失われた世界を探して

ロストジェネレーションのしみじみ生活

旅に出るということ

 旅をする理由とか意味ならごまんとあって、非日常を味わってストレス解消できるとか、本場のグルメを味わえるとか、要するに効能みたいな理由もあるし、自分を見つめ直せるとか、新たな価値観を見いだせるとか、忘れていた自分の情熱を取り戻すきっかけになるとか、ちょっとマインドに響くような理由を挙げる人もいる。が、正直、40歳を越えて人生の半分を終え、あとはひたすら働いて税金を納め、組織から放り出されたとしても何とかお金を自分で稼ぎ続け、この世からいなくなるその最後の瞬間まで生存競争に晒されて行かねばならない我々にとって旅とは、

 「ひたすら非日常を味わってストレスを解消し、美味しいものを食べること」

 という具合に徹底したプラグマティックな効能の追求で充分であると考えている。僕は大半のメーカー勤務の人たちと同様、給料が安くても土日が確実に休める=土日を人生の楽しみに生きている類(たぐい)なので、なおさら土日なんかで行く小旅行は、平日の複雑な人間関係とか組織の要請から来るストレスを、非日常を味わうことで解消し、かつ平日の殺伐とした食事(職場で会議の合間に慌てて食べる食事は、ご飯というより餌を食べるという感覚)を埋め合わせるかのように、旅先で出会った地元の美味しいものを食べることが出来れば、それで大満足である。

 海外駐在から帰ってきた人間にありがちな話で、久しぶりに日本の組織に戻ったはいいが、海外と比べ与えられる裁量権は小さく(もういらない、と簡単にチームメンバーを交換できない)、そのくせ細々した責任が網のように足に絡みつき、マネジメント上、面倒な手続きとか複雑な日本人のきめ細かなケアとかいろいろ要求され続けて、とにかく感覚を日本の組織向けに戻すまで非常にストレスフルな日々を送ることになる。僕もご多分にもれず、帰国して数年間は非常に苦労の多いストレスだらけの日々だった。どれくらいストレスフルかというと、あんまりにイヤ過ぎて、職場とか住んでいるところで息をするのも嫌で、自由になる毎週末には日本のどこかへ旅行に行っていた。本当に毎週末、出かけていたのだ。

 金曜日、本来は17時で残業なしを原則に大半の社員は退勤するのだが、僕はトラブルを抱えた部下の緊急対応をフォローしたり、週明けに提出しなければならない業績報告書なんかの作成をやっているうちに時間がとんで、結局、オフィスを出るのが20時くらいになる。あぁやっと1週間が終わった、何とか乗り切った、キツかったぁ、コレまだ続くんだよなぁ、来週はまた怒られるんだろなぁ・・・なんて考え込み、せっかくのメーカー勤務のくせに、金曜日の夜をなんでそんな暗い顔をしてんだって言われそうな顔でアパートに帰って来ると、家人が待っていて、余計なことは言わず、

「どうする?」と聞いてくる。

「うん、どっか行くよ」と僕は答えると、そそくさと家人は「お泊りセット」なるバッグを準備して、着替えとか一式を車に運び込む。

「どこへ行くの?」

「どっか、ここじゃないとこ」ハンドルを握って車を走らせた僕は、本当に行き先を決めず、コンビニでお茶とサンドイッチだけ買って高速に乗り、そのまま走り出す。できる限り遠いところのほうが非日常を味わえるし、もちろん初めて行くところがいい。日本なんて国土が狭いから、走れるところまで走って、一晩どっかで眠ってまた明け方に走り出せば、土曜日の昼頃には東北でも四国でも到着してしまう。僕はひたすら夜の高速を会社やアパートのある場所(=平日の場所)から逃れるように走り続け、家人は毎週末がピクニックとばかりに大はしゃぎして、昼間あったこととか、テレビで見た話とか、取り留めない話を車の中でずっと話し続けてくれる。僕は全然内容を聞いていないけど、彼女の声を聴いている。金曜日の夜はまだまだ頭の中はシゴトでいっぱいだけど、それは仕方ない。そして家人もそれを理解してくれている。

