2026/01/20
知り合いに葡萄を貰った。大粒で艶やかな色をした紫色の葡萄だ。
僕が駐在している国はとんでもなく広いから、例えば陸続きで続いているラオスと鉄道を繋げて、じゃんじゃんドリアンを運び込んだら国内で価格破壊が起こった、なんてなこともあり、北から南から西から、その向こう側の場所で栽培されたものを、道路や鉄道で輸送路を繋げて持ってきて、一年を通し、たいていの果物は供給できる状態にしているのだ。
なので、冬だからと言ってこの葡萄も特別に高級なものではなく、スーパーで普通の値段で売っている。そして、こんな風にちょっとした贈り物として、季節外れの果物をよく人から貰ったりするのである。
僕は一粒一粒をつまみ、もぎって口に入れ、甘いなぁ、美味しいなぁなんて、リビングで一人で味わいながら、あ、この葡萄だって、前の日の夜にテレビで見た映画「アレキサンダー」の主人公のおかげなんだと、ふと思った。あの有名なアレクサンドロス大王の話である。葡萄はコーカサス地方が原産だ。それが伝説の大王の偉業のおかげで、こんな遥か東方の地域に伝わったのである。
歴史の教科書の通りに表現すると、アレクサンドロスは故郷のマケドニアから隣のペルシア帝国まで攻めて行って、そこの王様だったダレイオス3世(映画では生真面目な顔の役者が演じていた)を打ち破り、さらに東方へ進んで最終的にはインドまで遠征した伝説の大王だ。
数千キロという途方もない遠征距離である。紀元前という時代にあって、軍を動かす距離ではない。輸送技術が進んだ現代だって、相当な規模の長距離である。が、彼は部下たちを率いてその距離を延々と馬と徒歩で移動し、戦い続けた。
そして攻め破った土地では、最終的に戦(いくさ)に勝っても相手を滅亡させるところまでやらず、負けを認めれば懐柔(かいじゅう)して寛容な統治を行い、アレキサンドリアという自分の名前にちなんだ名前のギリシア風の都市を次々と建設して行った。自分の配下にそれらの都市を任せると次の場所に行く、そこでまた新しい敵を攻める、というやり方をとったから、ギリシア文化は彼の遠征の軌跡に沿ってインドの端っこの方まで広がり、アレキサンドリアという都市間の交易によって学術も文化も共有されて広がって行った。
葡萄もその一つだ。
アレクサンドロスが子供の頃から食べていた地元(マケドニア)の葡萄は、その栽培方法と食べる習慣が東へ東へと伝わり、遠征先のバクトリアという中央アジアの地方にまで及んだ。そしてアレクサンドロスが死んでからだいぶ時間の経過したあとの後漢時代に、そのバクトリアにあった大月氏の国へ、張騫という中国人の冒険家が事情があってやって来た。この張騫が開拓したシルクロードを渡って、時代を経るとともに葡萄が中国にやって来たのだ。
映画「アレキサンダー」はもう大昔の作品だし、当時はなんだか、監督(オリバー・ストーン)とか主演俳優(コリン・ファレル)のメジャー過ぎる面々を考慮すると、どうせまた、コテコテのハリウッド映画なんだろうなぁと思って見た事がなかったのだけど、昨晩、リビングで寝そべっていて、テレビ画面に向かってリモコンのチャンネルをいじってみたものの、特に見たい番組がなく、なんとなくこの作品を見始めて、あれ、結構、忠実に作っているぞ、面白いぞ、この場面はこんな感じで映像化したんだ、なんて、ついつい、のめり込んで楽しく見れた。
なんで東方遠征をやったのかについては、定説から諸説まで色々あるけど、そこはさすがに娯楽映画、お母さんが毒親だったんだね、アレクサンドロスはそんなお母さんが嫌になって遠くに行きたいと思ったんだねっていう自由な解釈も少し入っているのを感じつつ、そしてその母親役のアンジェリーナ・ジョリーがものすごく悪い顔しているのを見て、ここまで顔芸をやるとコメディーだな、なんてクスクス笑いつつ、歴史に対して自由に解釈する楽しさを観客側として味わった(映画館で見たわけじゃないけど)。
膨大な資料の分析に基づく歴史家の解釈はもちろん真剣に学べば楽しく、一方で素人の個人が集まり、各々が想像の翼を広げて、自由に歴史を解釈しながら楽しむのもアリだ。
アレクサンドロスは比較的、資料がたくさん残っている歴史上の人物らしいけど、それでも2000年以上も昔の話である。現代を生きる僕たちは、あれが正しい、これが正しい、お前の解釈は間違っている、なんて喧々囂々(けんけんごうごう)とやるよりは、それぞれの解釈を持ち寄って「なるほどね」ってお互いに楽しい時間を過ごすのが一番である。
どうせ新しい発見があれば、それまでの定説がひっくり返る可能性がある。歴史は常にそういう面白さの上に成り立っているのだ。
でも、やっぱり僕は考えてしまう。
彼はなぜ東方遠征なんて、とんでもなく大変な事をやったんだろうか?
