失われた世界を探して

ロストジェネレーションのしみじみ生活

九州一周旅行の最後に機内で人生をしみじみ考え込んでしまったこと

 九州一周旅行はいよいよ終盤に入った。延岡の安いビジネスホテルを早朝に出発し、僕たちは高千穂に向かった。神が降臨したというあの高千穂だ。古代史が大好きな家人が、吉野ケ里遺跡に次いで楽しみにしている場所だった。

 高千穂は想像以上に山間にあって11月ということもあり、さすがに肌寒かった。実は4日前に博多空港に降り立った時から「やっぱ九州、暖かいや」と思っていたし、指宿ではなんだか秋の始めくらいの気候に感じたから、高千穂の冷たい空気が、ちょっとピリッと気を引き締めた。そうそう、ここは信仰の対象となる神聖な場所なんだ。

とはいえ、やはり僕たちは観光客なので、そそくさとボート乗り場に向かい、「よかったぁ、平日の早い時間なら並ばないってホントだったんだ」なんて思いながら、ボートに乗り込む。

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漕ぎ出すとすぐに、テレビや雑誌で見るあの光景が向こう側に見えてきた。大興奮だ。でもここは神聖な場所だから大はしゃぎしてはいけない。

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とはいえ、やっぱり僕たちは観光客だし、こんなボートに乗っているので、ついつい嬉しくなって、やれちゃんと漕げとか、やれ方向が違うとか家人に怒られながらも、写真をパシャパシャ撮り始めた。上から流れ落ちる水しぶきは清々しく、美しく、本当にこんな風に神々しい光景を間近で見させてもらえるなんて、大感謝だ。

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本当に美しい。こりゃ降臨をイメージするのは当たり前だ。しばらく行ったり来たりして水上から景観を楽しんだ。

 僕たちはそのあと、そのまま阿蘇に向かった。阿蘇雄大な姿を横目で眺めて運転していたらもうお昼前で、お腹がすいてきた。そういや朝から何にも食べていないや。と思い、通りすがりに見つけた美味しそうなお店の「田楽」という看板の文字に吸い寄せられるように車を駐車し、中に入って行った。

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中は広くて立派なお店だった。すごく楽しみだった。板張りの客間に囲炉裏が並んでいて、僕たちはその一つに案内された。

躊躇なく、田楽を頼み、熊本弁らしきコトバを喋る女将さんのおススメで、地鶏炭焼きも一緒にに注文する。

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炭で焼いて食べるのだから美味しくない訳がない。旅番組でしかこんなベタな炭火焼きを見たことがないが、実際、地鶏も田楽の豆腐もこんにゃくも激うまだった。なるほど、炭で焼くとこんなに香ばしい味なんだね。

 翌日には博多に帰って飛行機で帰る予定だ。

実は、最後の宿を別府温泉にするか、湯布院にするか、この九州一周旅行を計画していた時にだいぶ悩んだ。

で結局、最後の宿はちょっと贅沢をすると決めていたから、それがイイ感じでぴったり当てはまる宿が湯布院にたまたま見つかったので、宿泊場所は湯布院に決めた。

 が、ここまで来て別府温泉を見ない訳にはいかない。

僕たちは阿蘇を車で突っ切って、別府の街を目指した。ちょっと天気が悪く、うっそうとした山合いを何時間も走り、高速道路に乗って、別府に到着したら既に夕方前だった。

「なんかね、別府温泉には地獄めぐりというのがあって、海地獄、鬼石坊主地獄、かまど地獄、鬼山地獄、白池地獄、血の池地獄、龍巻地獄という7つの地獄があるらしいよ。時間的に1つしか見れそうにないけど、どの地獄を見たい?」

血の池地獄

ということで、その名の通り血の池のような色をした血の池地獄を見に行った。

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ん?赤土?

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あぁ、鉄分が多いんだね。錆の色だ。確かに赤いね。

別府の街は一度ゆっくりめぐりたいなぁと思ったのは、街を走っていると、あっちこっちで湯煙が勢いよく吹き上がっていて、それが風景の一つになっている点。あっちこっちお湯が噴き出す広大な丘の上に家やビルやコンビニが建っているように見えた。面白そうな街だ。今度は数日ここに滞在して全部の地獄めぐりをしてみたいな、なんて思った。

 あっという間に夕暮れ前である。僕たちはもう一度高速道路に乗って、湯布院に向かった。山間のはずれに目指すべき宿があった。

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宿は四季庵という旅館で、合掌造りの建物の中でご飯を食べ、部屋は全部、離れになっていて、僕たちは1棟貸し切りで宿泊した。昨晩は安宿で我慢した分、九州旅行最後の夜はちょびっと贅沢を楽しむ気満々だ。

f:id:tukutukuseijin:20211225225608j:plainこの離れが今晩の我々の宿泊場所だ。期待を胸に中に入って行くと、間取りは広く、古民家の味わいを大切に残しつつ、全部が豪華な作りだった。

お風呂は障子扉(もちろん和紙ではなく防水素材で出来た障子)を開ければ外の庭が見えるという、プライベート感と解放感とゴージャス感が満載のお風呂である。

f:id:tukutukuseijin:20211225225601j:plainうーん、サイコー!

そして何より嬉しかったのが、風呂と寝室の間の玄関に本格的なビールサーバーが置いてあって、滞在の間、飲み放題であるということ。

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神様ありがとう!このために数々の試練を僕に与えて来たのですね。なんて素敵なご褒美でしょう!

