
2025/11/07
空港の搭乗口の前で椅子に座ってぼんやり考え事をするのが好きだ。
掲示板にフライトの大幅な遅れが表示されていて、ありゃりゃ、まだ向こうの空港を飛び立ってもいないのかぁ、3時間待ちかぁ、となっても、仕事で急いで戻る必要がない限り、別に嫌だとは思わない。
ずらりと並べられたちょっと固めの椅子の一つに座り、広々としたその空間を眺め、同じように出発を待つ乗客たちの様子を眺め、何時間でも考え事を始める。
小さな文庫本をカバンに忍ばせているが、結局読まないことも多い。そこには、同じ乗客の人々、きっと初めてお会いする、そしてきっとこのフライトが終わったら、二度とお会いすることがない、刹那(せつな)の旅の同行者たちが、たいていはスマホをいじり、時々は前を見つめて緊張した面持ちで不安そうな顔をし、あるいは待ちくたびれて寝そべり、あるいは家族や友人たちとおしゃべりを楽しんでいる人々がいて、そんな様子をぼんやり眺めながら考え事をするのが好きなのだ。みんなここから別の場所へと旅立つのである。
”雲まよふ 山の麓の しづけさを したひて旅に 出でぬ水無月“ (若山牧水)
これは、憧れを抱(いだ)いて旅を始める気持ちを詠んだ歌だ。牧水は自然を愛する旅人だったから、こんな自然の情景が目に浮かぶような、つまり、雨上がりの美しい田園風景と向こうに広がる空が見えるような、旅の歌を詠むことが出来た。
例えば短歌の世界で言えば、平安時代から既に旅の出発をテーマにした歌はたくさんあったけど、どうしても都落ちして赴任先へ向かう時に作った作品が多いから、この世の名残りとか、いつか生きてこの都の風景をまた見ることが出来るのだろうか、なんて暗い気持ちを歌ったものが多かった。
そりゃ仕方ないだろう。当時、地方へ赴任するということは、行政官として栄転して旅立つというイメージより、この世の果ての寂しい場所に飛ばされる、というイメージしかなかったから。
それが、時代が中世を経て地方都市がもっともっと発展し、さらにもっともっと時代が下って江戸になり、商流・物流が体系だって整備されてからは、短歌ではなく俳句などで、積極的で明るい意味を持った旅の始まりの歌が詠まれるようになった。芭蕉を持ち出すまでもないだろう。
が、奈良時代や平安時代の大昔にあっては、まだまだ旅は危険の多い、そして無事に到着しても、そこから始まる生活は決して希望に満ちたものではない、暗いイメージが強いものだったのである。
なので、そんな中、当時は未だに平安前期にあって、キラリと光る一発を放ったのが、あの蝉丸さんです。
”これやこの 行くも帰るも わかれては 知るも知らぬも あふ坂の関“ (蝉丸)
子供のころに坊主めくりをしていて、「これは本当に坊主か否か」で従弟と定番のケンカをしたけど、そんな蝉丸さんが作ったあまりに有名なこの歌は、旅立つ人も帰って行く人も、知っている人も見知らぬ人も、出会いと別れを繰り返すあの噂の逢坂の関が、まさにここかぁ、と素直な気持ちを詠んだ歌であり、詠み上げれば音にカラッと乾いた明るい響きがあって、でもちゃんと人生の刹那(せつな)の出会いと別れの情感を端的に切り取っている、みんなにとって宝物のような粋(いき)な作品だ。
だから僕は、異国の空港の搭乗口の前で、同じようにフライトを待つ人々の様子をぼんやり見ながら、蝉丸さんのあの歌は、要するにこういうことなんだな、なんて感じてしまうのである。
”知るも知らぬも あふ坂の関“
その場所は、これからどこかへ向かおうとする人々が、人生という旅の新しい続きを始める、ちょっと肯定的なニュアンスを含んだ特別な場所だ。
もし向かう先が帰る場所であったとしても、ひょっとするとそこにはもう自分の知らない人々がいて、すっかり知らない状況に変わっているかもしれない(久しぶりの帰郷とか)。