歴史学者たちはペルシア帝国の豊かな富(とみ)が目的だったとか、ギリシア文化の信奉者だったからとか、定説を打ち立てているが、個人の心の内に棲みついた本音ベースの欲望や野心は誰にも分からない。事実は、想像を絶する距離を大軍を率いて移動し、彼はインドまでやって来たということだ。
当時のインドって、北の方にはマガダ国のような大きな国もあったけど、アレクサンドロスが辿り着いたガンジス川の流域には、まだこじんまりした国々が乱立している状態だった。彼はその一つの王国、自分に反抗して来たパウラヴァ国の国王であるポロスと戦うことになる。
高校の時に世界史の先生が授業で、「はるばるマケドニアから連れて来られたアレクサンドロスの部下たちは、インドに辿り着いたら今度は象と戦えと言われた。たまったもんじゃなかったと思う・・・」と自分が体験したかのように悲しい顔で語っていたのを覚えている。そういやあの先生はちょっと変わっていて、まるで自分が味わったかのように時には懐かしそうに、時には沈痛な面持ちで、歴史上の出来事を全てぼやきながら語っていた。銀縁眼鏡をかけていたけど、白髪の仙人みたいな風貌で、実際にあだ名も「仙人」だったっけ。
うーん、確かに、故郷を離れ10年も出ずっぱりで戦い続けて、もう帰りたくて仕方なかっただろうアレクサンドロスの部下たちは、雨の中、ぬかるみの中、目の前に現れた生まれて初めて見る巨大な生き物(象)たちが、一斉にこっちへ突進して来るのを見た時、マジでもう嫌だ、と思ったに違いない。
なので、映画「アレキサンダー」でもそのシーン(ヒュダスペス河畔の戦い)が一番興味深く、僕は食い入るように見た。
この戦いが終わった後、勝つには勝ったが、さすがにみんな本当に嫌になったみたいで、もっと先へ進むぞ!とまだ息巻いているアレクサンドロスに対し、遂にみんなで「NO」を突き付け拒否した。アレクサンロスが仕方なく引き返すことになった(原因となった)戦いでもある。
映画では、その戦いの全シーンが真っ赤に染まっていて、赤い雨が降りしきる中、巨大な象の群れがアレクサンドロスたちに迫り、兵を蹴散らし、踏み潰し、あちこちでぐちゃぐちゃの殺し合いが始まり、叫び声が木霊して、赤い血の雨がまき散らされ、空も大地も真っ赤に染まっていて、という風な感じで、多分に「征服者側の悪夢の心情」を分かりやすく映像化してあった。
ギリシア文化に慣れ親しんだ者たちにとってみれば、ポロスの軍隊は全てが異形(いぎょう)だったのだろう。戦い方も武器も、軍隊の衣装も、殺し方も、そして絶え間なく耳をつんざく象の甲高いいななきも、すべてが初めての経験であり、すべてが奇異で恐ろしく感じたはずだ。
そして多大な犠牲を払い、それを最後の主要な戦いとして、アレクサンドロスたちは引き返し始める。その時には既に故郷を出て10年以上がたっていた。
なぜそこまでして、彼は東方遠征をやったのか?