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メーカー勤務としてはやはり仕組みが気になるので扉を開けて中を見てみる。なるほど、こういう仕組みで泡いっぱいのキンキンに冷えたビールが飛び出してくるのね。

日が完全に落ちて夜になると、宿全体がライトアップされた。闇に浮かぶ古民家のフォルムが幻想的で美しかった。

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そしてこの庭!なんだこれは、というくらい贅沢で完璧な美しさ!これぞまさに和風リゾート!

f:id:tukutukuseijin:20211225225547j:plainあとはご想像の通りである。

九州一周旅行の最期の夜を、僕はお風呂に入って庭を眺め、お湯から上がってはサーバーでジョッキにビールを注いで飲み干し、またお風呂に入って庭を眺め、お湯から上がってはサーバーでジョッキにビールを注いで飲み干し、というのを7往復やって、幸福な忘却の中、要するに酔っ払って気絶して眠った。4日間で千数百キロを運転し、無事だったことに感謝。そしてこれまでの人生で見たことのないような美しい景色をたくさん見せて頂いて感謝。家人と一緒に、それぞれの地域で美味しいものを本当にたくさん食べさせて頂いて感謝。なんてムニャムニャ言って眠った。

翌朝、ちょっと頭の奥がズキズキするのを感じながら、博多に戻り、レンタカーを返して、最後に博多ラーメンをもう一回食べて帰ることにした。

f:id:tukutukuseijin:20211225225625j:plainこれ以上美味しいラーメンを僕は食べたことがない。最後の最後までありがとう、九州!

 遠く小さくなっていく九州の街を機内の窓から眺め、今回の旅行がたぶん、人生で一番楽しく素晴らしい旅行になったのかも、なんて考えていた。もちろん、これまでも海外を含めたくさん旅行して来たし、これからも旅はするけど、自分の年齢、健康、家族の年齢、健康、今の仕事の状況、いろんな意味で、人生で一番、心の底から景色を、料理を、家人との会話を、酒を、深く深く、心の底から楽しんだ旅だったな、なんていつか思い出すような気がした。

と独りごちて反省する。

ダメだダメだ、考え方が暗すぎる。

これじゃ夏休みにおばあちゃんの家で楽しく遊んで、明日から学校に行くので憂鬱になっている小学生と変わらない。

「あなたはいつも最悪を考え過ぎる、暗すぎる」って、家人にいつも冷やかされているのでは?

先行きなんて誰にも分らないし、そりゃ僕たちの老後なんて、もっともっと国は貧しくなり、年金はやっぱり死ぬ直前までおあずけで、60歳を超えて腰が痛いとか愚痴りながら若者たちと一緒に中国あたりに出稼ぎに行かなきゃいけないかもしれないけど、或いは、重い病気になろうと医療費が高すぎて病院に行けず、もう国はスッカラカンで、あなたたち老人たちはさっさと死んで下さい、なんて時代を人生の最後のほうに迎えるかもしれないけど、或いは、現役時代に頑張って建てた終の棲家がなんとかトラフで焼けるか流されるかして、どこかの体育館のシートの上にしょんぼり座り、途方に暮れながら、あぁもう俺、平均寿命の年齢なんだよなぁ、今から「頑張ろう!」なんて言われてもなぁ、なんて考えているかもしれないけど、それでも、これからも、強く強く生きて行こう、そう思いなおした。

だいたい僕たちの世代は、若い頃からひどい目に遭い過ぎたせいで、いつだって悲観的になりがちなのである。世の中や社会や人生というものを信用していないのである。が、人生は続き、旅は続き、だから、そうそう、ホントにいつか何もかも失って、大切な家族も失い、自分の健康も失い、美味しいビールも飲めず、家も失ったとき、あの美しい岬の馬たちに会いに行こうか、なんて思った。指宿で見たあの美しい朝日を、もう一度見に行こうか、なんて思った。

「楽しかったかい?」

「美味しかった」

僕は隣でウトウトしかかった家人の手を握りしめ、もう一度、機内から窓の外を眺めた。そしてそこには、九州の上に広がる大きな青い空があった。

クラシックカメラにフィルムを装填し、空っぽの世界に静かな戦いを挑むこと

 ロスジェネの一人として腐らずに諦めずに、日々の生活はしみじみと楽しむことにしているが、その中でスローライフというのは重要なキーワード。立ち止まってゆっくりとプロセスを味わう、が静かな僕たちの戦いだ。

 そんなスローライフの一つとして、クラシックカメラでじっくり手間暇(てまひま)をかけて、美しいと思った風景や、感動した場面を絵画のように切り取る、というのを時々やっている。ありきたりだけど、フィルムを装填する、シャッター速度と絞りを決める、構図を決める、そしてパシャリとボタンを押す、という一連の過程が、普段の仕事の時間なんかと全然違うリズムで流れていて、本当に楽しい。

 もともとは父親の形見のマニュアルカメラをいじっているうちに色々調べ、興味を持ってあれこれ調べているうちに、欲しいクラシックカメラが出て来て中古市へ探しに行き、手に取って撮影するうちに、そのフィルム独特の優しいボケ味とか色彩、それから古い機械式ゆえに想像していなかった偶然性(過剰だが美しい光の当たり具合とか、油絵みたいなボケ味とか)に魅了されて行った。

 カメラは色々買っていろいろ使ったけど、今は外で撮影するときはニコンF2を使用し、部屋の中で撮影するときはミノルタ35Ⅱbというレンジファインダーカメラを使用している。

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このミノルタ35Ⅱbは1958年製の美しいカメラで、シルバーのボディに革紐をつけて、家の中の日常の風景とかを撮ることが多い。全部、僕の選んだ場面を優しい光に包んで切り取ってくれる。

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 そして車の助手席にポンと乗せて外に撮影に出かける時の相棒、ニコンF2は1973年製で、フル金属のボディだからめっぽう重いけど、日本のものづくりが一番輝いていた時代、ネジの1本まで日本人が作った100%のMADE IN JAPANで、そのずっしりとした感覚が本当に感動的。望遠レンズ・広角レンズ・マクロレンズと一緒に連れて行く。

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花が好きで花をよく撮る。花が好きなのは母親の影響だ。オールドニコンのレンズは、どこまでも気品が高いボケ味を花の向こう側に映し出してくれる。現実の画像を、その対象を撮りたいと感じた僕の気持ちを凝縮して一枚の絵画に変え、フィルムに焼き付けてくれる。

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チューリップは映画のワンシーンみたいに映る

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薔薇は一編の詩のように映る

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今年の紅葉はキレイだったな

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石垣の上には鮮やかな天幕

 海の近くに住んでいて、これは自分の故郷が海の近くだったから。東京に住んでいたころは、簡単に美しい海を見に行けず、フラストレーションが溜まっていた。というのを17年前にUターンして思い知った。
今では青空の広がる休みの日に海辺(子供のころ遊んだ場所)を家人と散歩するのが、一番の幸せである。平日のストレスがあっという間に海の彼方へ消えて飛んで行く。