もし新しい場所で生活を始めるつもりでそこから出発するなら、不安と希望がまぜこぜになった奇妙な気持ちを抱え、目の前の風景が瞳には映っているのに、全く心には入って来ないかもしれない(就職先での新生活を始める若者とか)。
もし大切な人と日常を忘れて気晴らしに遠いところに向かうのなら、待っている間の一瞬一瞬が幸せな高揚感に満ち満ちていて、いつか遠い未来で振り返った時に、自分の人生で一番幸せな時間だったと思い返すかもしれない(一人娘と旅をする父親とか)。
ここではないどこか新しい場所へ。
そこに行って何か新しいものに出会える場所へ。
そんな思惑が、1000年以上も昔に存在した京都・滋賀間の関所であろうと、現代の異国の大空港の搭乗口の前であろうと、旅の始まりを待つ場所にはきっと溢れているのだ。
ところで先日、機会があって久しぶりに香港に向かった。出張ではないプライベートの旅であり、高速鉄道に何時間も乗って行く旅だ。一応モバイルPCは持ってきたものの(どこでも仕事というサラリーマンの哀しいさが・・)、基本はなーんにも考える必要はなく、始終リラックスしていてお気楽な旅である。
一番楽しいパターンだ。
そして旅に出る以上、そこにはどこかへ向かう人々が行き交う場所がたくさんあり、駅のホームとか、タクシーを待つ列とか、空港の搭乗口の前だけではない、僕がぼんやり眺めて考え事をするにはうってつけの場所を、いくつもいくつも越えて行くのである。
こういうのは久しぶりだな。ずっと仕事だったもんな。
車窓に映る自分の姿が、ひどく疲れて見える。
ちゃんと楽しまないとね。
もちろん忘れちゃいけません、ボケっと考え事を楽しむだけじゃなく、旅には「美味しい食べ物を食べる」という、大きな楽しみがありました!
夜中に到着した深圳で一泊し、まずは翌朝、近くの料理店で、朝ご飯をのんびり時間をかけて食べた。

ラーメンだけ目の前でササっとコックさんに茹でて貰い、それが器にパサッと乗せられたら、カウンターの上にずらりと並べられた具材(色々な種類の野菜や蒸した海鮮)を自分の好みで好きなだけ上に乗せて行き、最後にやっぱり自分でスープを上からかけて、朝食の出来上がりである。
うーん、美味しい!
こんな風な食べ方を初めてやった時には、なんだか讃岐で食べるうどんの食べ方みたいだなぁと、感動したのを覚えている。そういや若い頃に、渋谷にあった博多ラーメンの店へよく通っていたな。あの時も、ミルキーな豚骨スープにパサッと細い面が乗せられ、あとは自分の好きなように、目の前にずらりと並んだ調味料や具材の中から、キクラゲとか紅ショウガとかを入れて、味変しながら食べていたな、なんて思い出しながら、その野菜たっぷりの広東風スープのラーメンをすする。
朝ご飯をゆっくり味わって食べることは、生きる楽しみを再認識する大切な機会である。特にこんな気まぐれな旅では、心も体もリラックスし切って、テーブルの向こうで流されているテレビ(内容はなんでもいい)なんかを見ながら、だらだらと食べるのが楽しくて仕方ない。
さて出発だ。
イミグレを通り、昼前に入った香港は、まだ残暑が厳しかった。
天気予報で知っていたけど、想像していたよりずっと暑い。
やっぱり海沿いの南の地域だ。僕の住んでいる内陸の僻地とは違うから、海風が入って来て空気も少し湿っている。

香港という街は、ちょっと特別だなぁと来るたびにいつも思うのは、人種や国籍のバラエティーの豊富さである。狭い街にたくさんの人が歩いていて、黄色人種はもちろん、白人も黒人もヒジャブを被(かぶ)っている人もサリーを纏(まと)っている人も入り混じっていて、英語やスペイン語やタイ語やマレー語があっちこっちで飛び交っている。多様さという点で、こんな密度の濃い場所はないかもしれない。店でコーヒーを飲んでいても、買い物でレジに並んでいても、エレベーターに乗って自分が下りる階を待っている間も、そういう人間のバラエティーの豊かさを十二分に堪能出来るのである。