僕はやっぱり、興味を惹かれるのだ。
有名な彼の姿、ポンペイ遺跡で見つかったモザイク画の写真の彼の横顔を見ていると、その大きな瞳が、何か僕たちの全然気づいていない、でも教えて貰ったら「あぁそういうことか」と、一人の人間として納得してしまうようなそんな孤独の秘密を、こっそり教えてくれるような気がするのである。
ひょっとすると、莫大なコンプレックスと名誉欲と独占欲の織り交ざった、一個の狂人だっただけかもしれない。ギリシア文化を世界に広げるとか、神の子であるとかは、結局、後付けに自分で信じようとしていたに過ぎず、数百年後に登場するカエサルが残虐な一個の狂人だったように、アレクサンドロスもその類(たぐい)だったからこそ、歴史を大きく変え、歴史に大きく名前を残しただけかもしれない。
つまり彼は、われわれ凡人には想像できないくらい、海のように深くて暗い欲望と、空のように無限で無垢な感情が心の中に溢れかえっていて、その総量の多さに自ら溺れそうになりつつ、必然的に、殺し、味わい、愛し、施し、また殺し続けたのかもしれない。そしてだからこそ、われわれ凡人には追いつけないような頭の回転の速さと、人間臭さと、魅力を兼ね備えていたのかもしれない。
でも僕は想像するのだ。
ペルシア征服の成功を祝う宴(うたげ)の狂乱の中、ちょっとの時間だけ席を外して、ひとり外の風を当たりに宮殿のテラスに出て、眼前に広がるペルセポリスの、その奥へ奥へと続いている広大で荒涼たる砂漠を見渡した時、もっと遠くへ、その先の向こうへ、そんな至極(しごく)素朴な衝動が、彼の胸の内に次々と湧き出していたのではないだろうか?それは、普通にこの現代の世界で暮らす僕たちにだって共感できる、ごく当たり前の人間の衝動だったはずである。
もっと遠くへ、その先の向こうへ。
遥か遠く離れた旅先で広大な自然の絶景を見れば、なんとなくそういう想いが、人間の本能として込みあげて来る。そんな気がするのだ。
もっと遠くへ、その先の向こうへ。
ところで、僕が住んでいるこの場所は、そんな風にどこか遥か遠くで栽培しているものを、陸続きで引っ張ってきては一年中マーケットに供給できるお国柄だから、この葡萄だけでなく、例えば日本では夏にしか食べられないニガウリが、寒い季節でも手に入る。
しかも季節外れのマズいやつじゃなくて、ちゃんと苦みとジューシーさのバランスが取れた美味しいやつだ。僕はニガウリが大好きなので、この点は嬉しくて仕方ない。(一年中、美味しいゴーヤチャンプルが食べられるということ!)

で実際、冬場でも料理店で僕はゴーヤチャンプル(というかゴーヤと豚肉の炒め物)を頬張ってビールを飲んでいるのだけど、とはいえ、やっぱり今は1月。寒い季節だ。気持ち的には暖かい料理が心に沁みる。それが人間の素直な反応です。
休みの日の朝に、家人が持って来てくれたインスタント味噌汁をごそごそと戸棚から取り出し、お湯を注いで一口飲んだあとの「はぁ」というため息は、こんな異国の僻地に一人ぼっちで暮らすサラリーマンの、哀愁と幸せの極みなのである。
だから、先日もナショナルスタッフから「鍋を食べに行きましょう」と誘われて、おっ、いいね、外はひどく寒いし、鍋にはいい季節だ、なんて、うかうか付いて行ったら火鍋屋さんだった。
ありゃりゃ火鍋屋さんかぁ・・・

地元の人が大好きなこの火鍋は、正直、僕には味の違いが分からないのだ・・・
だって串刺しにした熱々の羊肉を一口、口に入れた瞬間、もう口の中全部がトウガラシの辛味で痺れてしまって、そのあと何を食べても、その痺れがピリピリと口の中で電気のように伝わって来るだけで、味も何もしないからである。どうしてみんなこれを好むのだろうか?
