2024/08/29
異国の地に赴任して季節が一巡した。まだまだ残暑厳しく、たいていは工場の建屋の中にいるけど、時々は40度を超える炎天下を外へ出かけ、倉庫を走り回り、スタッフに指示し、戻って汗でずぶ濡れになったYシャツを着替え、もう一度、工場を回る。あとは夜が更けるまで事務所でPCに向かって数字と格闘だ。
そんな日々を過ごしていたら、平日の昼間、現地の友人からグループメッセージで写真と詩が送られて来た。彼はプライベートで知り合った人だけど、近郊の農村から街に出稼ぎに来ていて、平日は会社の寮で生活しながら労働し、週末にはバスに乗って3時間かけて地元に帰って家族と一緒に過ごし、日曜日の夜中にまた街に戻って来るといった生活を送っている。この国にあまたいる一般的な労働者の一人だ。

一人で食べる昼の食事の侘しさ
それは決して良いものではなくていい
ただただ自分の胃を満たすだけでよい
どのみち、人生の半分は火の消えた燃えかす あとの半分が瑞々しい清流
※中国語の詩を意訳
写真の料理はこの地域でみんなが食べている普通の料理だ。たいていの出稼ぎの人々は昼食をこんな質素な食事で済ませて、また家族の為に黙々と午後の仕事に取り掛かる。「自分の胃を満たすだけでよい」なんてまさに、足るを知るってやつだ。
「足るを知る」という言葉は、2500年も前の老子の言葉である。古過ぎて、実際の所そんな人がいたのかどうかも分からないくらいだけど、確かに「知足者富(足るを知る者は富む)」という言葉は何千年も中国で生き残り、生き残った以上、その理由があるのだろう。実際には老子なんて伝説めいたヒーローがいなくても、人々によって彼が言ったという言葉が大切にされ続けて来たのであれば、それは一個の真実である。
「足るを知る」とは、要するに「もっと欲しいよ~、ヤッター!手に入ったぞ!う~ん、今度はアレが欲しいぞ、アレもくれよ~、う~ん、どうしてくれないんだよぉ~、アレが手に入らないなんて苦しいよぉ~、早くアレを俺にくれよぉ~」という、人間の欲望の際限の無さとそこから生まれる無限の苦しみを避ける為に、いわば執着という人間の業(ごう)から解放されるための知恵として、大昔に生まれ、人々が大切にして来た言葉なのである。
そしてこの言葉には実は続きがあるのだ。
「知足者富(足るを知る者は富む)強行者有志(強めて行う者は志あり)」
満足することを知っている者は豊かに生きて行けるし、強い決意を持って行動する者はその為の志を持っているものだ。そう、人生の大半は、しょーもない相手と嫌でも付き合わざるを得ず、しょーもない時間を嫌でも過ごさざるを得ず、それでも食べて行く為には懸命に働き、だから、そんなしょーもない事に多くの時間を費やす生き方に、それでも満足して耐え得る忍耐力が何より必要で、ムダにあがかず、途中でそれを投げ出さず、そうやってずっとやり抜く為には、強烈な意志を持たなければならない。
死に物狂いで現状に満足せよ、とはさすが老子先生、すさまじい言葉である。ブチ切れそうな苛立ちが日々の生活であったとしても、命を懸けて「あるがまま(無為自然)」に満足せよ、だって、どうせ世界に意味なんて端(はな)から無いのだから、という有難いお言葉である。
う~ん、確かにそうだ。くだんの友人が送ってくれた一編の詩のように、人生の半分は火の消えた燃えかすであり、が、それでも僕たちは食べて行くためにそれを受け入れ、「もっといいもの」をついつい手に入れようとする欲望の虚しさを知り、粛々と終わりに向かって今を歩いて行かなければいけない。
嫌だねぇ。
面白くないねぇ。
面倒くさいねぇ。
さて、どこにも日本人なんかいない異国で暮らしていると、日々の生活の中で、例えば洗面台の前で歯を磨いている時とかに、ふと過去の思い出がフラッシュバックのように突然よみがえることがある。これは不思議な現象だ。生活していてあんまりにも日本人に会わないから、かえって日本での記憶(風景とかその時会話した人物とか)が急に鮮明に思い出されるのだ。気持ちの面で何かを補完しようとしているのかもしれない。前回の駐在の時にもよくあった現象だ。そしてこの間は、もう7年くらい前の思い出が、歯を磨いていて急によみがえった。
7年前、日々の鬱屈した仕事に僕はクタクタになっていて、週末の都度、車で何百キロも走って小旅行を繰り返し、もう旅行にはあっちこっち行き過ぎて日本のどこも目新しい場所なんかないぞ、大昔に出張で行ったとこなんか含めると全部行っちゃったや、なんて監獄にいるような気持ちになる時があり、それでも土日を家でじっと過ごすのが嫌で、車で夜中に走り出すことがあった。貧しい国の(働けど、働けど、大半はジジババに召し上げられて、わが暮らし、クタクタになる割に楽にならず、じっとキーボードの上に置いた手を見る・・・みたいな)平凡な中年の管理職サラリーマンの典型だったんだね。
和歌山の白浜で夕日を眺め、もうそれだって何回もこれまでに繰り返し見て来ているから、もちろんその美しさに心を奪われつつも、今日は日曜日、明日から始まるウンザリするような仕事のことを考えると、あぁ家に帰りたくないなぁ、なんて心ここにあらずみたいな部分もあり、何回も見に来ている分、冷静に夕日を見ているから、さすがに「日常を忘れる」ほどではなかった。