そして香港と言えば何といっても物価の高さでした。ちょっとしたこぎれいなレストランに入ってご飯を食べただけで、日本の倍くらいのお会計になるのは普通だし、調子に乗ってホテルに入っている料理店を使おうものなら、ウェイターが持って来る請求書の金額に、文字通り目玉が飛び出してしまうのだ。
が、もちろん地元の香港人がふだん外食するのはそんな所ではなく、ローカル色たっぷりの茶餐庁(チャーチャンテン)が街のあちこちにある。いわば香港のファミレスだ。
「観光なんてしても、買い物なんてしても、結局、本当の香港には出会えないですよ。本当の香港を知りたいなら是非、茶餐庁(チャーチャンテン)へ入ってご飯を食べて下さい」
香港人のスタッフが必ずそう言うから、今回初めてその茶餐庁(チャーチャンテン)で食べてみた。旅行客にも有名だけど、行くのは初めてだ。
旅の楽しみは、そう、何と言ってもやっぱり初めてのものに出会う事である。
店に入ってみると、確かに地元の人が食べに通っているのがよく分かる。休憩時間を利用して来たのか、作業着のまま一人で食べている人、おじいちゃんとおばあちゃんに連れてきてもらったチャキチャキの広東語をしゃべる孫たち、リタイアした老夫婦、みんな思い思いの料理を食べている。値段も手ごろだ。そして僕たち外国人は、メニューに記載されたその料理の多さに圧倒されるのだ。いったい何種類の料理を提供しているのだろう。中華はもちろん、洋食もあり、折衷料理もあり、そしてネットでもおススメされていた独自路線の「出前一丁のやきそば」は種類が豊富にあった。出前一丁はもはや香港人のソウルフードとなっているらしく、これを焼きそばにして、上に目玉焼きやスパムや鶏の唐揚げなんかを乗せて提供しているのである。
僕は鶏の唐揚げと鰹節が乗った出前一丁焼きそばを注文してみた。

うーん、なるほど、これはショッキングな事件だ。あの出前一丁が、ところ変わればこうなるんだね、って、味はともかくまさに「旅の醍醐味」を経験して思わず笑みがこぼれる。
ここではないどこか新しい場所へ。
そこに行って何か新しいものに出会える場所へ。
よく若いYou Tuber が世界一周の旅をやっているが、もうこんな初老に近づいたオッサンでさえも、そういう憧れを持ち続けているのだ。
真っ黒に日焼けしながら「うーん、これは結構いけます」なんて地元のローカル料理を頬張るバックパッカーの様子を見て、いいなぁ、羨ましいなぁ、僕もこんな砂漠のど真ん中に行って、食べたことない焼きたてのなんかの肉を、そこで生活する人々と一緒に笑顔でかぶりついてみたいなぁ、って思うのである。
見たことがない新しい景色を見たい。
経験したことがない新しい出来事に触れて感じてみたい。
そういう衝動を僕たち人間はフツーに持っていて、だから、祖先たちがアフリカの樹上生活から二足歩行して地上に降り立ち、世界中に旅立って広がって行ったのは、きっと乾燥化による森林面積の減少なんかじゃなくて、「ここではないどこかへ」という根本的な欲望が備わっていたからだ。なんて想像した方が、ずっと面白い。
30年以上前の話だけど、東京へ出て来たばかりのころ、よくファミレスに通っていた。もちろん、茶餐庁(チャーチャンテン)ではなく(最近は日本にも茶餐庁があるらしいけど)、デニーズとかガストとかサイゼリヤとか、昔からあるメジャーなチェーン店である。まぁ貧乏学生だったから、そうそう豪華なメニューが食べられる訳ではないが、それでもちょこちょこ料理を注文しながら、コーヒーを飲みながら、何時間でもいることが出来た。
友達とだべったり、試験前に勉強したり、独りで本を読んだり、空調が効いているから、長々とそこで過ごすには最高の環境だった。今の学生さんもファミレスに行くんだろうか?