でもスタッフたちは美味しそうに食べている。だけでなく、あの店よりここはやっぱり美味しいとか、この間行った旅行先で食べた火鍋はもっと美味しかったとか、えらく話が弾んでいる。
確かに、火鍋屋は町中にあって、人気店もあれば潰れる店もあるのだから、ちゃんと味の違いがあるのだろう。きっと僕の舌が、さすがにそういう文化に馴染まないだけだ。ちょっと残念だけど、何回挑戦しても、一口目であのピリピリが始まるのでどうしようもない
中南米原産のトウガラシは、15世紀の大航海時代以降、世界中に広まって、地元の食文化のベースにしてしまう地域もあれば、ちょっとした調味料の一つにしかならない地域もあった。メキシコ料理、インド料理、四川料理といった料理は、そのまま食文化のど真ん中にしてしまった地域だ。
そんな風にトウガラシを受入れた地域については、気候的に暑いところだから発汗作用が必要だった(体温を下げるのに便利だった)とかいう話もよくあるけど、発汗作用が必要なくらい暑い他の国でも、辛いのがダメなお国がたくさんあって、あんまり説得力がない。
あるいはこれもよく耳にする、昔は貧しかったからおかずの種類が少なく、味付けに刺激の強いものが必要だったとか、昔は家の造りが粗末なのに冬が厳しいから、寒さしのぎに辛いものが必要だったとか、そういう理由も、どうもピンとこない。
その場合は、人間を一括りにする馬鹿馬鹿しさを言うのではなく(それを言い出すと、どこの社会にも国にもいろいろな人間がいるのは当たり前で、言い出すと、逆に人間を一括りにしてみせる楽しみを失ってしまう)、そうではなくて、そもそもがちょっとずれているような気がするからだ。真実からずれているというのではなく、そういう上から見下す解釈の仕方が、その時点で、人生の幸せからずれているような気がするのである。
五大味覚という人間の舌のセンサーは甘味・塩味・酸味・苦味・うま味の5種類があるが、トウガラシの辛さはこれらのどの味覚でもなく、実は「痛覚」だ。トウガラシに含まれるカプサイシンを舌が受容した時、「やばいよ、身体にダメージが来るよ、ストレスに備えて!」という信号が脳みそに伝達され、その痛みやストレスを和らげるために、鎮静物質であるエンドルフィンが脳みそにあふれるのだ。このエンドルフィンは流行りの「幸せホルモン」の一つで、モルヒネに似た要するに快感物質である。ランナーズハイになった時に分泌されることで有名な物質だ。
でもランナーズハイって、長距離を走ってから、つまり、さんざん時間をかけてコツコツ苦労してから脳みそに分泌される物質であり、そうそうお手軽には味わえない。
一方、唐辛子ハイ(僕が勝手に作った言葉だけど)は、トウガラシを入れた真っ赤な料理を食べたら一瞬で体験できる、とても便利な日常茶飯事の出来事だ。しかも極端な摂取をしなければ、健康に悪影響はなく、むしろ血行をよくし食欲を増進してくれる。
例えばそんな激辛の四川料理と、四川の人々のパーソナリティを結び付けることが出来るのだろうか?
どこの社会にも国にもいろいろな人間がいるのは当たり前だけど、人間を一括りにしてみせる誘惑はやっぱりある。日本のテレビでも県民性の違いをクローズアップした番組が製作されていて人気がある。アメリカへ行けば、テキサス人気質はどうだとか、ニューヨークっ子はどうだとか、やはりみんなそういう会話で盛り上がるのが好きだ。
中国の内陸にある四川では三星堆という古代文明の遺跡が見つかっていて、僕はいつか行きたいなぁと思っている。
その遺跡からの出土品によって、僕たちが世界史の教科書で習った中国の最初の王朝「殷」の時代と同時代に、要するに4000年以上前に、もっと内陸の場所である四川にも、同じように高度な技術を持った文明があったと分かったのだ。
何が魅力的かというと、出土した祝祭用の青銅製の仮面や立像などが、あなたたちは宇宙人だったの?と思ってしまうような、奇抜で洗練されたデザインで、きっと大盛り上がりで祭りをやっていたんだろうなぁ、と想像できるようなものばかりなのである。どんな人たちだったんだろう?と想像する楽しみが、ものすごくたくさん詰まった遺跡なのである。
