2023/09/10
台風の季節到来で、先月からやたらめったら台風が現れて日本や大陸の沿海部にやって来て、大きな爪痕を残して行くが、僕がいるこの異国の山奥は、あまりに内陸過ぎて、途中にそびえる膨大な数の山々を台風は越えることが出来ず、結局、そのままの形でここまで辿り着けない。テレビで見るニュース番組の暴風雨の映像は、まったく外の世界の出来事である。ここは巨大な盆地(だから夏が死ぬほど熱く、冬は死ぬほど底冷えするけど)であり、幸いにして台風の猛威は、遥か山々の向こうの海側の出来事となっている。
そんな大盆地はもちろん残暑も厳しいのだけど、秋口に入りさすがにいくらか過ごしやすさも出てきたから、休日には近場の観光地へ足を運ぶこともあり、とは言ったって無名の場所の無名の観光地なので、地元の人たちだけで賑わっている門前町とか、実は十年前に作った景勝地(人口の湖にいかにも数百年前からあったかのような歴史建造物っぽい様式の橋や塔を作ったところ)などを、ゆっくり散歩する程度の話である。
で、観光地はそんな感じだが、帰り道にぷらっと立ち寄った町のそのあたりに建っている小さな寺が、実は日本でいう奈良時代初期の創建だったりして、ありゃびっくり、なるほどね、歴史の長さという意味では、この国はちょっと規模感が違うのかもね、なんて思いながら、ペンキでピカピカに塗りなおした境内や仏像をゆっくり眺めている。
「ペンキでピカピカ」は勿論、日本人としては違和感があるのだけど、昔、東南アジアのスタッフが僕に言っていたように「だって大切なものを綺麗にしたい、色を新しく塗りなおしたり、ダイヤモンドを埋め込んだりしたいって思うのは、人間として普通ですよね」の通り、どちらかというと、仏像の片足や片腕がちぎれて取れていようが、顔の一部の塗装が剥げてボロボロになっていようが、そのままにしておいて寧ろそのボロボロの様子に、無常観や侘び寂び(わびさび)のような美意識を感じる日本人の方が、異様なのである。
が、僕はやはり日本人だ。「ペンキでピカピカ」への違和感は決して拭い去ることが出来ず、そのピカピカを眺めながら、自分の国の古都の懐かしいあの仏像たちを思い出している。
台風の話だけど、山を越えられず熱帯低気圧に分解したその破片は、雨として落ちることはないものの、この山奥に風となって到達する。普段あまり風の吹かない地域だが、台風が沿海部で大暴れして分解した破片の一部がこの地に辿り着いて空を覆った時、一瞬、太陽は雲に隠され、湿った風が辺りに漂う。湿った風なんてほとんど吹かないから、あぁ台風だった雲の破片がここまでやって来たんだねって気づくのだ。僕が歩いている古い寺の境内の柱の間を、すうっとそんな風が通り抜けて行く。
子供のころ、両親の実家の農村が大きな台風の被害を受けた。その年の台風による死者数が最も多かった被害を受け、地域一帯が壊滅状態だった。
毎年「おじいちゃんとおばあちゃんの所」へ夏休みのお盆に遊びに行くのが楽しみだったけど、その年は遊びに行けなかった。道路などのインフラがようやく復旧した夏休み明け直前になって1日だけ、墓参りに「おじいちゃんとおばあちゃん」に会いに行ったが、そこはもはや僕の知っている楽園ではなく、大きく側面をえぐられた山々とか、そこにあったはずの集落を飲み込んだ広大な土砂の塊たちとか、まだ濁っている、そして且つての何倍にも川幅が広がってしまった黒い濁流を目にした。
「先に婆さんを連れて避難所に行ってさ、戻ってきたらもう・・なかった・・あいつら・・・家ごと流されてた・・」
子供ながらに、自然ってとんでもない規模で急に人間に襲い掛かり、人間はそれがどんなにいい人間であっても、それまで一生懸命生きていたとしても、まったく無関係に命を奪われてしまうんだな、と思った。毎年、そこへ行くたびに交流があった従妹の友人たちも、家族をその災害で失っていた。父の従弟の家族も亡くなった。台風という自然現象は、小さな集落を、そこで平和に暮していた人々を、ある日、突然、まったく意味を持たず襲い、まったく意味を持たずそれらの人々の命を奪った。残された人々にとって、まったく意味がないのに苦しまなければならないって、要するに不条理ってことだ。僕は子供から大人になる途中で、小説の世界を通して、有名なカミュの不条理という概念を知ったけど、真っ先に思い浮かべたのが、この子供時代に見た台風が襲ったあとの集落の風景だった。