実は東京に出て来て、渋谷のファミレスに行った時がデビューだった。今はどうか知らないが、僕のような地方都市に住んでいた高校生が「ファミレスでだべる?」なんてオシャレなことをやるチャンスはなかったのだ。地元の高校生が友人と馬鹿話をして何時間も過ごすのは、たいてい、独り身のお婆ちゃんがやっているお好み焼き屋(自宅の一階を改造して店を開いたみたいなところ)であり、そこで放課後とか、あるいは午後の授業をサボったりして、長々と過ごしたのである。
なので、大学に入学して、東京に出てきて、何もかも初めてのことが多かったけど、初めてその渋谷の店に入った時には、わぁこれがファミレスなんだ、地元にも数軒あったけど一度も入ったことなかったぞ、すげぇ、メニューの写真が全部美味しそう!と思ったのをまだ鮮明に覚えている。まだたくさんのことを知らない、まだちょっとしたことでもたくさん心が動く、若者時代の大昔の話である。
「親父には何にも言えないですもん、立派過ぎて」
「そうなの?」
「はい、親父みたいに一流大学に入って一流企業に勤めて、なんて俺には無理っす。ハナから勝てないっす」
そこは横浜駅の近くのファミレスの中だった。まだ朝の7時過ぎだった。僕は当時、たくさんのアルバイトを掛け持ちしていて、昼間はマンションのフロント受付、夕方から夜まで塾講師、そのまま深夜のコンビニバイト、みたいな体力のあり余っている若者にしか出来ない週末を迎えることがあった。
で、深夜のコンビニバイト(当時は東横線沿線に住んでいたから、渋谷と桜木町を行ったり来たりしてバイトし、大学に通い、遊んでいた)で一緒に組んでいたタカギ君と、時々はこんな風に店を上がったあと、ファミレスに入って、朝食を食べ、コーヒーをがばがば飲み、煙草を吸って(当時はまだ喫煙席があった)、何時間もだべることがあった。妙に気が合ったのである。
チーマーとかルーズソックスが全盛だった時代の話である。タカギ君も例に漏れず、ロン毛で茶髪だった。都内の別の大学に通っていて、女友達も多く、ちょっと不良ぶっていたが、結局はいいところの息子であり、自虐気味に「三流大学ですから」と言いながらも、ちゃんと大学では授業に出て単位を取り、バイトの仕事ぶりも真面目だった。深夜のコンビニバイトなんて、終電が無くなれば客もまばらでしか来ず、必然、組んでいる相手と会話する機会が増え(眠いから誰かと喋りたい)、仲良くなることが多かった。
「お前、なんでそんな目で見るんだよ!ワタシのこと馬鹿にしてるんだろ!お前、ふざけんなよ!お前、ここへ出て来てドゲザしろよ!」
僕たちが働いていたコンビニの上の階にフィリピンパブがあって、終電がとっくになくなった夜更け過ぎに、ベロベロに酔っぱらったホステスが、店を終え、客と一緒にタクシーで帰る直前、下りてきて店に立ち寄ることがあった。そして、たいていは明るい人たちだったが、国籍問わず酒癖が悪いのは必ずいるから、時にはレジをしていて絡まれることが多かった。
気弱そうな客の中年のオッサン(日本人)が隣で「やめなさい」となだめているが、酔眼のホステスは丸い目を精いっぱい見開き、こっちを睨みつけ、全然言うことをきかない。
ドゲザしろ!