なので、その三星堆で出土した人頭像を模したレプリカの小物入れ(実は灰皿)を、ネット通販で買って取り寄せて、僕は机の上に置いている。そして時々はそれを眺めて、こういうデザインを生み出した人々のことを考えている。

テレビでこの三星堆の人頭像を知った時、不意に僕はマヤ文明のヒスイの仮面を思い出した。もちろん全然デザインは違うのだけど、ともに目も鼻も口も自信満々で大きく強調されていて、表情が生き生きしていて、きっと祭りでは打楽器のリズムに乗ってみんなで踊り狂っていたんだろう、となんとなく同じイメージで想像してしまった。
人間の生命力を、その具現の道具である身体のパーツを強調することで、躊躇なく思い切り謳歌した、そんなデザインのイメージだ。
四川のある中国の奥地とマヤ文明があったメキシコの高原では、距離も文化も歴史も違い過ぎるけど、辿っていくと偶然、祝祭のノリがよく似ていたのでは?と想像し、楽しくなったのである。
「人生の時間は限られているのだから、面倒くさい事は抜きにして、出来る限りたくさんの時間を楽しく過ごしたい」という人々が、たまたまその時の社会の状況や気候状況やその他もろもろの条件が揃った上で、トウガラシ(カプサイシン)に出会った結果、あっという間に食文化として定着して行った、なんて想像は、もちろん根拠のない素人の遊びである。
が、歴史はそんな感じで想像した方が、はるかに楽しい。彼らの生活が貧しかったからとか、厳しかったからなんて根拠のない印象論は、相手への理解を拒絶した偏狭(へんきょう)で浅い想像であり、そういう会話をしている瞬間さえ誰も楽しく過ごせないのである。
きっと、古蜀人(古代の四川の人々)もマヤ文明を築いた人々も、今すぐ楽しい事をしたい人々だったのである。その末裔たちは、トウガラシいっぱいの料理を今日も楽しそうに家族と食べている。そもそもトウガラシがいつどのように入って来たのかさえ、どの国もはっきりと分かっていない(日本も諸説あり定まっていない)のだから、僕たちは彼らの表情を見ながら、想像を楽しめばいいのである。そしてどうせなら、気持ちが暖かくなるような、自分の人生が幸せになるような想像をした方がよい。
さて、僕がリビングでのんびり寝そべりながら味わっていたこの葡萄の関係で言うと、歴史にはもう一人主人公がいた。張騫だ。アレクサンドロスが活躍した数百年後に、バクトリアの大月氏にたどり着いたあの男である。
シルクロードを開拓した一人である張騫は、生まれ故郷から遥か離れた西方の地で、初めて葡萄を見たはずだ。でも、そもそもなんで遥々(はるばる)中国から地球を4分の1以上も回って、そこへやって来る必要があったのか?
この人は前漢時代の外交官であり、漢帝国に度重なって攻めて来る匈奴(北方民族の一つ)に手を焼いていた時の皇帝(武帝)に呼び出され、「ちょっとな、あいつらのずっと向こう(西)にいる大月氏って勢力のところへ行ってな、一緒に匈奴を潰そうぜって言いに行って欲しいんだ」と言われ、旅立った人である。
上司から、砂漠を含む広大な西域の向こうに行けと言われたのである。しかもその広大な西域を敵対している匈奴が支配しているのだ。命がいくつあっても足りやしない。
普通はのらりくらりと言い訳して逃げるだろう。みんな家族がいる。自分の命は惜しい。皇帝の命令は絶対で断れなかった、という人もいるが、いつの時代も、本来はその人がやるべき仕事でさえ、上手にのらりくらり逃げて組織を生き延びるズル賢いやつらは、一定数いるはずだ(サラリーマンをやっているとよく分かる)。
が、張騫は逃げなかった。それは国の為ということになっているけど、僕は果たしてそれだけかなぁと思っている。彼の内にある本能的な「もっと遠くへ、その先の向こうへ」が宮仕えしているうちに、いつの間に目覚めてしまったのではないか?なんて想像するのだ。だから外交官として英雄だったというよりは、やっぱり一個の人間臭い冒険家だったイメージだ。
実際、張騫は出発するや否やすぐに匈奴に捕らえられ、そのあと10年近くを拘留されている。人柄が立派だったのか、抑留といっても敵方に大事に扱われ、そこで匈奴の奥さんを娶って子供も儲けているが、人生の10年を敵地で過ごす羽目になったのだ。その苦労と秘めた辛い思いは、本人以外には決して分からなかっただろう。