そして海が近いということは、いつでも行けて、その多様な表情を見れるということ。海は季節や天候や時間によって本当にいろいろな表情があるのだ。僕は昼間の青空にそのままつながる真っ青な海が大好きだが、ときどきは闇夜がすうっと開けて世界が光に包まれる早朝の日の出の瞬間も好きだ。

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フィルムを装填する、シャッター速度と絞りを決める、構図を決める、そしてパシャリ。

しみじみ生きるということ、味わってゆっくり楽しむということ。これは厳しい時代を生きて来た、そして死ぬ最後の瞬間まで厳しい時代を生きる我々の世代にとって、大切な生活スタイルである。

体が痛いとか疲れがヒドイとかブチブチ言いながら、死ぬ最後の瞬間まで働き、税金を納め続けるんだろなぁなんて思いながら、それでも空っぽの世界をささやかな意味で満たそうとする、僕たちの静かな戦いでもある。

365日のベッドタイムストーリーは結局、その4倍もの期間を海外で一緒に過ごしてくれたこと

 海外へ赴任するとき、行き先があんまりにも僻地で、事前情報ではネットもちゃんと繋がらないし、言葉も通じないし、テレビで日本語の番組も映らないし、ということだったので、仕事以外の時間は気がおかしくなるのでは?と不安な点もあり、日本から送る荷物に大量の書籍を入れた。

ミステリーから古典から詩集から評論から、とにかくそれまで繰り返し読んできた書籍で、向こうへ行っても繰り返し読めるものだった。

 あと現地の交通事情(マナー?)が悪すぎて、会社の規定で自ら車を運転することは禁止されていたので、ドライブさえ出来ないなんてこれも大きなストレスかな?と思い、プレステとグランツーリスモも送り込んだ。ホテルの部屋でコントローラーを手に、ポルシェにでも乗って延々とTV画面の中を走り続け「無」になろうかな、なんて考えていた。

初めての海外赴任で、それくらい不安だったんだね。。

 で、いよいよ出発する日、空港まで見送りに来てくれた家人が、「これで1年は大丈夫だから」と言っておずおずと渡してくれたのが、「365日のベッドタイムストーリー」著者:クリスティーヌ・アリソン(飛鳥新社)だ。

副題に「世界の童話・神話・おとぎ話からちょっと変わったお話まで」と書いてある。

夜空のような美しい青色のカバーには、優しいタッチの登場人物たちが書かれていて、ものすごくオシャレだった。

中身は題名の通り、365のお話が書かれていて、そでに「本書の5つの特色」として次のように紹介されている。

その‥‥‥なつかしい名作童話

『シンデレラ』『ジャックと豆の木』『一寸法師』‥‥‥などなど、誰しも懐かしい名作童話が充実しています。

その‥‥‥初めて出会う面白い話

中国やインド、アフリカやアメリカなど、古今東西に伝わる新鮮でユニークなお話が豊富に収録されています。

その‥‥‥読み聞かせにも便利

お子さんへの読み聞かせのテキストや、寝る前のお話タイムのネタ本としてなど、家族みんなで使えます。

その‥‥‥楽しみが広がる索引

その日の気分、主人公のキャラクター、作家や地域別‥‥‥などなど、いろいろなお話の引き方が可能です。

その‥‥‥小学校高学年から読める

この本は振り仮名に配慮しましたので、小学生5、6年生からでも十分読めます。

 なんか、これだけでワクワクしてしまった!手荷物で持ち込んだので、飛行機の座席で僕はさっそく読み始めた。一つ一つの文章は短く、あっという間に読めてしまう。ウン、でも、もったいないから、1話だけにしておこう。本を閉じたら、ハードカバー独特のパタンという素敵な音がした。長い旅の始まりとして幸先のいい音だ。

離陸して小さくなっていく窓の外の空港を眺め、あぁいよいよ日本を離れるんだなぁ、あそこのデッキで家人は見送っているんだろうなぁ、いや、とっとと空港にある美味しい店に入って蕎麦を食ってるかも、なんて考えて、この分厚いオシャレな本の表紙を撫でた。

もう10年以上も前の話だ。

ちなみに、「その4」で書いてある通り、索引の種類が豊富で、あいうえお順はもちろん、作家名、地域、キーワードでストーリーを探せるほか、テーマ別という索引もあり「しみじみした話・悲しい話」「ユーモアに富んだ話・こっけいな話」「恐ろしい話・残酷な話」「さわやかな話・わくわくする話」「皮肉な話」「機知に富んだ話」「遠い昔のふしぎな話・未来のふしぎな話」「愛の物語」に分かれている。本当に気分で選びながら読んで行ける工夫がされている。

 いっぱいあるストーリーはどれも個性の強い登場人物が出て来るのだが、僕が一番好きなのはチェコの物語「知性と幸運」という物語で、知性と幸運が農家の少年の頭に入りこみ、どちらが優れているのか競い合うという話だ。人は知性があれば幸せになれるのか?幸運があれば幸せになれるのか?という分かりやすい寓話だが、分かりやすくていいなと思った。

逆に、何かを演繹(えんえき)できない童話や民話は、左脳を皺くちゃにしながら生きて来た大人には辛い。典型は、これもこの本のストーリーの一つに含まれている日本の民話「浦島太郎」だ。親切にしたのに最後は白髪のじいさんに変身ってどういうこと?何を伝えたいの?僕たちはそこから何を学べばいいの?と言う具合にだ。意味が分からない物語は、合理性の中で生きている僕たちにとって、なぜその話が何百年も残ったのか、残されたのか、意味が分からない。

が、そんな概念をぶっ飛ばす物語が、この本には一編入っていた。奇跡の一編だ。ノルウェーの物語「悪魔と若者」という話である。

ある若者が歩いていると、虫が食って小さい穴の空いたくるみを見つけた。そして、たまたまやって来た悪魔(たまたま向こうからやって来たらしい)に「悪魔と言ってもさすがにこんな小さな穴には入れないだろう」とけしかけ、調子に乗らせて穴から入れ、そのままそのくるみに閉じ込めてしまった。そのあと鍛冶屋に行くと、そこの親方に、このくるみを割ってくれるようお願いするが、中に悪魔が入っているから、どんな大きな金槌でも割れない。親方は不思議に思うがどうしたって、くるみは割れない。

