僕はソファに寝そべり、次の映画を探している。

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