彼は使命を忘れることなく、10年たったころ、監視の隙を狙って脱出を図り、無事にこれに成功した。彼がすごいのは、逃げたあと自分の国に逃げ帰って来たのではなく、やっぱり目的を果たすべく、西方へ向かった点である。普通、命からがらやっと逃げて来たなら、もう嫌だ、故郷に帰る、となりそうなものだが、強靭な意志をもった彼は、そのまま西に向かい、やり遂げ、大月氏の支配する地域にたどり着いた。
だが、大月氏との交渉は上手く行かず(大月氏はもともと匈奴に追われて西域に移動した人々だったが、既に時間が大分たっていて、そんな大昔の恨みを忘れており、匈奴と戦う意志がなかった)、また匈奴の支配する砂漠地帯を通って帰ることになった。最悪だ。そしてまたすぐに匈奴に捕まってしまう。過酷な運命の人だ。
想像するに、中原の帝国を脅かし続けた北方民族と呼ばれる人々は、騎馬軍団としてめっぽう強かったかもしれないが、やはり漢民族たちの文化に対する一定の尊敬と憧れがあり(ギリシアの植民地だったマケドニアのアレクサンドロスたちの、ギリシア文化に対する思いのように)、そんな文化の教養を身に着けていた張騫は、敵とは言えあっさり首を撥ねるには躊躇すべき人物だったのだろう。
張騫は今度も殺されることはなく、しばらく拘留されていたが、匈奴の中で勃発した内乱に乗じて再び脱出し、妻子を連れて漢の都である長安にようやく無事に帰ることが出来た。そしてその後、帰ってからも彼は外交官として、異民族相手に最前線で活躍し続けた。
だから張騫の人生は、歴史上の人物の中でもトップクラスで波乱万丈な人生だ。決して「強靭な意志」だけでは語りつくせない、行動力の源(みなもと)となるものが彼にはきっとあったはずだ。タクラマカン砂漠を越え、パミール高原を越え、何度も首がちょん切られる直前までの恐怖を体験し、なんとか死に物狂いで生き残り、普通は逃げ帰って来るところを、それでもなお、目の前に広がる大自然の風景の向こうへ、もっとずっとその先の向こうへ行こうとした。
歴史家は張騫の官吏としての立場や、漢帝国という国の特徴や、当時の時代背景から、その行動の理由を語ろうとするけど、そしてそれがきっと正しい方法なのだろうけど、やはり僕は、アレクサンドロスに対して問いかけたように、どうしてそこまでして遠くへ行こうとしたのか、聞いてみたいのである。人間という存在の孤独と、ずっと先の向こうを見てみたいというどうしようもない衝動を、その秘密を教えて欲しいと思うのである。それは僕なりの歴史との対話でもあるのだ。
もっと遠くへ、その先の向こうへ。
葡萄を食べ終わったあと、家人とビデオ通話で会話していて、雑談の中で映画「アレキサンダー」を見た話や、火鍋の話や、張騫の話や、そういう思いって人間は自然と込み上げて来るもんだよなぁ、なんて話をうっかりしたら、彼女はしばらく黙ったあと、別の会話を始めた。
しまった。きっと後で、すっかり忘れた頃に仕返しされそうだ。普段から早く帰って来いと言われているのに、もっと遠くへって気持ちが分かるよね、なんて話はすべきじゃかった。ちょっと本音を言い過ぎたかもしれない。
怒ってるかな?
が、もう遅い。戦いが始まった時にはさっさと負けを認めて、殺されずに寛容な統治をして頂こう。征服者に対してはそれで臨むしかない。生き延びるための知恵である。
あ、そうそう。たくさんもらった葡萄はまだ残りが冷蔵庫に冷やしてあるから、今晩はシャワーを浴びたあと、一房を食べよう。ちょっと楽しみだ。

僕たちの目の前の日常の一つひとつが、確かに歴史につながっている。
葡萄一つをとってもそうだ。火鍋一つをとってもそうだ。
僕はこんな僻地でサラリーマンの続きをやりつつ、東アジアの平凡な一個の人間として生活をし、つまりは公平に少しずつ死に向かって歩きながら、数千年の歴史の中で、輝き、消えていったアレクサンドロスや張騫のような英雄たちのことを、時々は思い出して、歴史を思い出して、そうして気持ちが暖かくなるような想像を楽しみ続けている。
だって歴史を味わうって、僕にとっては、いつもそういう事だからである。