きっと若者はニヤニヤとその様子を見ていたに違いない。頭に来た親方は最後に一番大きなハンマーを持ってきて、渾身の力を込めくるみに叩きつけた。そしたらついに・・・

という話だが、この話も浦島太郎のごとく内容に特に意味はなく、そこから我々が学べそうなことは何もない。が、突き抜けるような無責任っぷりと爽快感が、エンディングに待っているのだ。関西人なら「おいおい、~かよ!」と突っ込むことは必至である。

 さて、この本の中にはたくさんの挿絵が書いてあるが、そのイラストレーションがあまりにも愛嬌があり、独特なオシャレ感があり、なんか家人が好きそうだなぁなんて思って、ヴィクトリア・ロバーツというイラストレーターをネットで探したが、見つからなかった。ちょっと残念だ。画集とかあったら欲しかったのに。

 書斎の本棚に並ぶその本の夜空色の背表紙は、一人で閉じこもって考え事したり、昔のことを思い出したりしながらなんとなく眺める風景の一つである。

海外で僕と一緒に過ごし、一緒に戻って来た、思い出のオシャレ本である。

天上の岬で青い空と海に囲まれて馬を眺め、冷や汁をお腹いっぱい食べたこと

 九州一周旅行は福岡の博多空港に降り立ったところから始まり、長崎、佐賀、熊本、鹿児島を経て、宮崎に入った。宮崎にはどうしても行ってみたい場所があった。

都井岬である。

日向灘の南端にあるその美しい岬には、野生の馬たちがいるという。

 その日もとても晴れていて、岬の上には突き抜けるような青空が広がっていた。美しい岬だった。絶壁の上に草原が広がり、その上をのんびりと馬たちが歩いていた。

全てが絵になる風景である。平日ということもあり、僕たち以外は誰もおらず、あまりに世離れしたゆったりした時間が流れていたので、なんだか別の国に来ているみたいだった。青い空と海を背景に、少し離れてその野生の馬たちを眺める。

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さらに離れてみると、やっぱりこれは、もはや一枚の絵画だ。

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すんごいや。こんな場所があるなんて信じられない。僕たちは時間を忘れて岬を歩いた。プラプラ歩いた。馬たちを眺め、海を眺め、空を眺めた。美味しい空気。さわやかな風。ほのかな潮の香り。いつまでもいたいと思える静かな場所だった。近くに人家はないけど、こんなところがもし、車で数時間のところにあるなら、僕は毎週末、その数時間をかけてやって来るだろう。

が、次の目的地に行かなければいけない。僕たちはちょっと後ろ髪を引かれる思いだったけど、車に乗って美しいその岬を後にした。

ついに九州を折り返し、北上を始める。宮崎を楽しみ、美味しいご飯を頂くのだ。

 宮崎のことを日向(ひゅうが)というが、これは昔は「ヒムカ」と呼んでいたらしく、日向かうという意味で太陽が現れる方向を示した。おひさまが出て来るところなのだから、もうそれだけでめでたく、そこは天上の国につながっているということ。神話の世界の物語の様々な舞台になって当然である。

で、いきさつはともかく、日向の国にはモアイが並んでいて(神話はさておき)、そこに立ち寄った。いかにも観光向けの施設かなと思ったら、意外に素朴に、そこに並んでいる。

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ものすごく自然で嫌みがないのだ。そりゃそうだ。人の善意がきっかけで、地球の反対側にいるモアイたちがそこに「完全復元」されているのだ。実物は思った以上に大きく、みな表情が豊かで、暖かい気持ちになった。微笑んでいるんだね。

少し丘の上にのぼって見下ろすと、これまた日向の真っ青な海に似合う。

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さて宮崎と言えば「冷や汁」だ。といっても無知をさらすようで恥ずかしいけど、僕はこの料理を、じゃらんを見るまで全く知らなかった。じゃらんに掲載されている写真を見て、是非食べたいと思った。

冷や汁は、味噌と魚のだし汁に具材として豆腐とキュウリを入れた冷たい料理で、これを麦飯にかけて食べるのだが、バリエーションが結構ある。でもまずはオーソドックスな冷や汁を頂くことにした。

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鯛のほぐし身が入っている。激うまである。むちゃくちゃ美味しい。なんで九州はこんなに料理がおいしんだろうか!

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欲を張ってトロピカルとか海鮮の冷や汁も頂く。どれも美味しいけど、結局オーソドックスなのが一番いいかな。だし汁が美味しいので、とにかくツルツルとお腹に入って行ってしまった。

この冷や汁、ウィキによると、同じような名前で埼玉や山形にも郷土料理があるとのこと。すっかりファンになったので、いつかそちらの冷や汁も食べに行きたいと思った。そしてベタだけど、もちろんチキン南蛮もちゃっかり食した。だってここは宮崎だもの。

遊び疲れた夕方、すっかり日が暮れていた。なんだか日向の国は果てしなく青い空と果てしなく青い海が目に焼き付いたなぁ、なんて岬の野生馬たちを思い出しながら、ハンドルを握りしめる。北上して明日は高千穂に向かうのだ。

九州旅行も終盤に向かいつつあった。明日は神様が降臨した地を訪ね、温泉に入る。最後の宿はちょっと豪華にしたから、前日の今日は質素なビジネスホテルで我慢だ。

何もかもが美味しく、何もかもが美しく、僕も、助手席で眠りこけている家人も、この九州一周旅行に大満足だった。事故に気をけなきゃ。僕は慎重に運転していた。

怪人プチオは無敵の人とは違うけどある意味、この世で最悪であるということ

 学生時代に銀座の地下通路にあった映画館「銀座シネパトス」で「怪人プチオの密かな愉しみ」という映画を見た。おそろしくマイナーな映画で、でも迫力のある内容で、第二次世界大戦中のナチス占領下のパリに実在した医師プチオの話である。

