失われた世界を探して

ロストジェネレーションのしみじみ生活

ミラン・クンデラの恋愛小説を通して愛を考えるということ

 いろんな作家に影響を受け、いわゆるハマって来たけど、学生時代に大好きだったのはミラン・クンデラドストエフスキーだった。ドストエフスキーは卒論のテーマにした。ミラン・クンデラは卒業してからも繰り返し読み、まだ読んでいるから、よっぽど好きなんだろう。思想として読むことも評論として読むことも出来るその作品は、でもやっぱり瑞々しい文体とおしゃれなストーリー展開で、芸術文学としての意味合いが僕にとっては強い。ハードカバーの背表紙のイラストがどの作品もこれまたおしゃれで、本棚に並ぶそれらの本は何だか画集みたいだ。

 初めてミラン・クンデラの作品で読んだのは「存在の耐えられない軽さ」だった。映画化されたからすごく有名だし、ベタといえばベタだけど、僕もこの作品から始まってそのあとどっぷり彼の世界に浸かった。

 7部に分かれるこの物語は冷戦時代のプラハを舞台に繰り広げられる恋愛ストーリーだが、哲学的思考を行ったり来たりしながら、複数の魅力的な登場人物がそれぞれの信条に従って相手を愛し、相手を捨てる。第Ⅲ部の「理解されなかったことば」はこのそれぞれの信条の違いから生じる言葉が持つ意味の違いやズレを、小辞典形式で説明して行く。いきなり小辞典形式で、それぞれの登場人物にとって「音楽」「女」「墓地」「力」といった言葉がどういう意味を持つのか、何が致命的に違うのか、解き明かして行く。ミラン・クンデラの小説はいつも形式にとらわれず自由に活き活きと話が広がって行き、しかも文体は常に瑞々しい。二十歳前後の僕はすっかり虜になってしまった。

 いろいろとその魅力をテーマを挙げながら紹介して行くと、本当に無尽蔵でキリがないのだけど、この作品で僕が一番そのあとの人生でも影響を受けたのは、カレーニンという主人公夫婦が飼っていた犬が最後を迎えるシーンで、人間の愛と犬の愛を比較している場面である。愛するという行為を、人間は犬のように輪のように繰り返して行くことが出来ない。人間は時間を一方向に決められた直線として生きているので、愛するという行為も同じような情熱で繰り返すことなど出来ず、一方向へ向かって走り続けて行くうちに、あんなに新鮮で魅力的だった仕草も、あんなに大切に思えた寝顔も、いずれ色あせ心の外へ徐々に追いやられて行く。魂は別の新しい刺激を必要とする。一方、犬の愛は輪のように繰り返し変わることはない。すっかり年を取ってくたびれ、家族からも軽んじられるようになってしまったお父ちゃんが家に帰って来れば、玄関で愛犬は変わらない愛情で尻尾を振り、全力で喜びを表現して出迎えてくれる。これはその愛犬が最後を迎えるまで続けられる。一方で人間の愛は、同じ熱量で繰り返されることはなく、脳みその構造上それは不可能で、従い人間は愛に関しては幸福になれない。

 学生だった僕は当時、人間機械論の魅力に取りつかれ、文系のくせに脳科学の最新知識とかが素人に分かりやすく書かれている書籍を読み漁っていた。なんだ、哲学だ心理学だ愛情だ宗教だとか言ったって、結局、人間の人生も価値も全て、脳みその刺激に対する反応が生み出だしたものでしかないじゃん、なんてちょっと世の中や人間を分かったような気になって、今思うと、いかにも若造(わかぞう)が陥りがちな勘違いだけど、とにかく「どんなにいいと思っても、感動しても、美しいと思っても、好きだと思っても、繰り返すと飽きるよね。残念だよね。古いものは捨て、また新しい刺激を求めて繰り返すんだから、人間が生きるって、しょうもない化学反応の積み重ねでしかないよね」みたいな事をまくしたてていた。しょうもない若造である。

 その後、長々と生きているうちに、経験を積み、父親の死もあり、自分の肉体的な劣化や気持ちの老いもあり、自分自身の価値観の緩やかな変化を受け入れ、世の中にカレーニンがいることも知った。そして自身もカレーニンになれることを知った。簡単な話だ。愛することは、愛する側の自分自身が変化して行くことで、新しい意味を持ち、それを続けて行けるという自然の摂理を、これも脳みその化学反応の一つとして受け入れたのである。だから僕たちは、大切な人を、若かったころに愛したやり方とは別のやり方と感じ方で、愛し続けることができる。朝、目が覚めて、小皺の増えた寝顔を撫でながら、おでこにチュッとする時の感情は、肉体が若かったころの自分の激しい欲動とは全く無縁だけど、確かな気持ちとして自分で感じ取れる。相手は自分にとって本当に大切な人なのだ。カレーニンのように、輪のように、人は人を愛することが出来る。

 これは愛に関するこの小説のテーマの一つだ。こういう類のアイデアや人生のヒントや面白さの味わいが、この小説にはいっぱい詰まっていて、僕はボロボロになった背表紙を裏側からセロテープで補強しながら、いまだに旅行先なんかに持って行って、繰り返し読んでいる。年をとって読み返すことで、新しい発見や感動がまだいくらでも出てくるのが名著であり、自分の人生に影響を与えた小説だ。

 これだから読書はやめられない。

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