僕は罵倒を浴びせ掛けられながら、黙々とカゴの中の商品を手に取り、レジを打ち続けた。ものすごくキツい香水の匂いだ。きっと彼女の故郷にはたくさんの家族がいて、彼女はいろんなものを背負い、この国にやって来たのだ。お金を稼ぐために、いろんなミジメな思いもしながら、この異国の地で異国のオッサン客の肩にもたれかかり、そして普段の鬱憤(うっぷん)を晴らすかのように、こんな風に思い切り叫んでいるのだろう。
すべてはお金のためだ。家族のためだ。
「お前、馬鹿にしているだろ!ドゲザしろ!」
「アンタらまとめて警察呼びますよ」
タカギ君はこういう時は冷静に対処していた。
さらに逆上して今にも飛び掛かって来そうなホステスを無視して、そっちには視線も合わせず、客のオッサンの方だけを見て警告した。さっさと店を出るか、この場でコイツを殴ってでも大人しくさせないと、あんたが面倒なことになるよ、みたいなメッセージをシンプルに伝え、「すいません」とオッサンに謝らせ、千鳥足でブチ切れているそのホステスを店の外へ出させた。
うーん、ちょっと年下だけど、僕よりずっと胆力のある奴だなぁ、なんてその様子を見ていたのを覚えている。
「要するにファザコンっす。俺、コンプレックスの塊(かたまり)なんです。だから、親父に勝ちたいとは思わないし、勝てると思わないけど、おんなじようにサラリーマンになっても、もっと無理だなって思ってます」
「じゃあ、将来どうするの?」
「卒業したら会社を興(おこ)します。もう友達と計画してるんです」
「ふーん、どんな会社」
「イベント会社とレストランを合わせたような会社です」
なるほど、だから経営学科で勉強しているのか、と思ったけど口にはしなかった。でも、勝ちたいと思わない、と言いながら、別の土俵で勝負したいということは、やっぱり親父さんのことが気になって仕方ないのだろう、って思った。僕たちはどうせ東アジアに生まれた息子たちだ。東アジアの息子たちは全員、アジア的な意味でマザコンであり、ファザコンである。
その後、コンパのメンバーとして出て貰ったり、逆にコンパの相手を紹介してもらったり、アルバイト以外でも色々と関係があったが、というか、今思い出すと全部コンパ絡みだったような気もするが、ともかく、そのアルバイトを辞めるまでの間は、一緒に仲良く仕事し、時々はそんな風に早朝のファミレスに行って何時間も雑談し、将来の夢を語り合った。
だから、今でもファミレスに入ると、ふとあの大昔の、懐かしい若者時代に過ごした時間の数々を思い出すのである。地方から東京に出て行くというのは、一種の大きな旅の始まりである。その旅の風景の一つとして、僕にとってはファミレスが大きな位置を占めている。
ここではないどこか新しい場所へ。
そこに行って何か新しいものに出会える場所へ。
みんなそう思って、希望と不安を抱え、バッグを足元に、地元の駅のホームで待ち、出発するのだ。考えてみれば、タカギ君とのファミレスでの会話も含め、あのころ出逢ったすべての場所や人やコトバや息遣いが、僕にとって人生という旅の中で出会った新しい経験だった。
若いって素晴らしい。
見える風景の全てが新鮮な旅だなんて、もちろん抱える不安も大きいだろうが、やっぱり過ぎて行く一日一日が輝いていて、青春だったなぁ、素晴らしかったなぁ、なんて思い出すのである。
もう一度戻りたいかと言われれば、もうお腹いっぱいなのでいいです、と即座に答えるかもしれないが、それでもやっぱり、若さはいいものだ。
ちなみに、やはりこれもファミレスである茶餐庁(チャーチャンテン)では、日本みたいに長々と滞在するのは難しい感じだったけど(みんな食べたらサッサと店を出て行くのがマナーみたいだった)、食後には、日本円で400円くらいで香港スタイルのミルクティ(ミルクたっぷりの紅茶)を、有名なオランダのミルクブランドのカップ(BLACK&WHITEという牛のイラストのカップ)で出してくれる。定番らしいので頼んでみたら、うーん、間違えてミルクコーヒーを頼んでしまったけど、美味しかった!

ハイ、このコーヒーを飲んだら、ぷらっと街を歩いて、ホテルでゆっくり体を休め、明日はもう帰らないとね。今回の短い旅行は終了。日常へと戻って行くけど、その前にまた途中の駅で、旅の出発を待つ人々をたくさん見ながら帰るのだろう。
生きるという旅は当面は続いて行く。いつか思いもかけない終点到着がやって来るまで、僕たちは途中下車を繰り返し、出発を待ち、乗り込み、そこで出会った人々と色んな形で時間を共有し、さようならをし、また別の場所で乗り換えて、どこかの椅子に座り、あるいはホームで立ち尽くし、出発を待つ。
ここではないどこか新しい場所へ。
そこに行って何か新しいものに出会える場所へ。
旅はまだまだ続いて行くのである。