占領下という異常な状況、混沌とした時代背景の中で、プチオは国外逃亡を手助けすると言ってはユダヤ人をだまして自宅へ匿い(所有する貴金属も持って来いと指示した上で)、ワクチンの接種証明が必要と偽って毒薬らしきものを注射し、一室に閉じ込め死んでいくのを待つ。そして死体は焼却炉で焼いて、金品を自分のものにしてしまう、を繰り返した。

なんと30人以上が犠牲になったというのだから、いわばサイコパスによる連続殺人である。サイコパスというと快楽殺人と結び付けて考えてしまうけど、たいていのサイコパスはもっと人を殺す動機が平凡であり、「だってご飯食べるにはお金がいるでしょ?殺したらお金が手に入るでしょ?だからやるだけ」という、生活のためにバイトしなきゃ、と同じニュアンスで人を殺すサイコパスの方が圧倒的に多く、実は人間の自由意志と対極の生き方をしていて、プチオはその典型だった。

どういうことかと言うと、もしこの世に善悪などなく、すべての価値は相対的で、実際には自然法則の一部として我々はただ生きて死ぬのであれば、「生活のためにバイトしなきゃ」と「生活のために人を殺しに行かなきゃ」に大きな違いはない。だって、たまたまバイトは合法(無罪)で、人殺しが非合法(有罪)な価値観をもった文化に我々はいるだけであり、そんなものは未来永劫に持つかどうか分からない。現に、殺人は悪、と言う一方で、我々は正義の為の戦争、という矛盾した概念をフツーに受け入れている。文化とか、そこから導き出された善悪の価値観なんて一面ではそれ程度のものだ。だから、サイコパスたちからすれば、「いや・・別に特別なことをしてる訳じゃなくて、ほら、食べるためにはお金がいるでしょ?そのためには・・」と簡単に一般的な人々が持つ善悪の彼岸を乗り越えて行ってしまえるのは、別に不思議なことではない。

 でも、1+1=2の数式みたいに、簡単に考えて割り切れないのが人間であり、そこに自由意志という不思議なものが見え隠れする。

「やっぱり人は殺せない・・」もしそれが合法的であったとしても、正義の為と言われても、なんとなくザラッとした抵抗があるなら、それは、自然法則に支配されない自由な選択(より良くあろうとする選択)が人間にはあるはずであり、だから善悪が存在すると我々は実感でき、「殺さないという選択肢もあったはず」という自由意志を前提に裁判所で罪人は裁かれる。

まぁ真実はともかく、人間は自然法則に抗えないまま生きて行くしかないのかもしれないけど、それじゃ嫌だ、自由な選択があって、だからこそ善悪というものがあって、だからより良い方を選択し、善良に生きたいんだ!というワガママな感じがいわば人間と言う種である。

一方、お金の為にバイトするように人殺しをするサイコパスが一定割合でいて、昔からいたし、これからもいる。彼らにとって他人は仕事の対象であり、同情や共感の対象ではない。そもそも同情や共感というものがない。

ということで、この類のテーマは繰り返し今までも映画で取り上げられ、これも古い映画で恐縮だけど、コーエン兄弟の「ファーゴ」とか「ノーカントリー」にもこの手の平凡なサイコパスは登場する。いずれも主人公(こっちは真人間)が「どうしてそんなことが出来るのか、私には全く理解できない」と言うのだが、それはメジャーがマイノリティに対して言うコトバであり、言われた側には何も響かない。

 なぜこんな話を長々したかというと、最近「無敵の人」という言葉をよく耳にするようになり、実際にそういう人が怒りのやり場を求めて彷徨い、どこかで発散して社会的な事件を起こし、それを見て、したり顔で世の中が終わったみたいな言説を吐く人が多いから。

無敵の人は一定割合で昔からいたし、これからもいる。でもそんな話ではなく、無敵の人はいわばプチオとは違うということ。無敵の人は怒りの源(みなもと)に高すぎるプライドがあり、自分の作りたかったストーリーが破綻した上で善悪の彼岸を越えてしまっているが、プチオはそもそもストーリーとか破綻とか苦しみとかがなく、そもそもプライドといった価値に付随する概念もなく、本棚から本を取り出すように人を殺してしまった。それはある意味、本当の無敵であり、最悪である。最悪の中の最悪である。

「常識よりもお菓子がいい」

自転車に乗って街を疾走するプチオの言葉だ。常識って曖昧なものよりも、ってお話だが、だからこそ逆に、僕たちは常識と言うカビ臭いけど、人の手渡しで伝わった、信じるに値するはずのものを大切に、今日も愚直に生きて行く。それは矛盾を抱えつつ、自然法則という殺伐としたものに抗い続けて来た、つまりは、より良く生きて行くために戦って文化や道徳を築いて来た人間の歴史そのものである。

 だから、プチオのような本当の意味で無敵の人が一定割合を越えて現われない限り、僕たちは、僕たちのこの世界を決して簡単に「終わった」なんて言ってはいけない

それは人間の尊厳に対する本物の最悪とは何かを、全然理解していない、生悟りの、ぬるま湯説法に聞こえるのである。

僕たちは、どんな不遇でも、惨めでも、それでも人生に価値がある、人を愛することに意味があると言い続けてこそ、日々の生活に感動し、人間でいられる。 

アラン・シリトーの「長距離走者の孤独」はランボーの「永遠」という一編の詩に帰結し、地方都市の若者は東京を目指すということ

 ストーリーの中身そのものというより、文体の美しさとか躍動感でどんどん読み手をその世界観へ引き込んで行く、そんな小説がある。

和文学でいうところの谷崎潤一郎であれば「母を恋ふる記」という作品なんて、ようするに自分が見た夢の話をタラタラ書いただけなのに、それはもう驚くほど美しい文体であり、切ない一個の叙事詩になっている。ストーリーそのものに特に工夫はない。ただただ文体の美しさの中に読者は吸い込まれて行くのである。

 その点、「疾走感」というコトバがぴったりの文体で書かれているのが、アラン・シリトーの「長距離走者の孤独」という短編である。長距離走者の話で疾走感なんて、まるでウクレレを弾きながら「ハワイの夕暮れ」という題名の曲を演奏するようなもので、そのままじゃん、と言われれればその通りなのだが、その瑞々しい文体は英語の原文を読んでも主人公の焦燥感や息使いまでが伝わって来そうな迫力をもって、非常に読後感が気持ちいいのである。