自然現象(自然法則)ってやつはだいたい、宇宙の始まりから始まって、終始一貫して、まったく意味を持たないのである。だから、台風はもちろん、これも自然現象の一つでしかない僕たち人間の命や運命だって、まったく意味を持たない。だから、愛する人がまったく意味を持たず命を奪われても、そこに一切れ(ひときれ)の回答も見い出せない。耐え、死にたければ死に、死ねなければ生きるだけである。そして幸運にも何かの意味を見出したりしてその後の数十年を生き延びたとしても、いずれ自身も、自然現象の一つとして、まったく意味を持たず死んで行く。どういうこと?どうして?って言うところから、この不条理って何?という大昔からやっている人間の膨大な思索(しさく)があるのだ。
カミュだけではない。ヨーロッパではアウシュビッツを生き残ったヴィクトール・フランクルが不条理を深く深く考察し、単にインテリの知的なお遊びではなく、実体験に根ざして誰も文句を言えない場所で、人間にとっての不条理を語った。ヨーロッパ人の不条理に対する感覚は、自然現象から孤立して立ち尽くす人間のイメージだ。ヨーロッパの気候とかキリスト教の影響かもしれない。荒涼たる草原の中で、人間が他の生き物とは区別されるべき特別な存在たらんとして、不条理を前に立ち尽くしているそんな様子が、彼らの思索から思い浮かぶのである。
一方、アジアの不条理に対面するやり方(知恵)は、人間が他の生き物とは区別されず、自然現象の中に内包されて存在が消えてしまうようなやり方である。自然現象から孤立して立つのではなく、いつの間に自然現象の中に存在が解消されてしまうような感じだ。東南アジアの仏跡がジャングルに飲まれてそのままとなっていたように、いわば仏像の顔が木々の隆々(りゅうりゅう)とした幹や根の渦の奥に見え隠れしているような、そんなイメージである。それは自然法則と対面するやり方ではなく、自然法則そのものに自ら内包されようとするやり方である。やはりこれも、アジアの気候や豊穣な自然の影響かもしれない。ヨーロッパの自然からは生まれにくい発想だ。彼らは大災害を乗り越えたりしない。受け入れている訳でもない。災害の大惨禍の中にあって、座り込み、佇(たたず)み、ただその中にあり続ける様子が、テレビのニュースでよく映し出されている。
で、ここ中国である。中国には老子という天才が大昔にいて、無為自然という分かり易い概念を提起していて、後継者たる荘子がたとえ話をたくさん使って更に分かり易く解説している。ただしこれは不条理に対する態度というのではなく、時の為政者や儒教に対する反発でもあり、その上で中国的=現世的かもしれない。身内が災害で死んだのは悲しいけど、クヨクヨしても始まらない。まずはご飯を食べよう。ご飯を食べれば元気も湧くし、元気が湧けば、また明日からご飯を食べるために頑張れる。そうやって自然に一生懸命生きて行けば、きっと生きている間は我々は幸せにやって行けるんだ、余計な「人間のあるべき姿」など不自然で七面倒くさい事は考えなくてよろしい、なんてな発想だろう。これはここにいる中国の人々の逞しさであり、決して日本人がマネできない代物(しろもの)なのである。
だから、不条理を前に、僕たち日本人はどの立場も取りにくいのだ。ヨーロッパ人のように、神なき荒野に立ち尽くすといったヒロイックな孤独に共感することが文化的に難しく、赤道直下の東南アジアの人々のように、自然に完全に内包されるようなジャングル的感覚もなく、一方、現世をどこまでも貪欲に生き抜こうとする中国人のタフさもない。で、朽ちて果てて行く仏像のほほ笑みの横顔を見つめながら、僕たちは無常というコトバで感傷的に不条理と向き合うだけである。態度とか方法ではなく、大惨禍を前に、感傷という気分で僕たちは不条理に向き合っている。
もうちょっと具体的に考えてみよう。
突然の死。これはありがたい。不条理に対する怒りとか、迷いとか、苦しみなく突然、無に帰するのだ。一瞬で完了し、痛みがなければなおさら、ありがたい。