当時、日常は常に僕を追いかけ続け、僕を閉じ込め、本当に監獄にいるみたいな気分だった。どこか遠く遠くへ逃げ出し、果てしなく広がる異国の砂漠が見てみたい、なんて頻繁に空想していた時期だ。
だから、和歌山へは高速でやって来たのに、このまま高速に乗ってすんなり家に帰る気がしなかった。もう日は暮れていたけど、どうせ日曜日の夜なんて、仕事のことを考え出してほとんど寝れない。早く帰っても意味ないんだから、下道で、しかも恐ろしくローカルな道を帰ろうと思って走り出した。
これが大失敗だった。というかナメていた。紀伊半島の中心を奈良方面へ突っ切る下道は、どのルートも極端に狭く、一部は酷道と呼ばれる道で、なにせ村一つない山道をただひたすら何時間もかけて走る道なのだ。しかも途中で「やっぱキツいから高速使うよ」なんて切り替えられない。もうひたすら走り続けて抜け出すしかないのである。途中で通過する小さな集落も真っ暗で、店一つなく、古びた自動販売機の缶コーヒーが買える程度である。
なんてな暗い山道(もちろんきちんと舗装はされているけど)を、僕は何時間も走り続けた。助手席にいる家人にちゃんとした休憩を取らせてあげられず、自分のミスジャッジを悔やんでいた。道の駅もなく、トイレさえ行けなかったのだ。乗り潰していた車(既に走行距離は20万キロを超えていた)がトラブってこんな所で停まったら、もうおしまいだって考えていた。夜の9時を回って、むこうから対向車さえ現れる気配がなかった。
だいぶ走って、ようやく暗い山道を抜け出し、奈良盆地の南の端まで出てきた時、小さな村の家々の明かりを見て本当にほっとしたのを覚えている。すぐに最初に見つけたコンビニの駐車場に停車し、トイレに行った。そして暖かいお茶とパンを買って、車に戻ろうとした。
「星がきれいね」
さっき一緒にトイレへ駆け込んだ家人が、ニコニコしながら頭上を見上げている。あぁ、この辺りはまだ田舎で、周辺に光がないから、冬の(12月くらいだった)夜の澄んだ冷たい空気の向こうに、美しい満点の星空が見えるんだ。
僕も一瞬だけ頭上を見上げ、星を見て、それから二人で車に乗り込んだ。エンジンをかける。
「うん、きれいだ」
再びハンドルをにぎり、まっすぐに前を向く。
自分に腹を立てていた。
僕はもう気づいていた。
4時間前からずっと押し黙って難しい顔のまま運転し続けていた僕に、文句ひとつ言わず、それからずっとこんな風に、隣に座ってニコニコ一緒にいてくれた人。
「・・・」
もし日常という監獄があるとしたら、それは強烈な意志を持っていない、いわば覚悟のない人間の頭の中で作り出す檻(おり)なのかもしれない。強い意志をもって日常を味わえるなら、自分がどんな場所にいようと、何をしていようと、心は自由なのだろう。命を懸けて「あるがまま」に満足できないなら、そういう強さがないなら、どこに行こうとも、どんな景色を見ようとも、その檻(おり)から決して出る事なんて出来ないのだ。そして檻(おり)の中にいる人間は、日常=当たり前の風景、をちゃんと見ておらず、ちゃんと味わうこともできなければ、ちゃんと相手に感謝することも出来ない。それが実は奇跡のように有難いものであったとしてもだ。
という訳で、数日前に洗面台の前で歯を磨きながら、7年前の冬の星空を急に思い出し、フラッシュバックした家人のあの笑顔を思い出し、当時、心の監獄の中にいて何も見えていなかった自分を殴ってやりたくなって、不意に涙があふれてきた。そうして鏡に映ったオッサンの半べそを見て、そのみっともない様子に自分でひどく驚き、慌てて口を漱ぎ、顔を洗った。一人でいる時ってそんなもんだ。誰にも見せられやしない。
異国の普通の人々の生きざまにさえ、脈々と流れている大昔の知恵を、僕はもう一度思い返した。
「どのみち 人生の半分は火の消えた燃えかす あとの半分が瑞々しい清流」
みんな燃えかすと清流の間を行ったり来たりしながら、それでも平凡な人生を、「どのみち」限りある命を覚悟を持って生きている。
あるがままを受け入れるって、何か無理をしている人にかける慰め言葉みたいだけど、真実はそんなんじゃなくて、どんなにキツくったって、息が詰まりそうだって、それを超えて行くような強さを持って味わいながら生きて行けよ、って言う励ましの言葉なんだ。でないと、僕たちは人生にとって本当に大切なものを見落とし続けてしまうのだ。それは不幸なことである。
はるか2500年前、老子という伝説の人が何もかもを捨てて峠を越えて歩いて行く後ろ姿を、僕はなんとなく想像した。
そういえば、あの時たどり着いた小さな村は吉野のあたりだったけど、あそこはまさに「瑞々しい清流」の流れる美しい場所だった。山々に囲まれ、空気が本当に美味しい場所だった。
だからいつかまた、日常という繰り返しをあの小さな老いた国で再開し始めた時、僕はもう一度あそこへ家人を連れて行って、一緒にまた星空を見上げようと思った。そして今度こそ、強い意志を持って自由な心で日常に満足し、感謝し、僕こそがニコニコして「ありがとう」って言おうと思った。
そんな吉野から数千キロ離れた異国の地ではまだまだ酷暑が続いている。
僕は汗を流しながら、そこで毎日働き、日本のあの冬の夜空を思い出している。