 土曜日の昼頃、数百キロ離れた美しい場所で観光している。「るるぶ」を手に持つ家人に見せたいものを見せ、食べたいものを食べさせ、そうすることで僕の頭の中から少しずつシゴトがぽつりぽつりと消え始め、さっき急遽予約したその晩の宿の夕ご飯に期待する。

 土曜日の夕方、温泉に浸かり、部屋に戻って食卓に並ぶ地元のグルメに目を丸くする。ビールを飲み、料理に舌鼓を打ち、家人の上機嫌な顔を眺め、食べ終わったらちょっとウトウトして、それからもう一度、温泉に浸かりに行く。夜は平日の浅い眠りとは比べ物にならない、心地よい深い眠りの中へ落ちていく。

 日曜日の朝、窓の外の美しい景色を眺めてから、朝ご飯を食べに行く。やっぱり地元のグルメが並んでいて、おなか一杯になるまで食べる。平日の朝飯は眠くならないためのコーヒーと脳みそがちゃんと回転するための甘いパンで終わらせているけど、日曜の旅館の朝飯は食べたいものをじっくり味わって食べ、食べているうちにこれが「人間が食事する」ということであり、本当は生きている幸せの一部なんだなって改めて気づかされる。

 日曜日の昼間、まだ帰らない。せっかくここまで来たのだから、もっと観光しておく。焼きものづくりとかの体験も楽しそうだ。昔、歴史で勉強した事件の現場とか、偉人ゆかりの地を巡るのも面白い。移動途中で立ち寄る道の駅やサービスエリアの土産物コーナーは、非日常の世界そのものだ。串焼きとかお焼きとかちょこちょこ喰いをしながら、僕たちは旅を楽しみ続ける。

 日曜日の夕方、さすがにそろそろ帰途に就く。運転中に明日からのシゴトがあっという間に頭の中を占領し始め、高速を走る僕は金曜日の夜と同じ表情をしている。家人は何も言わない。僕たちは夜中の12時過ぎにアパートに到着し、シャワーを浴びて、ビールを飲んでベッドに入る。日曜の夜なんてどうせ眠れない。若いころからそうだ。そうしてまたストレスフルな平日が始まる。

 そうこうしているうちに、駐在時代に貯めた預金がどんどん無くなってしまった。その頃にはもう本州の観光地は行ったところがないくらい旅行に行っていた。2回目となると、たとえそこが自分の住むところから数百キロ離れていても、もはや非日常ではない。でも一方で僕自身が、そろそろ日本のストレスフルな組織に改めて順応し始め、自分のアパートで土日を過ごすことも出来るようになっていた。そろそろ潮時だと思った。僕は家人に家を建てることを宣言した。一つは貯金がなくなってしまう前に家を建てて節約生活に切り替えるため。もう一つは、土日に二人でのんびり過ごせるお気に入りの場所を作るため。

 今や土日は我が家で寝坊し、もんじゃ焼きをし、近くのショッピングモールへ買い物に行き、また家に帰って読書しながらウトウトし、夕ご飯のカレーを作り、そのあとネットで映画を見ながらのんびり過ごしている。でも時々、こんなパンデミックでシゴトが大変なことになって、平日のシゴトがついつい週末に押し寄せて来て、僕の頭の中からシゴトが消えなさそうな金曜日の夜には、家人が「お泊りセット」を準備し、僕はハンドルを握って高速を走り出す。でもすぐに下りる。こんなパンデミックだから何度も行ったことのある近場で車を止める。それは仕方ない。もちろんそこに大した非日常はないけど、なんとなくあの非日常を求めて毎週末に日本中の観光地に出かけた懐かしい日々を思い出し、ちょっとその時の気分を再現してみるのだ。そして非日常とか関係なく、地元のグルメは何度食べようと美味しいことは変わりはない。僕は海鮮や山菜を頬張り、温泉に浸かりながら、あの旅の日々を思い出している。

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