 窃盗の罪で感化院(少年院)に入ったスミスが、院内のクロスカントリーの選手に抜擢されトレーニングに打ち込み始める。院長の大きな期待を受けながら院の代表として競技大会に参加し、2位以下を大きく引き離してゴールまで近づくのだが・・・・そんなストーリーだ。

 10代の少年の反抗的でパンクな精神は「疾走感」というテーマとよく似合い、これまでもいろんな形で表現されて来た。が、尾崎豊とかホットロードとかは10代の少年少女がやるから様(さま)になるのである。オジサンが疾走感をやると、現実には現実から逃げ出した、だからと言ってそこに瑞々しい反抗心とか壊れそうな繊細な不安とかがもう残っている訳でもない(年を取って面の皮が厚くなっているので)、ちょっと薄汚れたプライドがそこに見え隠れしているだけである。なので、映画の「ライフ」(監督+主演 ベン・ステイラー)みたいなファンタジーや、ミスチルの「くるみ」のMVみたいな名曲に乗ってこそ初めて人様(ひとさま)に受け入れられるのであり、もし現実でオジサンがこの「疾走感」をやると、「あぁ、会社がホントに嫌だったんだね、逃げたかったんだね」くらいの残念な扱いで終わる。まったく小説にも曲にもならない。

 ところで、疾走感の行き着く先はいったいどこだったのだろうか?

 結局、若者だった僕たちはそこに到達したのか?

 もう何もいらない、迷いも不安も抱えながら幾夜も乗り越え、僕たちはただ光を放つ方向へ向かって走って行く、なんて類(たぐい)のティーンエイジャーの疾走感は、もっと古いところでは、ランボーの詩集でも味わえるし、有名な「永遠」という彼の一編の詩は、いわば若者が疾走した最後に行き着くゴールを示したような陶酔感の極みだ。

なので、高校生だった僕は、ランボーの文庫版詩集か、それともこのシリトーの「長距離走者の孤独」の文庫をジーンズの後ろのポケットに入れて持ち歩き、授業中、または授業をサボってやって来た映画館のロビー、なんとなく電車に乗ってずっと乗り続けてたどり着いたよく知らない山奥の駅舎のベンチなんかで、繰り返し読んでいた。

あるいは昼休みの学校の中庭で独りで、図書館の隅の夕暮れに照らされた窓辺の椅子に座って独りで、その疾走感を繰り返して読んでいた。カバーがボロボロになり裏からテープで貼って、それでもなぜか縋り(すがり)付くように繰り返し読んだ。

若かったんだね。結局、どこに辿り着いたのか?

 覚えていない、というのが正直な感想だ。高校生だった僕は、午後の数学の授業をサボって駅に向かい、電車に乗って、乗り継いで、夕暮れが迫っても乗り続け、いつの間にか窓の外は真っ暗だった。乗客は向こうの座席に一人、老人が座っているだけで、電車は闇の中を静かに走り続けていた。

衝動的になんとなく降りた駅は無人だった。しまったと思ったけどもう遅い。夏の蒸し暑い風が顔に当たって不快だった。自動販売機さえないぞ。僕は駅の反対側のホームへ歩いて行き、時刻表を見たら次の電車が1時間後にしか来ないことを知る。駅の周りは何もなく、林の中にポツンと駅舎があるようなそんな場所だった。ベンチに腰掛け、ポケットから文庫本を取り出し、また読み始める。そうそう、この「長距離走者の孤独」は短編集で、他にもイングランドの場末感のあるさまざまな舞台で、人々の暮らしや人生が魅力あるストーリーとして語られ、何回読んでも飽きないのだ。

 そしてふと目を上げると、プラットホームの天井の蛍光灯に夏の虫たちがたくさん集まり、競って回転し、ぶつかり、ホームの上に落ちて、くるくる転がっていた。なんということはない、恐ろしく平凡な行動で、光の周りを群れをなして回転して飛んで、次々と落ちていた。僕の足元にそのうちの一匹が転がって来る。たくさんの虫たちの中の平凡な一匹が、大量生産されて生きて来た虫たちの中の平凡な一匹が、こうやって疲れて地面に落ちて、苦しみながら地面を転がっている。そしていつか動かなくなり死んで、亡骸は風に飛ばされ線路に落ちて、粉々に轢かれ、土に帰る。僕はじっとその虫を見ていた。薄暗い駅のホームのベンチに座って、目の前で回転するその平凡な虫を見ていた。そして、あぁこんな田舎で年をとって死んでいくのは嫌だな、東京へ行こう、って思った。

 という、ありがちな地方都市の青春の一幕である。今はもうその駅は閉鎖されツタに覆われ、電車は通過するだけだ。でも今日もどこかでどこかのティーンエイジャーが、そんな決意を胸に都会へ、そしてこの古く腐っていく国の外へ、いつかは飛び出していくんだろな、なんて想像しながら車窓の外を眺めている。

女心はくすぐられなかったようなので、自分が頑張ってオシャレな小物を揃えて家族の健康を祈ったこと

 家を建てた時に高品質低コスト・「住む」を目的に機能と動線を最優先、という具合に僕は話を進め、毎回、工務店との打ち合わせの都度、PCを持ち込み、事前に自分でエクセルで引いたレイアウト図や希望する仕様や材質を提示し、あわせてやはりこれも事前にネットで調べたそれらの相場価格、一般的な工賃、工務店側の想定利益(取り分)などをこちらから提示し、交渉の上、最終的に思い通りの家と金額になった。

 普通は家を建てる時は、やはり夢のマイホームであり、「夢」の大半は奥さんの夢である場合が多いので、住宅営業マンは打ち合わせ時に常に奥さんの顔を見て語り掛け、「おしゃれな吹き抜けの〇〇はどうですか?」「おしゃれな出窓をこのあたりに取り付けたらどうですか?」とか、要するに女心をくすぐって口車に乗せて、およそ機能性とは無縁でそのぶん工務店にとっては利益幅の大きいオプションをどんどん勧めて来るのだが(あっという間に見積金額がとんでもない額になる)、ウチの家人の場合は「旦那に一任する。旦那には、とにかく私が年をとっても快適に住める家を作るよう指示済み」ということで、毎回ニコニコしているだけで、一切、口車に乗らなかった。