執行猶予のある死。不治の病を宣告された場合だ。これも痛みがなければ実はありがたい。キュプラー=ロスは人が死を受容するプロセスを5段階に分け、第1段階「否認」(いやいや、こんなのあり得ないでしょ)→第2段階「怒り」(ふざけんなよ!一生懸命真面目に頑張って来たのに何で俺がこんな目に遭うんだよ!)→第3段階「取引き」(きっとこの治療方法なら助かるはずだ、きっと・・)→第4段階「抑うつ」(完全に終わった・・もうお終いだ・・)→第5段階「受容」(まぁ仕方ないか、どうせ遅かれ早かれ人間は死ぬんだし)、みたいな説明をしたけど、僕はもし死の宣告を受けたら、とっとと最後の「受容」の段階に入って、お世話になった方々へお礼をしに行く時間を取りたい。あとは痛みなく死ねるよう全力を尽くすだろう。痛いのは嫌だ。
が、突然死だろうが、執行猶予付きの死だろうが、これらはあくまで自分の死でしかない。肉体的に痛くさえなければ、大した苦しみでも不条理でもないのだ。痛くなければ、自分の死なんてなんてことないのだ。
本当の不条理、本当の苦しみは、愛する人を失った時、そしてそこからそれでも一人で生きて行かなければならない旅路の中にある。残されるというそんな苦しみに、僕は耐えられるだろうか?たぶん、無理だ。少なくともまだ老人になっていない今の段階では、絶対に無理だ。泣き叫び、毎日泣き叫び、それでも愛する人を失った苦しみは和らぐことなく、無意味さと哀しみの不条理と毎日、一人で向き合って行かなければならない。「受容」なんて出来っこない。僕は死を選ぶだろうか?分からない。
江藤淳という評論家が自ら亡くなった時、僕はまだ20代だったけど、そんな事を考えていた。大切な人を失い、残されるという不条理に向き合って「受容」なんて僕も出来っこないと思った。それが20年以上たっても何にも考えが変わっておらず、要するに覚悟も身に付かず、オッサンになっただけで成熟もしなかったなんて、笑止である。が、仕方ない。その後、やはり著名な別の評論家が多摩川で入水した時も同じことを考えた。僕は日本の天平時代より前に作られた異国の寺の境内をゆっくり歩きながら、そんな事を思い出していた。遠い海で発生した台風の破片が、生ぬるい湿った風になって、僕の頬をそっと撫でて行く。
「人間は他の生き物と違って死を選択出来る=己の生を管理できる。そこに人間として生を受けたゆえの価値を見出せる」なんて、理屈はわかるけど、やっぱりヨーロッパ人的な発想だ。そもそも自ら死を選ぶなんて恐ろし過ぎるし、その最後の瞬間(場面)を想像しただけで、なんで何十年も生真面目に一生懸命頑張って来たのに、最後の最後でこんな怖い思いをしなきゃならんのだって、途中で腹が立って来そうな気がする。それこそ不条理だ。よほどの信念がなければ、不条理の上にアホ臭さも加わって来そうだ。出来れば避けたい。
じゃあ、やっぱりいい感じの安楽死がベストだろうか。社会的にも認知され、専門の安楽死会社があったり、安楽死に対する国の補助金が出たりして、肉体的苦痛や精神的苦痛からあっさり解放される、お気楽な感じの死の選択があれば、それが「まったく意味をもたない」不条理な我々の命や運命に対するベストな回答なのだろうか?
「ごめん、来月の半ばにはもうオレ、旅行に行くからさ。うん、楽しみなんだ、ありがとう。申し込みも終わってる。」
なんて感じの軽い日常茶飯事のノリで、
「ごめん、来月の半ばにはもうオレ、安楽死しに行くからさ。うん、もう楽になろうと思って、ありがとう。申し込みも終わってる。」なんて時代が、意味がない世界の不条理に対して、最終的に人間が辿り着いた結論として、いつかやって来るのだろうか?その時には、自分で首をくくっただの、病院のベッドで痛みにのた打ち回ってから死んだだの、昔の人たちは踏ん切りがつかなかったから大変だったんだろうねぇ、社会的な認識が古くて制度やその類の施設がなかった時代は最後が本当に悲惨だったんだろうねぇ、なんてみんなは言っているのだろうか?
やはり分からない。何かが違うような気がするのだが、それが何か分からない。僕はまだ、そんなことさえ分からず年齢だけを重ねて行く。
境内を風は吹き続けていた。僕は置いてある木製の椅子に腰を掛け、曇り空を見上げた。生ぬるい風って、なんだか誰かが何かを語りかけて来るみたいだ。千数百年もの間、この場所で人々は祈り、願い、死んで行ったのだろう。
灼熱の日々が続いた夏が終わって行く。何ということはない異国での休日の一日が、こうして静かに過ぎ去って行く。