失われた世界を探して

ロストジェネレーションのしみじみ生活

写真を撮るということ

 実家に帰った時に父親の部屋を片付けていて、古いフィルムカメラを見つけた。アイレス35Ⅲsという1958年製のもので、アイレス写真機製作所という、もうとっくの前に倒産して無くなっている会社の製品だ。父親は僕たち家族を、全部このフィルムカメラを使って撮り続けた。どこへ行くにもこの重たそうなカメラを皮のケースに入れて大事そうに持ち歩いていたのを覚えている。70年代から80年代の話だ。

 久しぶりに見たその写真機は、本当にずしりと重かった。子供のころは触らせてもらえなかったから、その重さは想像通りでちょっと嬉しかった。手で持つ部分のモルトプレーンが剥がれて外観はだいぶボロボロだったけど、まだシャッターは切れた。僕はそれまでマニュアルのフィルムカメラなんて使ったことがなかったし、学生時代は「写ルンです」が全盛の頃で、それで友達と記念写真を撮る程度だった。そしてすでに写真は携帯電話で撮る時代だったけど、古めかしいカメラを手しているうち、まだコレ写るのかなって考え、フィルムを買ってきて使い方をネットで調べ、庭の花とか自分の車とかいろいろ撮ってみた。その時初めて絞りとかシャッター速度とかの仕組みを学んだ。

 果たして、現像されたプリントにはしっかりと僕がファインダー越しに目にした風景が映されていた。輪郭がなんだか昭和って感じのキリキリした感じで、色合いも、あぁ家族写真は全部こんな感じだったなという優しいぼやけた感じだった。

 1枚だけ庭で撮ってあげた母親の写真があって、それもきちんと写っていた。渡してあげたら「アラけっこう綺麗に撮れてるね」と喜んでくれた。父親が死んで5年くらいたった後だったけど、父親のアイレスでまた母親の姿を撮影出来て、何だかちょっと親孝行した気がしたし、息子としてほんの少しだけ誇らしい気分だった。

 古い機械がそれでもまだ頑張れるというのは、もはや若者でなくなった男にとって、とても勇気の出る話だ。機械式のフィルムカメラは修理すれば永久に使えるという「永久」に惹かれ、そのあとニコンFだライカM3だと買い始め、僕はすっかりクラシックカメラの虜になった。休日には車で田舎へ出かけ、気に入った風景を見つけては、これでもかと手間をかけて1枚1枚を丁寧に撮影した。非効率を楽しみ、現像まで待つという不便さを楽しむのが、独身時代最後の頃の、優雅な休日の過ごし方だった。

 今や家族を持って、使用するカメラはもっぱらデジカメである。モタモタ撮っていたら、いつまでポーズを取らせるのだと怒られるし、大事な場面でブレブレの写真にしてしまうと、手振れ防止機能がついていてなぜこんなブレブレの写真になってしまったのだとか、後でいろいろと苦情が来るので、効率的かつその場で出来栄えを確認して確実に撮らなければいけない。ライカでフィルムを使うのは一人で撮影に行く時だけだ。

 そして父親のアイレスは、僕の書斎のニッチに飾って置いてある。もう製造されて60年以上がたった古いそのカメラは、まだフィルムを入れればきちんと写せるし、しかも本気を出せばそれなりにボケ味がきれいな美しい写真を撮れる。僕は時々、朝一人で早く起きた時などに、家族の寝顔をこれでそっと撮って、またそっとニッチに戻し、自分の子供時代などを思い出している。

 

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