 結局、住宅営業マンが「我々も最低限の利益を乗せないと上から怒られますので、勘弁して下さい」と言うところまで僕が交渉を進め、無駄のない、でも住む分には快適な高品質のマイホーム仕様が決まった。メーカー勤務数十年のシゴトの延長戦で家を建てた感覚だ。工場を建てる時に業者と打ち合わせする時とあんまり変わってない。

 が、外構も含め全部が決まってしまうと、なんだかこのままではあんまりにも機能を重視し過ぎて、遊びの部分が無さ過ぎ、ちょっと心配になって来た。マイホームは工場ではないのだから、機能や品質だけではいけなかったのかも、なんて遅すぎる後悔が始まる。外観の壁の色や屋根の瓦の色、玄関のドアのデザインや部屋の壁紙の種類など、見た目に関するものは全部、家人に選んでもらったけど、たいていはニコニコして「じゃ、これでいいわよ」と言う感じでサクサク決めてあんまりこだわりも無さそうで、それはそれで不安になって来た。どうも調子が狂う。

 で、リビングにウォールシェルフ(壁に取り付ける棚)をつけてもらって、そこにおしゃれな置物を置くことにした。家人に言うと「いいんじゃない」と相変わらずニコニコしているだけである。僕はネットでウォールシェルフを検索し、一番、部屋の雰囲気に似合いそうなものを見つけ、取り付け費用も含めた相場も調査し、エクセルで壁のどの位置にいくつ取り付けて欲しいのかレイアウト図を自分で描いて、翌週の工務店との打ち合わせに持って行った。

 そうなると、そのシェルフ(棚)に何を乗せるか考えないといけない。これも家人に好きなものを乗せるよう言ったけど「一任する」と言う相変わらずの返答だったので、あれこれ考えて、1段目はカフェ風に、コーヒーのドリッパーとサーバー、それに手引きのドームミルを乗せることにした。真ん中にコーヒーの生豆を麻袋に詰め、実際に炒って挽けるようにする。

う~んなかなかいい感じ。これはこの後、実際に家を見に来た家族や友人の目にとまり、その場で豆を挽いてドリップしてリビングでコーヒーを飲んで頂いた。大好評だった。

 シェルフはもう一段ある。何を乗せようか?家人にもう一度希望を聞いたけど「一任する」とのこと。こりゃ困った。ネタがもうないぞ。さんざん悩んだ挙句、やっぱりデザインと「祈り」が一致するようなものを置くことにした。「祈り」とは家族の健康のこと。デザイとはせっかくなのでオシャレなのがいいとういこと。

 ネットでいろいろ調べて、生まれ年の干支の置物を家に置くと長生き出来ると書いてあったので、そうか、家人は午年(うまどし)だから、おしゃれな馬の置物を置くことにした。リビングを含め、家の中が開放感があるように壁紙は白にしていたから、白いリビングに似合う置物がいいな、なんて考え、ダーラナホース(スウェーデンの伝統工芸品である木彫りの馬)のうち家人の好きな水色のを買った。

大中小の3点をシェルフの上に並べてみる。いい感じだ。

さらに、女性が悩みがちな便秘を解消するのに縁起がいいという(女性の健康を守る縁起を持つ)豚の置物を置くことにした。豚は縁起がいいんだね。長生きするだけじゃ駄目。元気で健康でいて欲しい、そんな気持ちで選んだ。

これもいい感じ。なんだか全身で福を運んで来てくれそうな豚さんだった。

ダーラナホースは手作りらしいけど、あとのコーヒーの道具も、豚さんの置物も大量生産された製品ではある。でも僕はそのデザインを考えた人の思いと、それを世の中にデビューさせるために携わった人たちの情熱と、出来上がった製品のしみじみした味わいを受け止め、やっぱりいいなぁと感じる。それらは全部、僕たちの人生にとって大切な、しみじみ味わうべき芸術なのだ。

最近はパンデミックのせいで在宅勤務も多く、家で仕事をすることが多くなったが、ミルでコーヒーを挽いて飲みながら、休憩時間にこの「祈り」の棚を眺めている。

機能と品質重視の我が家にあって貴重な遊びの部分が、祈りとともにこんな小さな棚に集約されていて、僕は大満足で眺めている。家人の便秘が治り、いつまでも元気でニコニコ長生きしてくれますように。

ダイバーシティって言葉を聞くとアジアの山奥でいろんな料理を食べた経験を思い出すこと

 ダイバーシティという言葉が会社の研修などで頻繁に出てくるようになってだいぶたつけど、多様性の受容というのは口で言うほど簡単ではない。だって自分が生きて来て自分という人生を必死で乗り切ってきた過程では、「世界中の誰がなんと言おうと自分が好きなのはこれだ。正しいと思うのはこれだ。」という一つ一つの信念とか情熱を積み上げてきた歴史があり、それは裏返せば「でもいろんな価値観もあっていいよねぇ、なんてあっさり言えね~や」という本音があるからだ。価値に付随する信念というものはそういうものだ。

一方、恵まれた環境でのほほんと生きて来れた人々は、「自分はこれがいいと思うけど、押し付けないよ。あなたはそれがいいと思うなら尊重します」と言えるかもしれない。だって、別に死に物狂いで「自分はこれがいいんだ」なんて構えなくても、人生を豊かにのんびり生きて来れたし、これからも生きて行けるからだ。価値の構築に情熱や信念なんて暑苦しいものは不要で、クールにいいものをいいと言い、クールに軽く軽く生きて行けるのだから。そんなクールなお坊ちゃんお嬢ちゃんを、僕は大学時代にたくさん見て来た。そのままアメリカへ留学して、国連職員になり、そんな人々の口からダイバーシティと言う言葉が出てきたなら、なるほどね、という話になる。1+1が2になったに過ぎない。

 が、大半の人々は、決して豊かではなく、安定してのほほんと生きていけないし、常に必死に、死に物狂いで大人になり、生活をしている。だから生きて来た過程で価値の構築にはその人なりの信念があり、それとは違う価値を受け入れざるを得なくなった時、体も心も抵抗を始める。ある人は露骨に怒りを発して相手を攻撃し始めるだろう。無視して排除しようとするかもしれない。表面上は受け入れて、裏で悪口を言う小心者もいる。

だから多様性の受容というのは、真剣に生きて来た人が、溢れんばかりの葛藤の中でそれをズシリと受け止めたとき、初めて本当に価値のある行為になる。それは複雑な計算式を経てようやく導き出された迫力のある人生の解(かい)だ。

 アジアの山奥に飛ばされた時、現地スタッフの心を一刻も早くつかみ、彼らの協力を得て、何度もコケそうになるプロジェクトを必死でやり遂げようとしていた。僕は死に物狂いだった。現地スタッフの大半は日本人に慣れておらず、大昔に軍服を着てやって来て、さんざん自分たちの上の世代にひどいことした人たち、という歴史ドラマのイメージしか持っていなかった。どうやら、このクリクリした目をしていつも元気な大声で喋る日本人は、歴史ドラマでよく見るちょび髭で丸眼鏡の冷たい目をした日本人とは様子が違うようだけど、どこまで信用していいものか、なんて期待と猜疑心の混ざった顔で僕を見ていた。

逆に僕は、初めて日本を出て、いかに自分が日本人だったかを思い知らされた。なんでこの人たちはこんな不潔なんだろう。どうしてそんな食べ方をするの?部屋や道路にどうして平気でゴミをまき散らすの?どうしてそんな汚いトイレの使い方をするの?朝に吐く息があんまりにもニンニク臭くて、どうして一緒に働く他人への気遣いとかがないの?どうして・・・どうして?・・という具合に、価値観の違いに基づく生活様式の違いがそのまま自分の不快感と結びつき、心の底ではイライラを募らせていた。が、自分に課せられたミッションは意地でもクリアしたい。そのために彼らの協力がどうしても必要だ。

僕は意識して大笑いし、上機嫌にふるまい、協力を得て、山積する問題をクリアして行った。本当に意地になっていた。

ある日、普段自分たちのために毎日奮闘している僕への感謝の意を示す、ということで、現地スタッフたちが懇親会を開催してくれた。まだ駐在経験が浅い僕は、何の疑いもなく素直に喜び、迎えに来た車に乗った。

果たして車が到着した店は、現地の人々がお祝いなどで使う地元の名物料理を出す店だった。当時住んでいたホテルのご飯とは全然違う、まさにローカル料理だ。

ヘビが出て、カエルが出て、鶏の足を蒸したものが豪華な模様の皿に盛り付けられ運ばれて来た。数年後に駐在が終わって日本に帰るころにはフツーにパクパク食べていたこれらの料理も、まだ慣れていない当時の僕には衝撃的で、しかも赤唐辛子にまみれたそれらを口にできるかなとちょっと迷っていた。が、皆から見られている。ふだん上機嫌で「ここは田舎だけど空気が美味しく青空が本当にきれいだ」とか「みんな真面目な人たちばかりで僕は大好きだ」とか「野菜が新鮮でどれも美味しい」なんて口では褒めているこの日本人が、目の前の料理をどんな顔して食べるのか、見てやろう、という感じだった。

乾杯のあと、いよいよ食事が始まる。現地スタッフの通訳が料理の一つ一つを説明し、地元の新鮮な食材を使った美味しい料理だと説明してくれた。

僕は乾杯でビールを胃に流し込んだ瞬間、彼らの思いや意図を把握して腹を括っていたから、次々と料理に手をつけてパクパク食べ始めた。もともと辛いのは得意だ。なんということはない。で、実際食べてみたら、ヘビもカエルも鶏肉みたいに淡泊で美味しかった。鶏の足も食べにくい形状だけど、味は悪くない。そのあとも、みんなで談笑しながら和気あいあいと食事は進んで行った。やっぱり僕は上機嫌な顔をしていた。

 食事の最期のシメで火鍋スープが出て来た。スタッフが僕の皿によそってくれた。ゴロゴロした野菜とともに肉の塊も入っていた。なんの肉か聞いたら「犬」だと言う。

さっきまでそれぞれが談笑して好き勝手に食べていた現地の人々の視線が、いつの間にか僕の方を一斉に見ているのに気付いた。

僕は現地に入ってからそれまで感じていた葛藤、怒り、なぜ?というあの感覚や価値観の違いから来る苛立ちが、一気に頭をよぎって、頭に上って、酔いも回って、これを食べるのか、ブチ切れて皿ごと床に叩きつけるのか、なんて考えていた。ブチ切れたらきっと、その食事会の雰囲気は瞬時で凍りつき、歴史ドラマのちょび髭を生やした軍服姿の日本人にダブって僕は見られるだろう。

真っ赤な血のようなスープを飲み、その肉塊を口にした。マトンをさらに生臭くした肉だった。あぶって焼き落とした犬の毛の一部がまだ表面に残っていて、味も決して美味しくなかった。みんな僕を見ている。

「これは臭くて美味しくない。でもスープは美味しいし体が温まるね。もっとちょうだい」

場の雰囲気がふわっと緩和し、皆がゲラゲラ笑い出した。さすがにこの日本人もこれは好きじゃないんだ、という単純な笑いだった。決して意地悪な笑いではなく、死に物狂いの外国人を温かく迎え入れる、優しい笑いだった。僕はありがとう、と言って、お代わりのスープを飲み干した。

 一生懸命に生きてこそ、価値は深いところで時に暴力的にぶつかり、時に痛みや苦しみや葛藤も伴い、それを乗り越えて初めて、僕たちはお互いに相手を受け入れることが出来る。お互いに別の場所で死に物狂いで真剣に生きて来たからこそ、相手の価値を受け入れるのは簡単でなく、受け入れることに価値があるのだ。

 なんて、今日も会社の研修で講師がしたり顔で「ダイバーシティ」を連呼しているのを、僕は聞いている。ここはキレイで衛生的な日本のビルの中だ。窓の外を見て、午後の眠気に襲われながら、あの真っ赤なスープと、一斉にこちらを見ている人々の眼差しを思い出している。

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